松永ダンジョン

nkd34

おぬしに天下を任せよう。

 いくさに勝ち負けはない。あるのは無益な早死にだけ。松永久秀は、信貴山城の天守に集った配下の諸将に言って聞かせた。

「勝ちは一時の喜悦。負けもまた、一時の憂い。たいした違いはないものよ」

「し、しかし父上」

嫡子の久通が、青ざめた顔を振り向けて膝を進めた。

「この体たらく、いかにして挽回できまするやら」

 天正五年一〇月。織田信長は配下の武将を招集し、大和攻略の軍令を発した。松永討伐だ。総大将は嫡子信忠。明智光秀を先頭に、羽柴秀吉、佐久間信綱、大和の同盟勢力筒井順慶など、信長陣営の錚々たる武将たちが山麓に陣取って、攻撃の合図を待っていた。

 昨夜、城内の守兵が反乱を起こし、信貴山中復の防御拠点が陥落した。宿敵、筒井順慶の送り込んだ忍者の仕業だ。反乱はどうにか鎮圧したが、夜が明けてみると、混乱に乗じて攻め上った織田勢に囲まれ、城はもはや丸裸同然。四層の天守を擁する本丸と、その周辺をわずかに残すのみとなっていた。

 裏切りは戦国の世の常だ。他ならぬ久秀自身、信長の上洛に応じて靡下に参じておきながら、三度も裏切っている。

 一度目は、元亀二年。信長の後援する将軍足利義昭が、大和国で覇権を争う筒井順慶を支持したことに抗議し、三好勢力を招集して反乱を起こした。この時は織田・筒井連合軍にコテンパンにやられ、旧友の茶人、松井友閑のとりなしで帰参を許された。

 二度目は元亀四年。織田と決別した足利義昭を担ぎ、甲斐の武田信玄の上洛の機に、西の毛利、宇喜多、北陸の朝倉、浅井、一向宗を束ねる本願寺の顕如らと語らい、信長を四方から攻めた。第二次信長包囲網だ。表向き、各国の大名に檄を飛ばしたのは足利義昭だったが、首謀者は久秀だ。

 松永久秀は、かつて畿内を制圧した三好氏の被官だが、実質的に大和一国を支配した大名であり、三好家中では身内同然の宿老として重用されていた。また、足利将軍家においても直参として遇され、朝廷では従四位下の官位と弾正少弼の官職を得ていた。人呼んで松永弾正。信長上洛の以前は、彼こそ天下の采配を握る人物と目されていたのだ。

 包囲網は、信玄の急死によって頓挫した。信長は浅井、朝倉を撃破すると、返す刃で伊勢、伊賀を制圧し、さらに摂津の石山に立て籠もる本願寺顕如を攻めた。顕如は士気の高い一向宗兵団と瀬戸内の海路を掌握する毛利からの支援によって頑強に抵抗したが、松永はあっさり降伏した。盆地の大和は攻めやすく守りにくく、兵力差のある敵を迎え撃つには不適切だった。他国勢力の支援を得られない状況で抵抗するのは危険と判断したのだった。信長は、久秀の魂胆を見抜きながら、あえて彼を許した。

 そして、今回が三度目だ。齢すでに七旬。家督は久通に譲ってあった。

 当然のことながら、彼には勝算があった。

 勝ち負けに拘りはないのだ。だが、いくさに勝ち負けがあることは、厳然たる事実だ。

 越後の上杉を口説いた。欲のない謙信は、なかなか重い腰を上げようとしなかったが、ようやくこの年、上洛の兵を起こした。先月加賀に進出し、織田方の諸城を攻略した。信長は織田軍随一の猛将、柴田勝家を派遣して対抗したが、コテンパンにやっつけられた。

 時節到来だ。松永は上杉に呼応して大和で兵を挙げた。毛利も東へ進出し、本願寺も新たに戦いを始めた。第三次包囲網の開始だ。

 ところが、上杉の進軍が止まった。敗軍の柴田を追わず、越後へ帰ってしまった。風説によれば、降雪の到来を恐れたためという。久秀は爪を噛んだ。自らを軍神と呼び、摩支利天の再来などと吹聴する謙信。その実、稀代の怠け者。彼は勝ちに拘る余り、少しでも負けの要素を感じ取ると、たちまち兵を引いてしまう。川中島しかり。小田原攻めしかり。

 勝負師とはそういうものだ。

 所詮、天下を担う器ではない。

 それは分かっていたのだ。彼の勝負強さが欲しかった。上洛するまでもない。せめて、近江まで。あるいは、越前まででも進出してくれば、新興の織田軍勢は瓦解したかもしれなかった。その隙に大和から兵を進め、京洛を陥とせたかもしれなかった。

 加賀とは。

 加賀から越後へ帰るのでは、物見遊山に出掛けたようなものだ。久秀の十指の爪は、鋸の歯のようになっていた。

 そして、信貴山城で織田軍を迎えることになったわけだ。

「信忠の采配はどうじゃ?」

久秀は並み居る諸将に尋ねた。松永の陣営は、百戦錬磨のツワモノ揃い。久秀は政治家として一流だったのみならず、野戦の指揮官としても恐れられ、大和一国はおろか、畿内全土にその勇名を轟かせていた。彼の数々の武功を支えたのが、ここに集った武将たちだ。しかし、ここに至って、誰も彼もが瞼を伏せがちだった。織田軍、号して五万。これに対する籠城軍は、市井のごろつきや物乞い同然の山伏らを含めて八千。優劣は歴然だ。頼みとした山中の防御線を破られた今、とても勝ち目はなさそうだった。

「まず、そつのない采配と言えましょうか」

側近の柳生宗厳が他人事のように言った。彼は大和柳生庄を所領とする国人侍で、かつては筒井氏に属したが、松永が大和に進出した機に筒井から離反し、以来仕えている五〇絡みの古兵だ。

「山道、間道を問わず兵が充満し、蟻の子一匹通さぬ構えにござる。まず、退路はないものと見えまする」

久秀は、床几についていた肘を上げ、体を起こして傍らの壺を引き寄せた。彼の足元には、名代の茶器『平蜘蛛』が置かれていた。彼は壺に匙を差し込んで、中から黒い粉を掬い、茶器に移し始めた。

「彼奴らは今、朝飯を食べてござる。ほれ、このように」

天守の座敷に、ふわりと煙が舞い込んでいた。飯を炊く煙が、山の四方から登って城を取り巻いているのだ。おかげで信貴山城は、雲上の楼閣のようになっていた。香ばしい匂いに、面々は揃って腹の虫を鳴らした。松永陣営はまだ、飯を炊く薪すら用意していなかった。

「長谷川」

久秀は、柳生の隣に控えていた長谷川長蔵に尋ねた。彼もまた、大和の地侍だ。

 大和は特異な国だ。かつて日本の首都だった奈良を擁し、屈指の先進地域として栄えた。当時の先進技術は、寺を通じて伝えられた。寺は仏教だけでなく、農業や手工業、兵法など、大陸伝来の技術を伝える拠点だった。このため大和には寺社が多く、それぞれに独自の勢力を張っていた。おかげで、他国のように武士の権威が育ちにくかった。松永と大和の覇権を争った筒井順慶は、武士ではなく僧侶だ。大和の地侍は、古来寺社の下僕だった。その彼らを解放したのが松永だ。

「事ここに至っては、和睦もやむなきかと」

長谷川は、実直を絵に描いたような中年侍だ。先祖代々興福寺に仕える武者だったが、曲がったことが大嫌いで、破戒し、不正を行う寺僧らの行状に業を煮やして松永の下に参じた。

 のちに彼は徳川に仕え、家康の江戸入りに従って三浦三崎の代官を勤めることになる。彼の子孫が長谷川平蔵、通称『鬼平』だ。

 長蔵は筒井氏を宿敵と考え、筒井も彼を許すことはないと考えられた。その彼がいう和睦とは、すなわち、自決を意味した。

 座に悲壮感が漂った。

 襖を隔てた次の間から、しわぶきの声が聞こえた。今回も織田方の使者として現れた、松井友閑だ。

 久秀は大きな鼻を開いてため息をついた。手にした匙から黒い粉が散った。

「本多」

彼は末座の客将を呼んだ。「あ」と短い返事をして、眉間に深い皺を刻んだ小男が進み出た。老将と呼ぶにはまだ若いが、本多正信というこの武将は、いつも思案気に顔中に皺を寄せていたので、実年齢よりも一〇余り老けて見えた。彼は元々三河の武将で、事情があって徳川の下を離れ、松永の陣営に寄宿していた。

「勝ちと見れば勝ち。負けと見れば負け。勝敗はあざなえる縄の如し、といったところでござりましょうか」

「相変わらずおぬしは、分かったようで分らぬことを言うのう。もういい。ワシが見る」

久秀は立ち上がり、大股で歩いて天守の欄干に向かった。諸将は彼の後に従った。

 信貴山は、標高四百メートル程度の低山だ。奈良と河内を結ぶ街道の中途にあり、ここを塞ぐと両国の通信が途絶えた。古くは楠木正成がここに柵を構え、鎌倉幕府滅亡の切っ掛けを作った。松永はそれを拡張し、大和支配の軍事拠点としたのだった。

「下手ッくそな布陣じゃ」

久秀は山麓を見下ろして吐き出した。

「見ろ。弛み切っておる。もう日が高いというのに、鎧もつけていない連中がおる。歯がむき出しなのは、笑うておるのじゃ」

あちこちを指さして言い、群臣を振り返った。

「信忠なんぞは所詮、成り上がり者の小倅よ。兵法のへの字も知らん。内藤。内藤はおるか」

首元に小さな金の十字架を下げ、銀縅の鎧を着けた、白皙の美武将が進み出た。内藤ジョアン。久秀の甥に当たる、軍中きっての勇将だ。久秀は彼を傍に近づけて耳打ちした。彼は軽く頭を下げ、太刀を取って天守を下りた。

 久秀は東の空を眺めた。青い空。白い雲。人は彼を梟雄と言い、権謀術数の策士という。彼は慨嘆した。燕雀、いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。彼の胸中の大望を知る者はいない。若かりし頃より胸に秘めた、大いなる志。それは今も枯れてはいなかった。

 織田の陣が俄かに騒ぎ出した。突如開いた松永の陣門から鉄騎兵が繰り出し、槍を突き立てて暴れ込んできた。油断していた織田の足軽たちは、裸同然で右往左往。騒ぎが騒ぎを呼び、あちこちで混乱が起こって、同士打ちまで始めた。

 内藤は、敵の首を二つ腰にぶら下げ、両手に一つずつ吊るして天守に戻ってきた。

「父上、やりましたな」

久通が久秀の袖を引いて言った。

「総攻撃を下知してくだされ。この機に、敵を麓へ追い払いましょうぞ」

「うつけ者め」

久秀は息子の額をぴしゃりと叩いた。

「そんなんだから、お前にはまだ任せられんのじゃ。見よ。この程度の混乱、すぐに立て直すわ」

そう言い捨てると、また天守の座敷へ戻った。

 禍福はあざなえる縄の如し。禍を拗らせて死ぬ者もいれば、幸福の絶頂でこと切れる者もいる。畢竟、人の命ほどままならぬものはなし。「これで、しまいじゃ」久秀は群臣を振り返り、独り言のように力なく言った。

「しまいとは?」

「終わりじゃ。やめにするわ」

彼は懐に平蜘蛛を突っ込み、最上階に向かう梯子段を上った。

「殿」

「父上」

久秀は振り返りもせず、「加助」と呼んだ。

 群臣の末座から、坊主頭の、痩せた猫背男が進み出、するすると梯子段の中ほどへ上がったかと思うと、着物の裾を尻からげにして、褌の帯を解いた。

「猿飛忍法、厭離穢土」

薄い尻の間の肛門が開き、あの体のどこから、と疑うほど大量の便がこぼれだし、梯子の段をべっとりと濡らした。群臣はたまらず後退りした。その間に、久秀は天守の最上階に上がった。

 松永久秀、七〇歳。その青雲の志とは?

「信長殿!」

彼は、はるか都を見つめて、城の最上階に立った。秋風が禿げ上がった頭を撫でた。

「信長殿。貴公にお任せいたす!」

彼は懐から平蜘蛛と火打石を取り出した。先刻、平蜘蛛に詰めたのは火薬だ。戦国の梟雄松永弾正は、自分の築いた城の天守で、爆死しようとしているのだった。

「チチウエー」

階下から久通が間延びした声を上げた。

「ご自害ならば、我らも従いまするが、後に残る兵や女子供らは如何いたしましょう?」

気を削がれた久秀は、「こん畜生の捨て猫め!」と悪態をついた。

「松井殿に従え」

「は? 松井殿でござるか?」

久秀は、平蜘蛛と火打石を石畳に叩きつけた。

 轟音と共に、信貴山城の天守は火を噴いた。


 時は下って、天正一〇年六月。都の油小路四条坊門、大本山本能寺の織田信長の宿舎が、軍勢に取り巻かれた。早朝、寝所を出て手水を使っていた信長は、土塀の上に差し出された桔梗紋の旗印を見て、敵の正体を知った。彼は側近の森成利を呼び、直ちに防戦を命じた。そして自分は奥の座敷へこもった。自決の準備だ。

(光秀が? なぜ?)

薄暗い座敷に端座して、信長は爪を噛んだ。裏切りは戦国の世の常。今更驚かないが、それにしても、あまたの家臣の中でも特に目をかけて重用していた明智光秀が逆らうとはこれ如何に。

「おぬしの命運が尽きたのよ」

座敷の奥の暗がりから、押し殺した声がした。信長は声の方を振り返った。

「弾正殿!」

黒々とした二つの影がそこにあった。一つは、正座した猫のような小さな影。いま一つは、坊主頭の太った老人。松永弾正久秀だ。

 死んだはずだ。信長は思った。他ならぬ自分が、松永討伐の軍を発したのだ。織田軍は首尾よく信貴山城を落とし、松永の一族と家臣団を殲滅した。ただ、久秀が天守を爆破するという破天荒な自決を行ったおかげで、久秀はおろか、主だった敵将の首級が一つも手に入らなかった。画竜点睛を欠いた形となり、心残りだったが、彼らが滅んだことに変わりないはずだった。

 それがここに、生きて現れようとは。

「所詮おぬしも、天下を担える器ではなかったようじゃの」

信長はムッとなった。

「あと一歩でござった。もう少しで、日本国を一統できたのでござる。弾正殿。いま一度、お力添えくだされ」

信長は膝を進めて久秀ににじり寄った。

 天下統一まであと一歩。

 実際、彼の言う通りだった。宿敵本願寺とは和議が成り、毛利は羽柴秀吉の調略で殲滅できそうだった。武田はすでになく、上杉は後継者争い中だ。後は九州と関東、東北を制圧すれば、日本国は織田の膝下に一統される。

「拙者には大望がござる」

信長は久秀の膝に縋った。

「日本を一統した暁には、唐、天竺へ攻め込み、これを領有し、我が国を世界に冠たる帝国にする。弾正殿。いや、松永様。かつて二人で、この夢を語りおうたではにゃあですか」

「その通りじゃ」

久秀は目を細めた。

 信長の大望。それは、久秀の大望。

 この二人には多くの共通点があった。

 一つは、成り上がり者であること。久秀は、三好軍中で頭角を現すまでは無名の侍だった。織田は尾張の地侍だが、信長は傍系で、天下どころか、一国を統べる家系ですらない。力が正義の戦国の世だからこそ出世できたのだ。

 いま一つは、単なる国盗りだけでは飽き足らぬこと。久秀は、三好氏の被官の立場にありながら大和と丹波を支配し、さらに主君足利義輝を謀殺して天下の采配を私した。信長も、自分で担いだ足利義昭を追放し、室町幕府を滅ぼして自ら天下人となった。戦争に強いだけの信玄や謙信ではこうはいかない。

 さらにもう一つ。彼らは権威に無頓着だ。久秀は、東大寺を焼いて大仏の首を落とした。信長は、比叡山を焼いて逃げる僧の首を撫で切りにした。権威に縛られないということは、行動に規範がないことを意味する。彼らは、常識的な武将なら成し得ないことを成し、従来では考えられない秩序を構築しようとする。その究極の目標が天下統一だ。

 群雄割拠する日本国を一つにまとめること。これが天下統一の概念だ。だが、実際にこれを目指した戦国大名がいたかどうか。今川義元や武田信玄の上洛は足利将軍の要請によるもので、自分が天下を取ることが目的ではなかった。上杉謙信もしかり。彼の場合、自国の領土拡張にもあまり熱心ではなく、日本全土など望む気持ちもなかった。たいていの戦国大名は、おのれの富貴は望んでも、天下の経営までは考えなかった。強いて上げれば会津の伊達政宗だが、この頃はまだ少年だ。そもそもこの時代、日本国というまとまりが意識されていたかどうかも怪しい。日本なる国は古来、天皇の支配する地域を指したわけで、外交上もそういう認識になる。だが実際の天皇領は時代によって変遷があり、あいまいだ。東北がいつから日本に組み込まれたのか、蝦夷地はどうか、あるいは、現在の沖縄を含む諸島はどうなるのか。このあいまいさはすなわち国家なるものの未熟さを示すわけで、室町時代に天皇の権威が失墜すると、国内の土地領有においても権利関係の基準があいまいになり、結果として群雄割拠を招いた。つまり、戦国の世の出現は、国家の弱体化の結果だったのである。

 逆に言えば、国家なるものをあえて復活強化させることは、戦国大名の存在自体を危うくさせる事態なのだ。だから、原理的に戦国大名は国家形成を目指さない。久秀と信長が特異なのは、戦国大名として立身しながら、さらにその上のレベルにある、天下統一を目指したことにある。

「ワシに天下を取らせると申されたではないですか」

信長は久秀の膝をつかんで揺すった。普段、鬼神の如く彼を恐れている家臣たちにはとても見せられない姿だ。この二人が会談したのは、久秀が信長傘下に与した元亀元年。この時信長は、当時の天下人であった久秀の、国家統一の野望を聞き、さながら諸葛孔明の邸宅を訪れた劉備玄徳のように魅了されたのだった。

 久秀曰く、「日の本に三つの信あり。一人は信玄。いま一人は謙信。この二人を除けば、おのずと天下は信長殿の膝下に転がり込みましょう」

信長は息を呑んだ。いずれも、とても勝てそうもない相手だ。

「どうすれば、除けますか」

「ワシに任されよ」

久秀は厚い唇を綻ばせてにんまりと笑った。

 その結果が、信長包囲網であり、包囲網の瓦解だ。久秀に誘き出され、本拠地を離れたた信玄、謙信は、久秀の放った忍びに殺された。その跡地を襲って、信長は勢力を拡大した。いわばマッチポンプの関係だ。久秀が火を点け、信長が消して回る。結果、織田は日本に比類ない勢力となった。

 邸に火が付いた。

「どうすればよろしいか」

また、信長は尋ねた。そこへ、森成利が駆けつけた。

「殿、明智の兵が迫ってござる。はや、ご自害を」

外から盛んに喚声が聞こえていた。森はまた駆け出して、廊下に迫った敵を槍で突き殺した。

「いま一人の信。織田右府信長公を助けて進ぜよう」

久秀は言った。

「貴公に天下を取らせる。これは、ワシの大望でもある」

彼の傍らにいた猿飛加助が、着物を尻からげにし、下帯を解いた。そして、おもむろに信長に向けて尻を突き出した。

 信長は思わず顔を背けた。痩せた加助の尻は肉が薄く、黒々とした肛門が剥き出しだった。

「拙者が手本をお見せしよう」そういうと久秀は、信長に背を向けて蹲踞し、加助の尻に頭を向けた。信長はハッと息を呑んだ。な、なんということだ。大柄な久秀の体が、まるで吸い込まれるかのように加助の尻の穴に潜り込んでいた。

「あうう、あ、あうう」

加助が涙交じりの声を漏らした。頭から、肩、背中、腹。三度瞬きする間に、久秀は、白足袋に包まれた二つの足の裏を、加助の尻から覗かせるばかりとなった。猿飛忍法、目処迷宮。またの名を、松永ダンジョン。かつて、戦場で何度も窮地に立たされた久秀は、そのたびに、子飼いの忍者、猿飛加助の腹の中に潜り込むことで虎口を逃れた。加助のケツメドは、いわば久秀の最後の砦。ダンジョンだ。

「信長殿。急がれよ!」

声を残して久秀は消えた。彼はダンジョンに信長を招き、ここから救い出そうとしているのだった。

 不思議な術だ。

 だが、不思議がっている場合ではない。森が防いでいるが、敵はもう間近に迫っていた。加助は、信長を促すように尻を叩いた。信長は改めて彼の尻の穴を覗いた。皮の弛んだ肉の中の、黒々とした穴。見つめていると確かに、迷宮に続く入口に見えてきた。久秀がしたように、信長も顔を寄せてみた。

「ウッ」

あまりの臭さに思わず顔を背けた。その刹那、彼の米神に一発の流れ弾が食い込んだ。


 所変わって、堺の松井友閑邸。ここにはまだ、本能寺での喧騒は届いていなかった。

「腹切る!」

南面の庭に出、脇差を抜いて騒ぎ立てている壮年の侍。

「右大臣殿が身罷った今、ワシが生きていて何ほどのことがあろうか」

銀の刃を米神まで掲げ、黄ばんだ歯をむいて叫んだ。戦乱は届いていなかったが、ここ、徳川家康の宿所には、はや、信長自刃の速報が届いていた。

 寝耳に水とはこのことだ。

 家康は、信長の最も親しい同盟者だ。信長が西国を従え、やがて天下を手中に収めようとする中、かの陣営の最上席を占めることが、家康にとっての最大の野望。それ以上の望みはなかった。この日家康は、当時日本有数の貿易港だった堺を見学に来ていた。戦国大名の子として生まれ、物心ついたころから闘争に明け暮れていた彼の、人生初のバカンスだ。舶来の料理や物品を愛で、貿易商らから海外の土産話を聞き、松井友閑からは直々に茶の湯の作法を習った。そんな寛いだ時間の最中の出来事だ。家康はギシギシと爪を噛んだ。死ぬしかない。師とも兄とも慕う信長が死んだ以上、弟子であり弟である自分もまた、死ぬしかない。

「殿、殿! お待ちくだされ」

足下に跪き、必死に諫言する重臣。徳川きっての猛将、本多忠勝だ。彼を始め、井伊、榊原、酒井、石川など、歴々の譜代の家臣が、袖を掴み、袴の裾を引いて家康を諫めた。ここで死んでどうなるか。今川の人質だった頃に立てた、青雲の志はどうなるのか。

「いや、死ぬ!」

家康は頑として聞き入れなかった。彼には私がなかった。欲がないのだ。妻や我が子ですら政略の道具として使うほど、自分の世界を持たなかった。彼の行動原理はただ一つ。信長に従うことだ。それがなくなった以上、生きている意味はない。刃を腹に振り下ろそうとする腕を、本多は必死に止めた。

「お待ちなされ」

顔面蒼白な徳川主従の前に、僧体の武者が、猫背の従者を引き連れて現れた。

「信長殿亡き後、日本を統べる器の御仁はおぬしだけ。お待ち下され。おぬしに天下を任せよう。いましばらく、お生きなされ」

振り返った徳川主従は目を瞠った。松永弾正久秀だ。出家して頭を丸めているが、どんぐり眼と強欲そうな分厚い唇は、見間違えようがなかった。信貴山城で爆死したはずの男が、何故堺に?

 その時、俄かに鬨の声が上がった。松井邸の土塀を囲んだ武田菱。堺見物に同行していた穴山梅雪が明智に呼応し、徳川を攻めた。家康の首を手土産に、新政権に与しようというわけだ。本多たちは慌てて防戦に向かった。

「徳川殿」

久秀は、呆然と立つ家康ににじり寄った。

「明智を討ち、織田家中を膝下に従えなされ。天下はおぬしのものじゃ」

銃声一発。家康はもんどりうってその場に倒れた。

 今度は久秀が呆然となった。

「殿!」

駆けつけた家康配下の諸将。本多正信、柳生宗厳とその子宗矩、長谷川長蔵など、松永滅亡後、徳川に鞍替えした面々が久秀を囲んだ。やはり出家して、金地院崇伝(コンチクショウノステネコ)と名を変えていた久通までいた。

「父上、如何いたしましょう?」

「いかがもへちまもあるか!」久秀は久通を叱咤した。「さっさと行って、穴山の首を取って参れ」


 そして、慶長八年、西暦一六〇三年。徳川家康こと松永久秀は、江戸で、齢九六にして征夷大将軍宣下を受けた。

(了)

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