10.壊れたフランス人形は蜘蛛のように罠を張る
火の消えたようなアパートの玄関前に、ひとりの少女が膝を抱えてうつむいていた。ゆるくうねる黒髪、幾重にもひだのついた黒いロングスカートを、外廊下のコンクリートに広げて、じっと座っている。声をかけようとして
(オニか)
嫌なものを見た、と言いたくなるような、独特の暗鬱な空気が漂っている。
黙って見下ろす広松に気が付いて、少女は顔を上げた。
「広松さん……」
念入りに施した化粧の力か、病的な少女は不思議な美しさをまとっていた。
「助けて」
よろよろと立ち上がり、広松の胸に顔をうずめる。「もうこんな姿でいるのは嫌。人に戻りたい」
魅入られぬよう、広松は一歩後ずさり、
「きみは充分きれいだよ」
少女は強く首を振る。黒髪が首に巻き付く。
「嘘を言わないで。わたしが醜くなければ、なぜあなたは逃げようとするの。みんなそう、オニであるわたしを怖がっているの」
少女は両手に顔をうずめる。「どんなに着飾っても駄目。皆、恐ろしがって逃げ出すの。だけど心まで化け物になった覚えはない、心は人であった昔のように傷付くの。こんなの耐えられない」
すすり泣く少女の姿が夜響に重なる。夜響がこんな弱さを見せてくれたら――
「泣くのはおよしなさい」
広松は少女の両肩をしっかりと握る。少女はうるむ瞳で広松を見上げ、
「広松さんは、神道や仏教や陰陽道にお詳しいのでしょう」
「心得はある。私に任せなさい」
少女の姿が明滅し、その後ろに夜響が透けて見える。自らを魅惑の魔物に変えた少女は、ふっと不気味な笑みを浮かべて、再び夕闇に溶け消えた。花開く時を待たずして、花は自ら花弁を黒く塗りつぶしてしまった―― 広松は危うく、目の前の少女を抱きしめそうになる。
(夜響が俺を頼ってくれたら)
大丈夫だ、とやさしく肩を抱いてやりたい。良かった、と安心して泣きじゃくる夜響は、どんなにかわいいだろう。
鍵を開け部屋に招き入れると、少女はためらいがちに、遠慮深く、部屋へ上がる。だが鍵をかける広松の背中で、ほくそ笑んでいた。「大・成・功♥」
居間のソファに座らせた少女は疲れ果て、レモンティをかき混ぜながら、夜響にオニにされてしまったと、ぽつりぽつり話す様子を見ても、とてもお
「準備が出来るまで休んでなさい」
だが
腹が減って、ゆりが目を覚ますと辺りは真っ暗。
(何時だろ)
(か弱い演技ってのも、結構力使うんだな)
ふらりと窓へ立ち寄れば、辺りの家は皆電気を付けている。深夜ではないようだ。
(夜響来ないじゃん。あいつ毎日広松に会ってんのかと思ったけど。早く悔しがりに来てくんなきゃ、ほんとに人に戻されちゃうよ)
足音に慌てて振り返ると、広松がトイレに起きたようだ。
(二人同時に目を覚ますってことは、何か物音でもしたのかな)
それにしても
それから、そうだ、と気が付く。(広松の側にいなけりゃ、夜響に見られたって、なんの面白みもないじゃん!)
広松は「この体では祈祷は無理だ」と言っていた。夜響が現れるまで、仮病を使っていればいい。
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