第116話 首尾よくいったかな

 暗殺者ディルは影で作り出した偽の身体から、本体へと意識を戻していた。

 その本体は英雄学校の敷地から少し離れた建物の中にいて、そこで影の身体を操作していたのである。


「……ハイゼンが生きていた。一度、殿下へ報告しなければ……」


 暗殺の失敗はひとまず、この重大な報告で誤魔化せるだろう。

 後は先ほど宣言した通り、二人まとめて始末してしまえばいい。


「ハイゼンの方はまだどうとでもなる。問題は……あの子供だ」


 あのナイフでハイゼンの背中を刺し貫こうとしたとき、最初はターゲットの少年の方を狙うつもりだったのだ。

 だがそのとき、彼の暗殺者としての直感が訴えてきたのである。


 ――逆に殺される、と。


 殺せるビジョンがまったく見えないどころか、彼の直感は確実に返り討ちに遭うと主張していた。


 影魔法を見破りこちらを待ち構えていたのは、ハイゼンがいたお陰かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 あり得ない場所に存在していたあの部屋といい、まるで底が見えない少年だ。


「そもそもあのハイゼンが従者のようになるとは……セネーレ王子殿下が危険視されるのも当然だ。今のうちに確実に排除しておかなければ、間違いなく殿下の目的にとって大きな障害となる……」


 彼は元々、名のある貴族の家に生まれたものの、事情により家を追放され、死にかけていたところをイブライア家に拾われた身だ。

 それゆえ、イブライア家興隆の証とも言うべきセネーレ王子には、ひときわ強い忠誠を示していた。


「なるほど。やっぱりそのナントカ王子っていうのが、黒幕なんだね」

「~~~~~~っ!?」


 突然、背後から聞こえてきた声に、ディルの全身を衝撃が駆け抜ける。

 それでも幾つもの修羅場を潜り抜けてきた彼は、その声の主が誰かをはっきりと確認する前に、ほとんど反射的に影の中へと逃げ込もうとして、


 がしっ!


 喉首を掴まれていた。


「逃がさないよ」


 ディルの身体が宙を舞い、それから思い切り地面に叩きつけられる。

 一瞬意識が飛びそうになる中、薄れた視界に映ったのは片手でこちらの首を押さえつける少年、エデルの姿だ。


「な、なぜ……ここ、が……?」


 辛うじて出た声で、ディルは問う。


「何でって、丸分かりだったよ? だって完全に一本道だったもん。幾つかダミーを作っておくとか、もうちょっとセキュリティに注意した方がいいと思うけど。じゃないとこんな風に簡単に辿られちゃうよ」

「ば、ばか、な……そんなこと、できる、はずが……」


 一体この小さな腕のどこにそんな力があるのか、振り解くことすらできない。

 しかも影魔法を使おうとすると、


「させないって」


 あっという間に気づかれて、魔力を四散させられてしまう。

 それをどうやっているのかも、ディルには理解できない。


 正直、彼の予想を遥かに超えていた。

 この少年は化け物だ。


「(せめて、殿下にこのことを報告しなければ……)」


 消えゆく意識の片隅でそう思考した直後、彼の視界は完全にブラックアウトしたのだった。








 朝。

 大きなベッドの上で目を覚ましたセネーレ王子は、服を一切、身に着けていなかった。


 昨晩、可愛がっている侍女の一人を抱いた後、そのまま眠ってしまったせいである。

 その侍女はいつの間にか退室しており、部屋にいるのは彼だけだ。


 無論、部屋は厳重に警備されていて、周囲には何人もの護衛が夜通し見張りについている。


 とそのとき。

 謎の影が床を滑るように近づいてきたかと思うと、ベッドの脇で停止した。


「ディルか。どうだい? 首尾よくいったかな?」

「……」

「どうした? なぜ黙っている?」

「……」

「何か言ったらどうだい? もしかして、失敗したのか?」


 無言を貫く子飼いの暗殺者に、訝しむセネーレ王子。

 直後、ようやく返ってきた返事は、ディルの声ではなかった。


「こんにちは。あ、もう朝だからおはようかな? ええと、あなたがこの暗殺者を僕に仕向けたってことで間違いないよね?」

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