やらかし神様、人間界で修行する

いとうみこと

アイキノミコト

 ここ早瀬はやせ市は、歴史ある寺院や神社が数多く存在する全国的にも有名な観光地である。その中でも霊山霧山の麓に位置する深町は神代に栄えていたとされる町で、知る人ぞ知るパワースポットだ。


 十二月のある日の早朝、その深町に数多あまたある神社のうちのひとつに、ひとりの女子中学生が祈りを捧げようとしていた。ツインテールの黒髪も、デニムのスカートにグレーのパーカーという服装も見るからに地味だ。ただ、黒目がちな瞳には強い光が宿っていて、その年頃の他の少女とはちょっと雰囲気が違って見える。


 少女は清らかに掃き清められた参道を軽快に進んだ。ここは観光バスが来るような大きな神社ではないが、深町でも五本の指に入る古社だ。手水舎で行儀良く手と口を清めると、きびきびと拝殿の前に進み出て軽く一礼し、更に一歩進むと今度は腰を九十度に曲げ深々と二礼した。それから両手を大きく広げて二拍手をし、再び手を合わせると静かに祝詞のりとを唱え始めた。


 この様子を拝殿の中から真剣に見つめるふたつの瞳があった。痩せこけた体に白い装束をまとい、顎には申し訳程度の髭をたくわえ、少ない髪を何とかみずらに結っている。その細長い顔は白く生気がないのに目だけが血走っていて、総じて気持ちの悪いおっさんだ。


 祝詞を終え、少女が神への挨拶を始めると、おっさんは全神経を集中して彼女の願い事を聞き取ろうとした。


「本当は年末に終わるはずだった仕事が伸びて、まだ暫く帰れそうもないと母から連絡がありました。もう一年近くも会えていません。せめてお正月だけでも戻ってこられるように、どうかお力添えください。よろしくお願いします」


「よっしゃあ! その願い、ワシが叶えるでえ」


 少女が願いを言い終わるか終わらないうちにおっさんが拝殿から飛び出た。参拝者に強烈なインパクトを与えるために考えた作戦だ。


 今度こそ掴みはオッケー!


 少女は口を開け、目を見開いて身構えた。しかし、それはほんの一瞬のことで、すぐさま元通りの姿勢になると深々と頭を下げてくるりと向きを変え、拝殿前の階段を足早に降りて行った。


 おっさんの口はぽかんと開いたままになった。


 今確かに目が合ったよな?


 え? まさかワシ、また無視された?


 おっさんは暫く呆然としていたが、気を取り直すともつれる足を何とか制御して必死に少女を追いかけた。これを取り逃がしては大変だとばかりに。


「待て待て、そこのおなごよ、待つのじゃ」


 少女は立ち止まった。そしてくるりと振り向いたが、その顔は明らかに不機嫌そうだった。


 やはり、このおなご、ワシを認識しておる!


 おっさんは小躍りした。やっと話を聞いてくれる人間に巡り会えたのだ。


「何か用ですか? 私、急いでるんですけど」


 少女は腕を組み、つま先をトントンさせてあからさまなイライラポーズを見せつけてきた。前のめりだったおっさんは慌てて立ち止まる。


「いや、あの、その、悪い話ではないのだ。そなたの願いをこのワシが叶えてやろうと思って……」


 指先をツンツンしながら上目遣いで少女を見つめ、モジモジと身をくねらす様はとてじゃないが見るに耐えない。


「そういうの間に合ってますんで」


 少女は最後まで聞くことなくきびすを返すと、スピードを上げて小走りになった。慌てたおっさんは、最後の力を振り絞って少女の前に回り込み両手を広げて行く手を塞いだ。既に息も絶え絶えだ。


「ま、待て、待てと言うのがわからんのか。ハァハァ、ワシを誰だと思っておる。ハァ、わしはアイキノミコト、高天原たかまがはらから来た神じゃ! ゲホゲホ」


「それはどうも。では、さようなら」


 少女はぺこりと頭を下げて横をすり抜けた。そのまま振り向きもせず鳥居をくぐろうとしたとき、悲痛な叫びが境内に響きわたった。


「待て、頼む、待ってくれ! 人間は神を見るとひれ伏したり手を合わせたりすると聞いたのだが違うのか? のう、答えてくれ、おなごよ」


 その声のあまりの哀れさに、さすがの少女も足を止め、渋々引き返した。改めて見ても、その姿は人間の考える神様とはあまりにかけ離れている。


「アイキ様でしたっけ? なかくには初めてですか?」


「そうじゃ。人間と会うのも初めてじゃ」


「でしょうね」


「神社とて、上から見ることはあったが初めてで、その仕組みがよくわからぬ」


「でしょうね」


「そなたが来る前にも何人もの人間が願掛けをしていったが、ワシが話し掛けても一切無視をするのじゃ。それどころか目も合わせようとはせぬ。まるでワシがいないかのような扱いじゃった」


「でしょうね」


「そなたは先ほどから『でしょうね』としか言わぬが、何が『でしょうね』なのじゃ」


 おっさん神様は不満そうに口を尖らせた。その顔は何かで見たハコフグのようだと少女は思った。


「ところでアイキ様はどうしてこちらに? 高天原の神様は普通こういうとこに降りて来ないでしょ?」


 見る間にアイキノミコトの目から滝のような涙が溢れ出した。神様って泣くんだっけと少女は思ったけれど口には出さなかった。


「実は、色々あって、人間界で百人の願いを叶えるまで帰ってはならぬと姉上に言われたのだよ」


「アマテラス様にですか?」


「え、姉上を知ってるのか?」


「知ってるも何も、この神社の御祭神じゃないですか。その縁でここにいたのでは?」


「何でもお見通しじゃな。そなたの言うとおりじゃ」


 アイキノミコトはそこまで言うとへなへなと座り込んだ。


「すまぬが何か食べさせてくれぬか? 高天原を出るときに神としての力は殆ど取り上げられてしまったのじゃ。空腹がこれほど辛いものとは知らなんだよ」


「それって追い出されたってことですよね? いったい何をやらかしたのやら……」


 アイキノミコトはバツが悪そうに黙った。少女は暫く考え込んでいたが「しょうがないか」と呟いたと思うと、地面に女の子座りをしているアイキノミコトに視線を戻した。


「とりあえずうちに来ますか? うちなら食事を出せますよ。ここの神様たちも迷惑そうな顔してるし」


「まことか? 良いのか? 実は行くあてもないのに早く出て行ってくれとせっつかれて困っておったのじゃ」


「でしょうね」


「何だか色々と傷つくがまあ良い。そなた、名は何と申す?」


「千穂、糺千穂ただすちほ。じゃあ行きますよ」


 千穂はすたすたと歩き出した。その後ろにひょこひょこと頼りない足取りでアイキノミコトが従った。

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