ローレンツとカラス

市川拓司


 大学時代の友人七、八人と気安い感じの集まりがあって、久しぶりに顔を出したわたしは、そこで彼のいまの様子を知らされた。


 あんまりよくない、と男性のひとりが言った。

「ほら、オレ今度結婚するだろ? それで式に出てもらうと思って連絡入れたらさ、なんか様子がおかしいんだよね。言葉吐くのにも苦労してるって感じでさ……」

 病気なの? とわたしがくと、かもしれない、と彼は答えた。

「仕事してないって言ってたし、なんだかろくに食ってないようだったな。金はあるのか? って訊いたら、気にしないでくれ、って笑ってたけど」


 そこで、急に話が盛り上がって、彼のアパートに行くことになった。大学時代と同じところに、いまだに住み続けているらしい。

「あいつのしおれてる姿なんて、想像できないよな」

「ああ、いつだって過充電されたバッテリーみたいだったからな」

 そんな男性たちの話を聞きながら、わたしたち女性陣は彼らの少しうしろを歩いていた。

「もうすぐじゃなかった?」とひとりの女の子が言って、「そう、その角曲がってすぐ」ともうひとりの女の子がこたえた。

木崎きざきくん、ずっとバイクでヨーロッパを回ってたんだよね?」

 そのあとどうしてたか知ってる? と彼女たちがわたしにたずねた。ここにいるひとたちはみんな、わたしと彼がいっとき付き合っていたことを知っている。

 わたしはかぶりを振った。

「何度か絵はがきもらったけど、わたしの住所が変わってからは、もう連絡もなにもなかったから」


 彼はわたしの初めてのセックスの相手だった。そして、彼もわたしが初めてだった。

 盲腸をこじらせて腹膜炎になり、動くことのできなくなった彼を介抱したのがふたりのつきあいの始まりだった。すっかり弱っていた彼は、拾われた仔犬こいぬのようにわたしになついた。

 それから半年ぐらい付き合って、わたしのほうから距離を置くようになった。すごく親密な関係から、またもとの友達付き合いへ。彼はいつだってフランクで、まるで太陽のように陽気なひとだったから、そんな関係も少しも不自然にはならなかった。


 アパートはまだそこにあった。懐かしい。最後に訪れてから何年つんだろう。

 階段を上り、彼の部屋の前に立つ。彼に連絡を取った男性が代表してチャイムのボタンを押した。反応はなかった。

 まさかな、と彼は言った。そんなことはないよな? もう一度押して、応えがないことを確かめると、彼はドアノブに手を掛けそっと回した。ドアはあっけなく開いた。


 木崎? と彼は声をかけた。そして靴を脱いで上がり込む。わたしたちは外で待った。心臓が痛いぐらいどきどきしていた。

 いたぞ、と奥から声があった。わたしたちは身を押し合うようにして、せまい玄関から彼の部屋に上がった。


 彼は奥のベッドにいた。腕を組んで胎児のように丸くなっている。髪もひげも伸びっぱなしで、もともと細いひとだったけど、いまはさらにせこけて、まるでキリストみたいに見える。よれた茶色のコーデュロイパンツと灰色の長袖ながそでのTシャツ。あのころと変わらない。いつだって、彼はこんな装いでキャンパスを歩いていた。


 男性のひとりが彼の額に触れ、それから顔を寄せて息を確かめた。

 大丈夫だ、と彼は言った、眠ってるだけだよ。熱もない。

 わたしたちはほっとして顔を見合わせた。人騒がせなんだから、とだれかが言う。みんなが笑うと、その声で彼が目を覚ました。

 目をごしごしこすりながら、なんだぁ? と間延びした声を出す。そして彼は、「あ、由佳ゆかがいる」と言った。 

 そうやって、わたしたちは再会した。

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