3




 何とか身分的に場違いなお茶会を乗り切り、お開きになったそのたった数刻後。

 もうすぐ夕餉時で門限もギリギリという時間に、ニコラは腕を組み仁王立ちで苛立たしげに寮の裏手に立っていた。


 目の前には、ほんの数刻前に別れたばかりのジークハルトと、簡素な私服を身にまとったやけに深刻な顔をしたエルンストが立っていて、ジークハルトに促されたエルンストは渋々と走り書きのメモをニコラに差し出した。


 所々掠れているあたり、インクを付け足すことさえ惜しんで急いで書いたのだろう。

 乱れた筆跡からも余裕のなさが窺えるソレを、ニコラは斜め読みした。






 〝ニコラ嬢へ


 多分こういうことを軽々しくしてはいけないんだろうということは百も承知なのだけれど、王都の外れの廃墟に度胸試しで行くことになってしまったんだ。

 隣国の王族に何かあれば外交問題だし、彼らだけを行かせる訳にもいかないので、僕もついて行かざるを得なくなってしまったけれど、本当にあの手この手で止めたんだ……本当に。


 もし本当に行ってはならないような危ない場所なら、すまないけれど、このメモを読み次第追いかけてきてくれないかな。無理を承知でお願いするよ。ごめんね。


 アロイス〟






 ニコラは無言でぐしゃりとメモを握り潰す。


「ニ、ニコラ……? アロイスも本当に興味本位で行った訳ではないんだよ。ほら、相手は数代前まで戦争をしていた国の王子だから、リュカ殿下の身に何かあれば、本当に外交問題になるんだ。だからアロイスも……ね?」


 ニコラが以前言った『自業自得なら容赦なく見捨てる』という言葉を覚えているのだろうジークハルトは、必死に取り成そうと言葉を重ねる。

 地を這うような声でニコラは唸った。


「えぇ……そうですね。行く前にちゃんと知らせようとしたことは良いと思います。それ以外は全っ部最悪ですけど。…………でもそれも、全っ部が遅いんだよなぁ」


 ニコラが低くそう言えば、エルンストはグッと眉間にしわを寄せて俯いた。


 そう、遅いのだ。

 ニコラの手にこのメモが渡ったのはもはや日が暮れる一歩手前という、門限ギリギリのこの時間。


 対して、アホな隣国の王子を含む留学生たちとアロイスが廃墟に向かったのは、茶会が始まるより前の時間だという。そして門限が迫る今この時間に、アロイスの姿はない。


 要するに、隣国のバカ王子含む取り巻き留学生たちが度胸試しとして、曰くありげな廃墟に向かうと言い出し、それを止められなかったアロイスも同行することになり。

 アロイスはニコラに走り書きのメモを残してエルンストに託したが、ニコラを信用していないエルンストは独断でそれをニコラに渡さず度胸試しに同行した、ということだった。


 その結果、度胸試しを終えて廃墟を出ようとした時には、アロイスの姿は忽然と消えていたらしい。

 それをアロイスの悪戯だと考えた留学生一行とエルンストは一度学院に戻って来るも、いつまで経ってもアロイスは帰って来ない。


 そうして途方に暮れたエルンストがジークハルトを頼り、そのジークハルトがニコラを頼って、今に至るという。






 王都にある廃墟は一つだけ。ニコラは頭痛をやり過ごすために頭をぐりぐりと押さえる。

 生い茂った藤が絡みつくその廃墟は、ニコラとて近付きたくないと思う場所だった。


 数年前に家族と小旅行で王都を訪れたニコラは、とんでもなく禍々しい廃墟の近くを通ることがあった。

 怖気おぞけが走るほどの瘴気を放つ、ウィステリアが一部の隙もない程に張り巡ったその建物の奥深くに、微かに清浄な神的存在の気配を感じたのだ。

 だからニコラは漠然と、あそこには堕ちた神様でもいるのだろうなと思っていた。


 信仰心ありきの神は案外すぐに堕ちてしまうのだ。特に多神教は一神教より、信仰が揺らぎやすい。

 そんな、堕ちた神様がいるかもしれない禍々しい場所で、人が忽然と消える、それは───。


「完全に神隠しなんだよなぁ……」

 ニコラは深いため息と共に呟いた。






「……とりあえず、門限の点呼の不在は何とかします」


 寮生活な以上、門限の時間には寮監による点呼が実施される。

 仮にも一国の王子が点呼に不在で行方不明ともなれば、さすがに大騒ぎになってしまうだろう。


「ジェミニ! 殿下に成れるね?」

 鳩の姿をとっていた使い魔は、スイと背後の木から降り、地面で一度跳ねる。


「勿論だよ。ニコラ嬢」

 そんな声が聞こえた時には既に、アロイスと寸分違わない金髪碧眼の青年が立っていた。


「で、殿下ッ!? 今まで何処にいらっしゃったのですか!?」


 エルンストが目をこれでもかと見開いてジェミニに迫るので、ニコラは服の裾をガシッと掴み、ジェミニから引き離す。


「エルンスト様、これは本物じゃありませんから」

「なッ! どういうことだ!?」


 エルンストはギュンととんでもないスピードでニコラの方を振り仰いだ。

 だが彼に関しては説明した所で信じないことが目に見えているために黙殺する。

 信じない人間にいくら説明しても、埒が明かない上に、何より面倒くさい。


「ねぇニコラ……コレってもしかしてあの、私の偽物だった……?」


 ジェミニを指差して恐る恐るニコラを見るジークハルトには、ジェミニを軽く紹介しておく。

「そうですけど、もう悪さはしませんよ。大丈夫です。色々あって私の使い魔になりました」

「色々……?」

「色々です」


 これ以上深く聞いてくれるなと、小さく肩を竦める。

 よくよく考えれば、万人に視えるタイプの実体を持ったジェミニはかなり使い勝手が良かった。

 式と違って動かす操作に自分の頭のリソースを使わなくていいというのもありがたい。


 ニコラがジェミニの頭を撫でてやれば、ジェミニは気持ち良さそうに目を細めて頭をぐりぐりと擦り付けた。

 その様子は猫のようで可愛く思えてしまうも、ジェミニの今の姿がアロイスであることを思い出して正気に戻る。

 ニコラはサッと手を引っ込めた。


「今日のところはもう遅いので明日、その廃墟に行って来ます」

「明日だと!? そんな悠長な、いや……」


 エルンストは一瞬気色ばむが、自分がやらかした自覚があるのか、その声は尻すぼみになって消えた。


「相手は神様の可能性があります。神と名が付くものは厄介で、術でどうこう出来るものじゃあないんです。神様の要望次第ではありますけど、基本は正しく祀ること、あとは話が通じるようなら説得と対話、これしかありません。こっちにも準備がいるんですよ」

 

 日本の神を祀るとすれば、水、酒、生米、塩あたりが必要だが、西洋なら何がいいだろうかと思案する。

 かつて専門学校では、和洋折衷一通りの知識を頭に叩き込んだはずだが、やはり日頃あまり使わなかった西洋の知識は記憶が曖昧だ。


 だが、信仰や供物というものは気持ちが大事なのだから、厳密に正しくなければならないという訳ではあるまい。


 茶会の申請で貰える物は貰って、足りないものは明日の朝街に出て買おうか、などと考えていれば、普段より数段低いジークハルトの声が聞こえて顔を上げる。


「ねぇニコラ。まさか一人で行くつもりじゃないよね?」

「そのつもりですけど」


 ニコラの返答に、ジークハルトは見るものを凍らせるような微笑を浮かべた。

 理由は分からないがジークハルトの怒りに触れてしまったことを悟って、ニコラはギクリと身体を強ばらせる。


「絶対に駄目だよ。一人では行かせない。私も行くからね」

「いや、でも」

「駄目だよ」

「でもその」

「駄目」


 優美な笑みを浮かべてはいるが、眼窩に嵌め込まれた紫水晶の奥は笑ってはおらず、剣呑な光を湛えている。

 普段ニコラがいくらぞんざいな態度で接しても全く怒ることのないジークハルトが久方ぶりに見せる怒気に、ニコラは縮み上がった。


 美人の怒りには凄絶な凄みがあるのだ。その上、普段怒らない人間が怒ると余計に恐い。

 ニコラは反論を飲み込んで「分かりました」と言う他なかった。


「俺も……俺も同行する」

「エルンスト様もですか……」

「俺が殿下から目を離してしまったばかりに、こんなことになってしまったんだ。俺も同行させてくれ。頼む」


 そう言ってエルンストは直角に腰を折る。

 自責の念に駆られるエルンストの影響を受けてか、その守護霊もやや悄気しょげたように光を落としていた。


 相も変わらず視ようとせずとも視えてしまう程に力は強いが、いつもそれくらいの光量で居てくれればいいのにとため息混じりに呟く。


「エルンスト様に関しては、連れて行ったとしても殿下の元まで辿り着けるか分かりませんよ」

「それは、何故だ?」

「……信じなくても口を挟まず、そういうものだと思って聞いてくださいね」


 ニコラはそう前置きしてブルーグレーの瞳に目を合わせた。


「本当に、エルンスト様の守護霊は強いんです。殿下のいる場所に行こうとしても、エルンスト様を守ろうとした守護霊に弾かれる可能性の方が高い」


 ニコラたちは明日、自ら神隠しに遭いに行くようなものだ。

 ほとんど神に近いエルンストの守護霊が、守護対象を他の神様に接触させたがるとは思えなかった。


「何でもいい。同行させてくれ」

「それでもいいなら、いいですけど……」


 ニコラの言うことを信じていない以上、辿り着けない可能性というのもそこまで信用していないのだろうが、エルンストはそれでもいいと頷いた。

 まぁ、守護霊に弾かれたところで、恐らくその場に取り残されるだけなので、ニコラとしてはさしたる問題ではない。





 ニコラは深々とため息を吐いた。

 貴重な休日のうち一日は気疲れする茶会、一日はアロイス救出。気の休まる日がないではないかとニコラはやさぐれる。


 明日の集合場所や時間を決めながら、ニコラは何を報酬として強請ねだってやろうかと心中で毒づいた。






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