第52話 嫌な予感がするわね

「マリベル様、王子殿下がいらっしゃっています」

「……また懲りずに来たのね。何度来ても私の考えは変わらないというのに」


 秘書から客人の来訪を伝えられ、マリベルは深々と嘆息する。


 だが相手はこの国の王子。

 無下にするわけにはいかない。


「応接室に通して差し上げて」

「はっ」


 応接室で待っていると、そこへ美青年が入ってきた。


 ロデス王国の第三王子であるセネーレ殿下である。

 数年前にこの英雄学校を優秀な成績で卒業した彼は、現在、王国軍で重職に就いているという。


 爽やかな笑みを浮かべ、気さくに話しかけてくる。


「やあ、マリベル先生。元気にしていたかい?」

「見ての通り元気だよ。あなたにとっては残念なことかもしれないけれど、まだまだ死ぬのは先だろうね」


 皮肉を込めて返すマリベルに、セネーレ王子は苦笑した。


「いやいや、僕はむしろ先生にはぜひ長生きしてほしいと思っているよ」

「どうだかね」

「……だからこそ、ぜひ先生には勇退してもらって、この学校のことはこの僕に任せてもらいたいんだ」


 マリベルは呆れたように溜息を吐く。


「その話はもう何度も聞いたよ。生憎と私の返事は変わらないね」


 そしてきっぱりと突き放した。


 セネーレ王子からは、以前より幾度となく同じ提案を受けていた。

 勇退、などと彼は表現しているが、邪魔なマリベルの存在を排除したいというのがその本音だと、彼女は見抜いている。


 英雄と讃えられているマリベルだが、元々は平民の家柄だ。

 それもあって、この学校では貴族と平民を差別せずに同等に扱っている。


 そのことが多くの優秀な卒業生を輩出することに繋がっているのだが、選民思想の強い貴族たちからすれば、そうした学校の在り方が面白くないのだろう。


 そこで彼らは、セネーレ王子を担ぎ上げることにしたのだ。

 国民からも強い人気がある第三王子であれば、英雄学校の新たな校長として相応しく、またこの学校の卒業生でもあることから、きっとマリベルも認めるはずと考えたのだろう。


 だがマリベルは決して首を縦には振らなかった。


「もちろん僕は先生の方針を変える気は一切ないよ。これまで通り、貴族と平民が手を取り合って、一緒に成長していける環境を維持していくつもりさ」

「私がそんな言葉に騙されるとでも思っているのかい?」


 セネーレ王子は、身分を問わず誰に対しても優しい好青年として知られている。

 だからこそ国民からの人気が高いのだが、素直にそんな情報を信じるマリベルではない。


 そもそも在学中、彼は貴族の学友としかつるまず、徹底的に平民を遠ざけていたことをマリベルは知っている。

 きっとそれが彼の本心だろう。


 恐らく彼女が校長の座を明け渡したら最後、この英雄学校はすぐに貴族中心のそれへと作り替えられるに違いない。


 もう八十近い年齢のマリベルだ。

 いずれは引退し、後任に譲らざるを得ないときがくるだろうが、少なくともそれはセネーレ王子ではなかった。


「先生は僕のことを信じてくれないんだ……とても悲しいよ」

「そんな情に訴えてきても無駄だよ」

「……では先生は、どうしても、僕に校長の座を譲る気はないってことだね?」

「何度もそう言っているだろう?」


 最終確認とばかりに念を押すセネーレに、少し不快げに眉を寄せるマリベル。


「そうか」


 セネーレ王子が立ち上がった。

 その顔からいつもの笑みが消えていることに、マリベルは違和感を覚える。


「じゃあ、仕方がないね。本当は使のだけれど」

「……どういうことだい?」

「いや、こっちのことだよ」


 マリベルの質問に冷笑混じりに応じると、セネーレ王子は一度も振り返ることなくそのまま応接室を出ていってしまった。

 閉まった扉をじっと見つめながら、マリベルは小さく呟く。


「……何だか、嫌な予感がするわね」

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