第045話 その冒険者、迷宮を解放せし者。③

 そんなポルッカの様子に、天使のような微笑を浮かべてヒイロが軽い調子でいう。

 だがその目は笑っていないし、ポルッカの言葉もその内容の割には緊張に震えている。


 先のポルッカと同じように、声をひそめてヒイロが告げる。


「――近日中に世界中の魔物モンスター領域、迷宮ダンジョンすべての『連鎖逸失ミッシング・リンク』は消失します。適正レベルの冒険者であれば、どこでも攻略継続可能になるということです。――冒険者ギルドが率先してそれを掌握し、攻略の基礎を固めるべきです。要らない犠牲を少なくするためと……」


 予想の斜め上なんて言うものじゃないヒイロの言葉に、ポルッカの表情がなくなる。

 一瞬後に再起動し、顔芸のような表情でヒイロを見上げる。


 ヒイロの言葉の続きは、語られるまでもなくポルッカにも理解できる。


 冒険者ギルドが莫大な利益を上げ、やり様によってはさっきの話にもあったように国家や巨大宗教とさえ渡り合える組織に一気に、ことさえ可能だということ。


 それだけの情報を、今ヒイロはポルッカに提供したのだ。


「あ、それと『黄金林檎アルムマルム』と、フィッツロイ公爵家は冒険者ギルドからの要請があれば必ず動いてくれます。それまでは


 そしてそれが与太話ではないことを、大手ギルドと大貴族の名前を出すことで保証までしてみせる。

 ポルッカが上にあげる報告を、どこかで握りつぶされることが無いようにすでに手を打っているのだ。


 そして今まで何のつながりもなかったはずの「フィッツロイ公爵家」の名が出るということは、さっきポルッカが言った「超が付く有名パーティー」が誰なのか、ヒイロは確実に知っている。


 そしてヒイロの指示に従うようにして大貴族が動くということは、それだけの貸し、ないしは利益をヒイロが与えたということに間違いない。


 つまり「超が付く有名パーティー」はヒイロので生きている。 


「ヒイロの旦那、アンタ……」


「内緒ですよ?」


 自分の思考に囚われてしばらく絶句していたポルッカが我にかえって発した言葉に、先と変わらぬ天使のような笑みでヒイロが告げる。


 ご丁寧に唇に人差し指を当てている。

 世界をひっくり返す情報を得た状況でありながら、その仕草が妙に様になっていることに、軽くイラっとするポルッカ。


 その複雑そうな表情を見て笑いながら、世間話が終わった程度の気楽さでヒイロが冒険者ギルドの扉を開け、今日も今日とて迷宮ダンジョン攻略へと赴く。


 くそ忙しいにもかかわらず、手を止めたままポルッカはヒイロの出て行った扉をしばらく見つめていた。


 今自分に去来している感情とか驚愕とかを、どう表現していいかわからない。

 自然と出てきたのは、演技でやっても様にならない苦み走った大人の表情というやつだ。


 もちろんポルッカにそんな自覚はない。


「その冒険者、取り扱い注意。――ただし取り扱いを間違えなければ、莫大な利益をもたらすこともある、ってことかい」


 どうやら自分はヒイロの担当者となった瞬間から、御伽噺だか英雄譚だかの登場人物、ただし脇役になってしまったらしいことを、ポルッカは自覚して自嘲する。


 ――だったら今回の件は、こう語られでもするのかね?




 その冒険者、迷宮ダンジョンを解放せし者。




 己のバカな考えを鼻で笑い飛ばし、ポルッカはいっそ落ち着いた歩調で自分が勤める冒険者ギルド支部長の部屋へ向かう。


 間違いなく冒険者ギルド史に刻まれる、とんでもない情報をその手にして。











「ちょっとヒイロ君! アンタ私のパーティー募集に名乗りくらい上げなさいよ! 男の子でしょ?」


 いつものようにエヴァンジェリンとベアトリクスに見送られながら迷宮攻略を開始しようとしているヒイロに、冒険者ギルドから息を切らして走ってきた女が自信過剰な発言を叩き付ける。


 だが自信過剰とは言い切れないかもしれない。


 その艶のある白銀の髪も、艶めかしい褐色の肌も、露出の多い布と金鎖細工で編み上げられた衣装に包まれた肉感的な肢体も、なによりも少し厚めの朱の唇と金の瞳に飾られたかんばせは、派手目ではあるが確かに美しい。


 額には第三の目のような、美しい宝石が飾られている。


「美女は間に合ってます」


 加速度的に機嫌の水位を下げていく二人に気を遣いつつ、心の底からうんざりした様子でヒイロが応える。


 男として生まれたからには、一度くらいはそんな心情になってみたいもんだと創作物を読んでは思っていたヒイロの中の人だが、いざなってみるとそんなに心楽しいものでもない。

 わりと本気でウンザリするだけだ。


 有力冒険者として名を上げた結果としては妥当なところだが、『黄金林檎アルムマルム』の威光が通用しないこういう御仁もたまにはいるということだ。


 ヒイロの目にはポルッカが言っていた通り、目の前の銀髪褐色美女が「踊り子」のレベル3であることが表示されているので、必要以上の警戒はしていない。


「あら美女とは認めてくれるのね。じゃあまあいいわ」


 ヒイロの言葉にからからと笑いながら、その肉感的な躰をヒイロの方へ近づける。


「なんの御用ですか?」


 エヴァンジェリンとベアトリクスの機嫌が危険域に入るのを防ぐため、ヒイロが真っ当な質問を投げつける。


「ちょっと殺気立たないでよ、怖い。動けなくなるじゃない。『鳳凰』と『真祖』ともあろうものが、ちょっと余裕なさすぎじゃない?」


 ヒイロの脇を固めるように動いたエヴァンジェリンとベアトリクスに怯むことなく、ヒイロへの距離をあっという間に詰める銀髪褐色美女。


 間違いなくただのヒトであるにもかかわらず女が口にした意外な言葉に、不覚にもヒイロも、正体を当てられたエヴァンジェリンとベアトリクスも一瞬硬直する。


「!」


 その瞬間、抵抗する余地も与えられずに唇を重ねられる。


 ヒイロは目を見開き、『千の獣を統べる黒シュドナイ』の尻尾九本が全部ぴんと立ち、エヴァンジェリンとベアトリクスの髪が物理的に逆立つ。

 ヒイロの真横に、『管制管理意識体ユビエ』の表示枠も現れている。多少ノイズが入っているのは『管制管理意識体ユビエ』の動揺ゆえか。


 ヒイロが目を白黒させている間に舌まで入れられる。


 その瞬間。


『私のことを護ってくれるなら、私はアンタについてもいいわ、ヒイロ君。それとも――『天空城ユビエ・ウィスピール』首魁『黒の王ブレド・シィ・ベネディクティオ・アゲイルオリゼイ』って呼んだ方がいい? 長いわね、この名前。あ、返事は今度でいいわよ』


 ――接触テレパス!


 プレイヤーにだけ取得可能な、他のプレイヤーと通信するためだけの能力スキル

 お題目では、運営にさえその内容は明かされないとされていたもの。


 だが余りの事に考えが纏まらない。


 ヒイロの驚愕を意に介すことなく、充分に大人の接吻を愉しんだ後ヒイロを解放する。

 少しだけ糸を引く、細い唾液がいやらしい。


 ヒイロの思考はほぼ停止している。


「御馳走様。今日のところはこれで引くわ」


 その言葉通り、己の唇をその細腕でくいと拭い、いい笑顔で身をひるがえす。


「燃やす」


「吸う」


 据わった眼の二人がそれを赦すはずもない。

 何となれば目に涙すら貯めている。

 

「何言ってんのよ、どうせ三人でくんずほぐれつ、毎晩爛れた営み繰り広げてんでしょ? 接吻くちすいくらいで殺気立ちなさんなよイイオンナが」


 だが余りの爆弾発言を放り込まれ、二人とも顔を湯立たせて硬直する。

 それを見てけらけらと笑いながら謎の女が去ってゆく。


「いいわね、ヒイロ君。すごく愛されてて」


 ――ええ、そうでしょう。

 

 だが涙目でヒイロの方を振り返る、今まで見たことのない表情のエヴァンジェリンとベアトリクスを見て、ヒイロは本気で天を仰いだ。

 表示枠に映る『管制管理意識体ユビエ』は怖いくらいの無表情。


「にゃ、にゃ~ん……」


 『千の獣を統べる黒シュドナイ』の猫のふりは、何一つヒイロを助けることは出来そうになかった。

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