第191話 すべてを変える、小さな声⑩

 千を超える下僕しもべたちその悉くが展開しても足りぬとの判断であった以上、天使の拘束に手を取られた状況であれば遠からずこうなることはわかってはいた。

 複数の魔物領域を短時間で制圧可能な序列上位者が力を尽くしても、場所はどうしても生まれ始める。


 ――これ以上かかれば、犠牲が出はじめるか。


 沈黙を保つⅠの様子を注視しつつ、黒の王ブレドがそう判断する。

 その状況を力技でもなんとかするために、そう何度も使えぬ己の奥義の一つを使用することを決めんとした直前。


 ポルッカら人の代表たちに任せていた「説得」が、その一体目が表示枠に映し出される。


 アルフレッド・ユースティン・フィッツロイ。

 己がかつて救った少女に今救われた、人類筆頭の冒険者。


『殺してくれって、頼んだはずですが……』


 まだ見た目は無表情に美しい天使のまま、だけど間違いなくアルフレッドの声で黒の王ブレドへとバツが悪そうに語りかけてくる。


 内心で快哉を上げたくなるのを堪えつつ、「黒の王」らしくそれに応える。


「泣かせた女性に感謝するのだな、色男殿」


 それでも主のこのような物言いに、表示枠を制御する管制管理意識体ユビエや、直通表示枠を展開している一桁ナンバーズたちは驚かざるを得ない。


 自分の言葉を実現してみせたクラリスは、顔を真っ赤にして茹っているが。


『感謝の意はどのように表現すべきでしょうか、我が主マイン・フューラー?』


「それは己で考えるべきだな、紳士を自認する我が騎士殿」


 苦笑い含みで問うてくるアルフレッドに、黒の王は突き放した答えを返す。

 そしてヒイロの時に、これでもかとばかりに弄ってやろうと決意している。


 その様子を見ていた下僕しもべたちは、主とそのような気安い会話をいつか自分も交わせるようになることに憧れる。


 アルフレッドが率いる天空城騎士団ユビエ・ウィスピール・ナイツ、元『矛盾パラドクス』の通り名エリアスで呼ばれたメンバーたちはみな、自我を取り戻しているようだ。

 天使のカタチは素体に左右されるようで、きっちりアンヌたちは「女性体」の天使となっている様子。


「黒の王、なんとかなったぜ」


 それを突破点としたかのように、ポルッカからも報告が上がる。

 それと時をほぼ同じくして、少女王スフィアが、ユオ皇女殿下が、アンジェリーナ総統令嬢が涙にぬれた、だがとびっきりの笑顔で黒の王ブレドへと吉報を告げる。


 為すべきを為し、自信と歓喜に満ちた美女の笑顔は相当の破壊力を持つ。

 ポルッカもいい表情をしているが、さすがに男の涙目笑顔に感動はしても心を奪われたりはしない。したら事だ、いろいろと。


 エヴァンジェリンやベアトリクス、管制管理意識体ユビエや白姫でただ美しいだけでは動じなくなっていた黒の王ブレドが、実は三美姫のその笑顔に今初めて心を奪われたことは気付かれてはならない。


 特に名を秘す数名にだけは。

 たとえすでにジト目で表示枠越しに黒の王ブレドを見つめてきていてもだ。


 だがこの一件で、ヒイロがどこか義務めいて考えていた三美姫をそばに置くという処置は、ヒイロが望んでそうしているのだという自覚を生むことになる。

 分身体としてのヒイロの生涯を、その三美姫と共にラ・ナ大陸の発展に捧げることを己が愉しみと同義だと見做すほどに。


 少女王スフィアが『九聖天ノウェム・サンクアテイル』を。

 ユオ第一皇女が『八大竜王アハト・リンドヴルム』を。

 アンジェリーナ総統令嬢が『五芒星ファイブ・スターズ』を。


 そしてポルッカが冒険者ギルドの最深部攻略組たちと、アーガス島冒険者ギルドが誇る三大受付嬢の一人であるリコ嬢が、『黄金林檎アルムマルム』の某幹部殿想い人を、己の想いで人へと戻した。


 だからといって、すべての憑代とされた者が人に戻れたわけではない。

 戦場において、犠牲が皆無などということが在り得るはずもないのと同じように。


 だがこれは間違いなく、人の意志が超越者に、この世界をおもちゃのように扱う存在の意図をひっくり返した最初の一手であることも疑いはない。


 ポルッカの言うとおり、被害はあれど人は勝ってみせたのだ。

 世界が強いる、理不尽に。


 そのタイミングで、白と金で彩られていた人の意志を取り戻した天使たちが、その姿を変じはじめる。


 頭上に輝いていた光輪ニンブスは消え、捻じれた山羊角へと変じる。

 背の純白の羽は漆黒の巨大な蝙蝠羽へと変じ、身体も黒く、刺々しいものへと変じる。


 それは堕天。


 ――いわゆる悪魔人間デビル○ンですね、これ。


 幸いにして体は緑ではないが、血はどうか知らん。

 ともかく天使の力を奪った人は、天使ならざる者へと変じた。


 となればその力を駆使して、当初の目的を完遂するのみである。


『これ、元の姿に戻れるんですよね? ね?』

 

 『女型めがたデビル○ン巨人』となった女性陣がわりとせっぱつまった質問を各所でしているが知らん。

 まあルシェルは普通に人型になれてるから大丈夫じゃないかな? どうかな?


 どうあれ天空城ユビエ・ウィスピールとしては全面的に協力する所存である。

 各国の精鋭と冒険者の攻略組がみなデ○ルマンでは絵面が悪すぎるし、その辺はルシェルにも本気で協力してもらうことにしようと決める黒の王ブレドである。


 ――どうにもならなかった人は、天空城うち入りかなー。


 ともあれ有事には人を超えた力を行使できる『堕天の軍勢』を、人の世界は手に入れたのだ。

 その最初の仕事は、人の世界を滅ぼさんとする「天使襲来」の排撃となるのは当然だろう。


『これをよしとするのか、貴様は』


 低い声で、すでに攻撃などを諦めたらしいⅠが黒の王ブレドに問う。


 たしかにこんな空気に支配された「天使襲来」は「最初の敗北者十三愚人のⅠ」の長い長い記憶の中でも初めてのことではある。

 だが犠牲が皆無なわけでもなく、そのわりには「ふざけ過ぎている」と感じたものか、その声には怒りにも似たモノもにじんでいる。


 大部分は困惑だが。


「人が『連鎖逸失ミッシング・リンク』から解放されてから、何人の冒険者が迷宮ダンジョン魔物モンスター領域で犠牲になったか知っているか?」


『必要な犠牲だと宣うつもりか』


 その通りだ。


 己のなしたい事をなすと決めれば、なんらかの犠牲はどうしても生じる。

 時間であったり、他のやりたいことであったり、時に友人や家族、恋人ということもある。


 それが社会という集団が目指す困難に挑むのであれば、そこには死を含んだ犠牲が伴うのは至極当然のことだとしか言えない。


 いや己で決めたことの途上で死に至ったとしても、それはその個人がということであり、少なくとも本人は犠牲とは思わないはずだ。


 自分で決めて生きるとは、そういうことだと思う。

 

 それでもそこを目指すと大部分の人が決めたがゆえに、途中で倒れた者の想いも引き継いで愚直に続けてきたからこそ、人は今この位置に辿り着けているとも言えるのだ。


 だが答えた黒の王ブレドに対して、今度こそはっきりとⅠは鼻白む。


 だが黒の王ブレドにしてみればなにをいまさらという話でもある。

 泣きわめく、もしくは極めて深刻な空気に包まれればすべての者が救われるというのであればそうもしよう。


 だがそんなことが望めるはずもない以上、笑えることはいいことだ、と思う。

 それがたとえどんな場所、状況においてでも。


 そもそもすべての憑代を始末せよと言っていた当の本人が、なにを仰ると言いたくもある。


 だが――


 ――シェリルさんもそうだったけど、は言えないんだな、おそらく。


「それを決めるのもまた、人だな」


 十三愚人――かつて敗れたプレイヤーたちの集団――には天空城ユビエ・ウィスピール勢に「こう動いてほしい」という願いがあるのは伝わってくる。


 だがそれをストレートに伝えることは禁じられているのだ、おそらくはゲーム・マスターとでも言うべき存在に。


 ――二○紋でも出るのかしら?


『私は認めない。こんな――』


「貴様に認められたくて生きているわけでもなかろう、この世界に在る者たちも」


 だったら自分たちの思うがままに生きるしかないのは、もなにも変わらない。

 願わくば思うように生ききって終わる死をも含めて「人生」だと呼びたいと黒の王ブレドは思う。


 そしてそれは、間違いなく強大な力を持っているこっちの方が叶えやすいと思うのだ。


『言うじゃないか……今回は引くとしよう』


 そう告げて、現れた時と同じく忽然と「はじまりの賢者」は姿を消す。

 どうせ法則はずれの力チートの類だろうし、感知や確保は諦めている。


 ――はずがない。


 『管制管理意識体ユビエ』とすべての侍女式自動人形オート・マタたちは、みな頭から湯気が上がるくらいに超過駆動を続けた結果、Ⅰの発信位置を捕捉してのけている。


 とはいえ今はまず、「天使襲来」を終わらせることが先決だ。


「さて、人の手には負えぬ段階にそろそろさしかかるな。一年以上も貼りつかせておいてルシェルの見せ場を奪うわけにもゆかんが、4人の御使いと第七の喇叭の天使長以外の11体は私に任せてもらおうか」



 人の意志――は見せてもらった。


 次は堕天使長ルシェル・ネブカドネツァルと天空城の首魁である黒の王の力を以って、これ以上の犠牲をたった1人も出すことなくこの「天使襲来」――あらゆる展開から大きく逸脱した、この世界最初の『世界変革事象』を終わらせるのだ。

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