3話 帰り道でのキス、教室での再会



 再婚相手、およびその連れ子との食事会は21時には終了した。


 義母となる真理子まりこさんは変な人ではなかったと思う(親父と比較して)。


「ほいじゃー亮太りょうた! おれは真理子さんと二人でバーで飲んで帰るから、おまえ夕月ゆづきちゃん連れて帰りな」


 ホテルの前にて、親父が笑顔でそう言う。


「て、哲朗さん……さすがに子供二人だけで帰すのは危ないのでは……?」


 真理子さんが親父に意見する。

 まあそうなるわな。


「だーいじょぶうだいじょうぶ! 亮太たちもう高校生だし、ガキじゃないんだから。な、帰れるだろ?」


「問題ないよ」


 親父が放任主義なのは承知の上だし、別に気にしてない。


「ほんじゃよろしく! 夕月ゆづきちゃん、またねー!」

 

「はい、また」


 義妹となる少女、夕月ゆづきは微笑みながら、親父に手を振る。


「…………」


 飯田いいだ 夕月ゆづき

 俺、飯田 亮太の妹となる女。


 歳は俺と同じだという。

 二学期から俺の通う学園にいくそうだ。


 見れば見るほど……やっぱり、似てる。

 別れた元カノ、梓川あずさがわ みしろに……。


「あの、兄さん?」


 夕月ゆづきが俺を見上げて言う。


「どうかしました?」

「あ、いや……なんでもない、です。えっと……帰ります、か」


 こくんとうなずいて夕月ゆづきが着いてくる。

 ……正直、俺はこの子に対してどういうスタンスでいればいいのかわからん。


 戸籍上俺の妹になるらしいが、しかし相手は同い年。

 今日から兄妹と言われて、はいそうですかとは言えない。


「ふふっ、兄さん♡」


 彼女が俺のことのことを、下からのぞき込んでくる。

 あまりの顔の近さに、ドキッとさせられる。


「うぉ!」


 俺は慌てて彼女から距離を取った。


「そんなにびっくりしないでください。別に取って食うわけでもあるまいし♡」


 くす……♡ と夕月が妖艶に笑う。


 ああ、なんて……なんてみしろに、元カノにそっくりなんだ、君は。

 みしろはとてもいい子だったが、俺を驚かせるようなことは一度もしなかった。


 けど夕月は俺を驚かすどころか、むしろそのリアクションを見て楽しんでるところもある。


 もしかして……Sなのかな。


「正直、困惑するのはわかります。けど、あんまり畏まられるのは、嫌です。家族になるんですから」


 夕月は寂しそうにそういう。

 俺が過剰に避けたのが、かえって彼女の心を傷つけてしまったのかもしれない。


 歩み寄ろうとしてたのに、拒まれたと、誤解されたのかも。


「そ、そう……だな。すまん、あ、ごめんなさい」

「いいんです、兄さん。どうか敬語はやめて、それとどうか呼び捨てで」


「いやさすがに……」

「お願いします」


 ずいっ、とまた夕月が顔を近づける。

 甘い香りと、そして整った顔が近くにあって、心拍数が上がってしまう。


 さらに、またずいっと近づく。


「な、なんで近寄るんだよ? ここ……人が通るんだぞ?」


 夜道ってこともあって、人のとおりは少ない。

 だがゼロってわけじゃない。

 

 はたから見れば、俺は美少女と密着してるように見えてるわけで……。


「兄さんは、何を気にしてるんですか?」


 体を完全に密着させ、夕月が耳元でささやく。


「……わたしは兄さんの妹なんですよ? 兄妹が仲良くするの、何かおかしいです?」


 ……なんで、こんなに、似てるんだよ。

 顔も、声も……みしろと……。


 分かれた彼女と……どうして、こんなに重なるんだ……?


「と、とにかく離れてくれ」

「では、どうか夕月ゆづきと」


「わ、わかった……夕月ゆづき。敬語も使わない。おまえは妹。これでいいか?」


 ちゅっ♡


「なっ!?」


 夕月が俺から離れて、くすくすと笑う。


 頬が、熱い。ぬるりとした唾液の感触。

 こ、これは……!?


「な、何してんだおまえ!?」

「キスですよ、兄妹のキスです。ほら、子供頃、したでしょう、兄妹のちゅー♡」


 まじでキスしやがった!

 こ、ここ外なんだぞ!?

 平然とやって、しかも向こうは何にも思ってないみたい!


「し、しないだろ! 兄弟でき、キスなんて!?」

「あら、うちの姉さんとはよくしてましたよ?」

「姉さん……?」


 ええ、と夕月がうなずく。


「わたし、昔々ですがお姉さんがいたんです。いつも親愛のちゅーとかしてましたよ♡」


 夕月に姉がいたのか……。

 あれ、でも……おかしいぞ?


「真理子さん、お前以外にも娘がいるのか?」

「ええ、姉さんが。といっても、離婚して父さんと一緒に遠くへ行ってしまいましたけども」


 そうか……真理子さんはバツイチだ。

 つまり元旦那のほうに、夕月の姉貴がついていった、生き別れたってことか。


「しんみりさせてごめんなさい、兄さん」

「あ、いや。……おまえこそ、さみしくないのか?」


「さみしいですよ。でも……子供のころのことですし。それに……」


 ぺろ、と夕月は自分の唇を舌で舐める。


「こんなに素敵な兄さんが、できましたので……♡ かっこよくて、素敵な、兄さんが……ああ♡」


 夕月がうっとりとした表情で俺を見てくる。

 まるで、恋する乙女のようだ。憧れの人をみてるかのよう。


「……おまえは、誤解してるよ」

 

 夕月にあの時のことを説明する。


 俺が彼女をチンピラから助けたのは、善意でも何でもない。

 単なる感傷だ。

 元カノだと思って助けたのだ。


「あれは偶然だったんだよ」

 

  だが彼女は微笑んで、ふるふると首を振る。


「だとしても、わたしのこの気持ちは変わりません。……あなたに助けてもらったのこのご恩は、一生、忘れません」


 夕月はやっぱりどこか……危うい雰囲気を持っている。

 御恩だの、一生忘れないだのと。


 ……けれど、俺は。

 どこか悦んでいる自分がいた。

 その理由を、俺は【この時点】ではわかっていなかった。

 

 それもそのはずだ、俺は夕月とみしろの関係を、この時気づいていなかったのだから。


「そういうの、いいから、まじで」


 夕月個人を嫌ってはいない。

 だが彼女を見ていると胸が痛む。


「お嫌、ですか?」

「嫌って言うか……普通にしてくれ、普通に」


 だが夕月は目を細めて笑う。


「それは無理です。だってわたし……兄さんのこと、世界で一番好きになっちゃいましたから♡」


 彼女が俺の手を取って、ぎゅっ、とにぎりしめてくる。


「どうか末永く、かわいがってくださいませ、愛しの兄さん♡」


    ★


 親父が再婚して数日後。

 二学期となり、学校の授業が再開した。


 俺は教室へと重い足取りで向かう。

 すでに教室にはみしろがいた。


「「…………」」


 俺たちは何も言わずに、それぞれの席に座る。


 幸いにして俺は窓際、みしろは廊下側の席で結構離れている。

 授業中まで気まずい思いをしなくていい。


 ……やっぱり、どこかみしろへの思いを引きずられる自分がいる。

 席に座る彼女を目で追ってしまう。


 黒髪で、清楚なたたずまいの彼女は、本当にきれいで……。


 ーーキスですよ、兄妹のキスです。


 いかん、どうしても夕月にされたキスが、頭から離れない。

 違うんだ、と心の中でみしろに弁解する自分がいる。


 でも弁解の必要なんてあるのか、とささやく自分もいる。

 だってもう俺とみしろは、別れたんだから。


 と、そのとき、


 キーンコーンカーンコーン……。


「皆さん、席についてください」


 担任の女教師が、教室へと入ってくる。

 クラスメイト達が自分の席へと戻る。


「今日は転校生を紹介します。入ってきなさい」


 教師に促されて、ドアが開く。

 入ってきたのは、先日妹になったばかりの義妹・夕月だ。


「うわ! すっげえ美人!」「おいおいやべえなレベル高すぎるだろ!」「やった! やった! 美人転校生きたぁ!」


 クラスの男子たちは盛り上がっているな。

 まあ俺には関係ない。


 俺は既に彼女がこの学校に転校することは聞いていたので、驚きはしないし、相手は妹なので特に盛り上がることも……。


「……ゆづき!」


 教室の反対で、みしろが声を張り上げる。


「ゆづき! ゆづきよね!?」

「……梓川さん?」


 驚く女教師、そしてクラスメイト達をよそに、みしろが駆け抜ける。

 教壇に立つ夕月に、みしろが抱き着く。


「会いたかった! ゆづき! 会いたかったよぉ……!」


 なんだ、その反応は。

 まるで生き別れの姉妹と再会したような……。


 そこで、俺は思い出す。

 数日前、夕月には生き別れた姉がいるって言っていた。


 まさか、まさか……そうなのか?

 みしろが、夕月の、姉ちゃん……?


 でも、姉なのにどうして同じ学年に……?


「ひさしぶり、姉さん。ずっとずっと会いたかった……あなたに」


 夕月は姉を抱き返す。

 ……その瞳はなぜだろう、どこか冷たいもののように、俺には感じた。


    ★


 飯田 亮太の義妹となった、飯田 夕月は、教室で双子の姉と再会した。


 こちらに向かって走ってきた姉は、涙を流しながら抱き着いてきた。


 姉との再会。

 本来ならば感動的なシーンであり、自分もまた喜ぶべきところなのだろう。


 だが、夕月は知っている。

 愛する兄が、数日前まで、この女と付き合っていたことを。


「……よくも、兄さんを」

「え?」


 小声で夕月はつぶやく。

 だが姉の耳には声が届いていなかったようだ。


 すぐに表情を切り替えて、ニコッと笑う。

 生き別れた姉と再会できて、喜ぶ妹にふさわしい笑顔を浮かべる。

 

「ひさしぶり、姉さん。ずっとずっと会いたかった……あなたに」


 夕月にとってみしろは、生き別れた双子の姉であるよりも、


 愛しの兄の初めての女、という立場を、夕月から奪った女でもある。


 よく男は、初めての恋人になりたいと思い、

 女は最後の恋人になりたいという。

 

 だが夕月は違う。

 夕月は、亮太の初めての女になりたかった。


 なのに、なのにそれを……みしろは奪ったのだ。


 ねえどこまで兄としたの?

 キスは? 手はつないだの? もう一緒に寝たのかしら?


 ぐつぐつと……腹の底から、黒い嫉妬の炎が燃えあがる。


 夕月は、振り返る。

 大好きな亮太がこちらを凝視している。



 だが、すぐに気づいた。


 亮太は自分ではなくみしろを見ている。

 なんで? ああそうか……姉をまだ忘れられないのか。


 なんだ、なら簡単だ。

 

 自分が、忘れさせてあげる。

 姉のことなんて、思い出せないくらい、亮太を愛して、身も心も、自分のモノにしてみせる。


 この体も、顔も、声も、何もかもを使って、あなたを虜にして見せる。


 姉には、決して彼を、譲らない。

 兄妹になったばかりだから、最初は手加減するつもりだったけど、もう容赦しない。


 兄のすべてを奪ってやる、と、夕月はひそかに、しかし固く決意する。


 だが夕月の心のうちなんて、みしろも、そして亮太も、気づいていないのだった。

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