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 翌日、王都のランドマークである噴水の前で落ち合った三人は、連れ立って往来を歩いていた。

 昨夜準備したものや道中で買ったものはまとめてエルンストに預けているので、ニコラ自身は身軽だが気分は晴れようはずもない。



 神様に関連する案件。それは前世の同業者が選ぶ『関わりたくない仕事ランキング』堂々の二位をいただく厄介な代物だった。

 神というものは理不尽な上、すぐ祟る。面倒なことこの上ないのだ。


 ちなみにランキング一位は呪い案件なのだが、こちらは後味の悪さで皆避けたがるのであって、面倒臭さでは圧倒的に神様案件の方に軍配が上がる。憂鬱にもなろうというものだった。



 ニコラの右隣を歩くジークハルトに不機嫌そうな様子はなく、むしろニコラの手を引いて歩く様は楽しげにも見える。


「……やけに機嫌がいいですね」

「え? あぁ、よくよく考えたらニコラとこうして街を歩くのも久しぶりだろう? 見方を変えれば休日の逢い引きデートだと思って」


 白皙の美貌をあどけなく緩めて、ジークハルトはニコラに笑う。

 昔から変わらず向けられる、甘ったるい眼差しと全幅の好意に危うく絆されそうになるのを振り切って、ニコラはふいと明後日の方角を向いた。


 斜め後背ではエルンストがボソリと「閣下は随分と好事家こうずかなのだな……」と呟く。


 顔立ちも平凡で、たわわに実った果実もニコラは確かに持たない。ジークハルトが好事家なのは全面的に肯定する他ないが、赤の他人に言われるというのはそれはそれでイラッとしてしまう。

 意趣返しにニコラは首だけ振り向いて言い返した。


「言っときますけど、好事家というなら貴方の主も大概ですからね」


 〝好〟の意味合いこそ違えど、ニコラに興味津々であるあたり、アロイスもまた物好きであることは間違いない。

 不本意にも反論出来ないらしいエルンストはふよふよと口元を波打たせて黙り込み、精悍な顔立ちが残念なことになる。


 そうこうしていれば、程なくして件の廃墟に辿り着いていた。






「ここが……」


 王都の外れ、整備された煉瓦の道ももうすぐ終わろうかというほんの手前に、ウィステリアの青葉が青々と生い茂ったその建物はあった。


 王都は中心地こそ建物が隙間なく密集しているが、外縁に近付くにつれ、建物同士の間隔は広くなっていく。

 そんな王都の外れのほとんどきわに位置する廃墟の両隣は、既に完全な空き地となっていた。


 その廃墟から一番近い建造物は、中心地寄りの斜向かいの建物にあたるが、それも二十メートル以上は離れていて、辺り一帯ごと物の見事に寂れている。




 建物自体を見遣れば、全ての面を一部の隙もなくウィステリアに覆い尽くされていて、外観はざっくりと、茂った緑の輪郭でしか掴めない。

 建物とそこそこに広い庭の外周には錆びた鉄の飾り格子があるが、その柵からも溢れんばかりに雑草が飛び出していた。


 見れば見るほどいかにもな肝試しスポットではあるが、よくもまあこんな所に入ろうなどと思うものだとニコラは関心する。

 スポットとして不味い以前に、虫が大量にいそうで絶対に近付きたくない。



「エルンストたちは、この庭を突っ切ったのかい?」

「いえ、建物の裏手に恐らく使用人が使っていたらしい勝手口があって、そこならば庭を横切らずに入れるのです。自分たちはそこから入りました」

「じゃあ、そこから入りましょう」



 エルンストに先導してもらい裏手に回れば、確かに錆びた飾り柵の切れ目があって、そこから建物自体は近い。


 恐らく肝試しに訪れる人間は皆そこから入るのだろう。

 飾り柵から建物までの数メートルは、茂る雑草が踏み固められて、獣道のようになっており、建物を覆うウィステリアの隙間からは勝手口らしき小さな扉が覗いていた。


「行くかい?」

「いえ、まだです。まだ準備が足りません」


 ニコラは首を振って、エルンストに預けていた荷物の中から昨夜準備したものをごそごそと探す。


「あぁ、ありました」

 ニコラは手に触れた薄いそれを引っ張り出すと、ジークハルトに手渡した。


「これは? 随分と独特な……お面、なのかな」

「えぇ、お面です。ジークハルト様はコレをつけて中に入ってください」


 ジークハルトに手渡した物。それは雅楽などに用いる雑面ぞうめんだった。

 長方形の白い紙に白絹を貼ったその表面に、三角や三つ巴を使って目や鼻や口などを象徴的に描いたソレは、なかなかにひょうきんな表情の仕上がりになっている。

 

「神様は綺麗なもや美しいものが好きですから。ジークハルト様が素顔を晒して中に入ったりすれば、ミイラ取りがミイラになる可能性が高い」

「みいら?」

「神様が気に入って、帰してくれなくなります」


 顔さえ隠せれば、別に雑面ぞうめんでなくとも良かったのだが。

 気乗りしない場所に乗り込まざるを得ないのだから、視覚的に少しでもコミカル要素を足そうという、ニコラの小さな悪足掻きだった。


 面を顔に当て、上辺に渡した紐を後頭部で結ばせる。

 麗しのかんばせが隠れてしまえば、目につくのは初秋の陽光を眩しく弾く天使の輪キューティクルと、背まで流れる豊かな銀糸だった。


 ニコラはその一筋を掬いとって呟いた。


「ジークハルト様。最悪、この髪を切ることになるかもしれません……」


 髪に砂でもまぶして艶を消すことも一度は考えた。だが、供物くもつが足りずに神の機嫌を損ねてしまった場合のことを考えると、切り札は残しておきたい。


 髪の毛は最も手軽で痛みを伴わない供物になりうるのだ。

 ニコラの凡庸な黒髪と違い、ジークハルトの鏡のように輝く銀髪は価値も相応に高いだろう。

 

 浮かない顔のニコラを安心させるように、ジークハルトはニコラの頭に手を置く。


「いいよ、私はこの長い髪に未練はないから。昔ニコラが、綺麗な髪は伸ばしておいた方が色々都合がいいって言ったから、今もこうして伸ばしているだけだしね」


 ジークハルトは面をふわりと揺らして、使い所があるなら有効活用して欲しいと、なんの感傷も見せずに言ってのける。


「……神様の出方が分からないので、どうなるかは分かりません。正直出たとこ勝負なので……。でも、なるべく切らずにすむようにします」


 アロイスの神隠しには目的や意味があるのか、ただの気まぐれなのか。話が通じるタイプなのか、通じないタイプなのか。

 それら全てが分からない以上、保険は必要だった。


 正直、本人よりもニコラの方が、この美しい髪を惜しんでいるのだろう。

 だが、どうしても勿体ないと思ってしまうのだから仕方がない。


 ニコラはくるりとエルンストの方を振り向いた。


「エルンスト様に関しては、本当に殿下の元まで辿り着けない可能性があります。建物自体に入れないかもしれないし、中で私たちとはぐれてしまうことも有り得ます。その時は一応、門限ギリギリの時間までは待って、門限を超えてしまいそうなら学院に戻って下さい」

「……分かった」


 今日一日で決着しない可能性など考えたくもないが、神様と関わる以上、有り得なくもないのだ。


「それでは、行きましょうか」

 三人はようやく、錆びた飾り柵の隙間に身を滑らせた。




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