第72話 この匂いを覚えるんだ

 ガイザーの部屋は鍵がかかっていたが、もちろんそんなものなどエデルの前には無意味だ。


「部屋に私服があったよ。ほら、リル。この匂いを覚えるんだ」

「わう!」


 犬のフリをして吠えるフェンリルの鼻先に、部屋から取ってきたガイザーの私服を近づける。

 クンクン、と鼻を鳴らしたフェンリルは、すぐに踵を返し歩き出したかと思うと、


「わうっ!」


 窓を飛び越えて外へ。


「追いかけよう」


 フェンリルに続いて寮から飛び出すエデル。

 アリスも慌てて後を追ったが、


「って、速すぎるんだけど!?」


 猛スピードで駆けていくフェンリルとエデルに、アリスはまったく付いていくことができない。

 あっという間に一人と一匹の姿が見えなくなってしまった。


 一方、エデルはフェンリルに追いつき、やがてすぐ隣を併走していた。


「こっちからガイザーの匂いがするの?」

「わう!」


 自信満々に吠えるフェンリル。

 空気中に残るごく僅かな匂いを頼りに、迷うことなく疾駆するとは、さすがの嗅覚だとエデルも感心する。


 そしてやってきたのは、普段、一年生が使うことなどない校舎だった。

 実際、出入りしているのは上級生ばかりで、動物を連れた一年生の姿に怪訝そうな顔を向けてくる。


「ここにいるの?」

「わう!」

「一応、学校内にはいたんだね」


 先導するフェンリルに続いて校舎内へ。


「なるほど、確かにガイザーのショボい魔力を感じる」


 エデルからするとあまりにも乏しいガイザーの魔力だが、ここまで来るとさすがに感知・判別することができた。

 すぐ近くに複数の魔力があるので、誰かと一緒にいるらしい。


「リル、ありがとね」

「わおん!」


 フェンリルを魔界へ送還したエデルは、ガイザーがいると思われる教室の前までやってくる。

 するとドアの前に上級生らしき男子生徒が。


「おい、何だ、お前は? ここは一年の来るとこじゃねぇぞ?」

「そうなの? でもこの中に知り合いがいるんだ」


 威圧してくる相手を無視し、ドアに近づくエデル。


「っ、なに勝手に入ろうとしてるんあれなんかいしきが?」


 妨害しようとした男子生徒だったが、へなへなとその場に座り込んだかと思うと、そのまま静かに眠ってしまった。

 エデルが魔法で眠らせたのだ。


 勢いよくドアを開けると、そこにいた上級生たちの視線が一斉にエデルの方を向いた。


「な、何だ、てめぇはっ?」

「一年? 何でここに……」


 驚く彼らを余所に、エデルはボロ雑巾のように地面を転がるガイザーを見つけると、


「こんなところでなに遊んでるの? 練習の時間だよ?」

「最初の一言がそれっすか!?」


 ボロボロになったこの姿が見えないのかと、思わず抗議の声を上げるガイザーだった。


「あれ? もしかして自主トレしてた?」

「自主トレでもないっす……一方的にやられてただけっす……」

「……?」


 もちろんエデルは知らなかったが、兄ゲルゼスの要求を突っ撥ねたことでさらなる怒りを買い、あれから手酷い暴行を受け続けたのだ。


「(まぁ、あの日、兄貴にされたことと比べたら、全然大したことなかったっすけど)」


 一方どんなに痛めつけても、一向に折れる様子のないガイザーに、ゲルゼスもまた「何だこいつは……?」と困惑していたところだったりする。


 そのゲルゼスは突然の闖入者に眉根を寄せて、


「誰だい、君は? 誰の許可を得てここに入って来たんだい?」

「許可? 許可が必要なの?」


 キョトンとするエデル。


「あ、兄貴……そういう意味じゃないっす……」

「……なるほど。つまり、君が僕の可愛い弟を誑かした張本人ってわけか」


 色々と察したのか、ゲルゼスが頷く。


「残念だけれど、今は実の兄弟で大事な話をしているところなんだ。ねぇ、そうだろう、ガイザー? だから君は出ていってくれないかい? もちろん、君に選択肢なんてないんだけれど」


 ゲルゼスが軽く目配せすると、取り巻きの生徒たちが動き出した。

 どうやらエデルを強引にこの教室から排除するつもりのようである。

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