12.夜響は一葉を愛せない

 夜半、静かに寝息をたてる広松ひろまつの横で、夜響やきょうは赤い目を闇に光らせていた。のそりと起きあがる。

「ごめんね所長。やっぱり夜響は、所長に人にされちゃうなんて、やだ」

 くすっと笑えば、いつもと変わらぬ手に負えないいたずらっ子。

「だけど、夜響をわくわくさせるこの欲望が、どんなに危険なものかって知った。あんたがいなきゃ、一葉いちはの心は死んでいたかも。そしたら夜響も死んじまう」

 夜響はゆっくりと、隣のベッドで寝息をたてている男に近付く。

「愛なんて言葉、忘れてた。夜響にあったのは、独占欲だけだ」

 そっと、広松の頬に唇を触れた。ありがとう、と瞼を閉じる。

「だけど夜響はまだ、夜響しか愛せない。そして所長は――」

 着物の裾から曼珠沙華を手に取り、そっと枕元に置いた。

「今の夜響しか見てくれない」

 だけどそのお陰で気が付いた。一葉いちはの影を見て欲しかったこと、構って欲しいのは一葉いちはだったこと。

 割れた窓から夜空へと舞い上がる。その途端、また額に痛みを感じて、たまらず夜空を転げ落ち、目に付いた屋根へすべり降りる。古びた寺の時の鐘、その屋根に腰掛け片手で顔を覆う。

「自由ってのは、こんな痛みと引き替えなのか」

 オニになるというのは、その痛みを麻痺させること。誰かを傷付けても、なんの痛みも感じない。

 苔むした屋根から、遠く街の明かりをみつめれば、いつかモノレールの上から見た、立川の街の明かりを思い出す。あのとき夜響は泣いていた。そして、そんな痛みを起こさせる過去の記憶――一葉いちはを消そうと必死になった。だけど、呪いをかけオニになれば、人を愛することを忘れてゆく。独占欲に、取って変わられる。

 ううん、と夜響は首を振った。「夜響は本当の愛なんて知らないよ。みんな同情だったんだ、一葉いちはへの」

 ――所長を好きんなった。それは所長が弱さを抱えていたから。一葉いちはだった頃、妹はいつも自由の象徴に見えた。あたしだって夜の魔法を借りれば本当の姿に戻れる、双葉のように、好きに出来る。ああ、この夢を叶える方法があれば―― そうやって一葉いちはを悶々とさせて、あいつはオニを生む原因を作った。

 所長は名声なんか欲しくない、金なんか興味ない、と言いながら、結局奥さんに負けたくないから、出世っていう欲をあと一歩のとこで吹っ切れない。

 好かれたい、愛されたいとずっと望んでいたけれど、一番欲しかったのは、自分自身の愛だった。所長やハルカやユリの中に、消えた一葉いちはを見たから、構わずにはいられなかった。彼らを愛することで、捨てた一葉いちはを救おうとしてたんだ。直接、一葉いちはを愛することは出来ないから。だって今の夜響は、一葉いちはの否定から生まれたんだ。

 弱くてちっぽけな自分だから、そんな人に共感できる。だけど、怖いものなしのオニになったら――

「孤独なんて大っ嫌いだよ。そんなことなら自由なんていらない、夜響は愛が欲しい」

 オニになったって自由はない、欲に振り回されているだけ。ライブの熱狂の中で、踊り狂う人たちのように。涙を流し声をらせ、大きく手を振るあの子たちは、あの瞬間、自由を食い尽くしたつもりかも知れない、だけどそれはただ、熱情に浮かされ乱舞する操り人形に過ぎない。

(どこまで行ったって自由なんてないんだ)

 痛みをこらえて宙に浮く。空に漂い、夜の闇に溶け消えた。

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