腕時計

王生らてぃ

本文

 大好きだった人がいた。

 たぶんあの人はわたしのことなんとも思ってなかったと思うけど、わたしはあの人のことが大好きだった。ただの先輩と後輩の関係だったけど、あの人といつまでも一緒にいたいと思っていた。



「あんたさぁ、時計とか持ってないの?」



 ある日、舞香先輩はわたしの手首をぎゅっと握って持ち上げながら、目を丸くした。



「スマホがありますし……」

「ダメ。オシャレじゃないよ。今日は部活も休みだし、このあと買いに行きましょ」

「でもお金……」

「いいよ、そのくらい。買ってあげるから」



 掴まれた手首を引っ張って、先輩はわたしをバスに引きずり込んだ。そのままあれよあれよという間に、なんだかおしゃれな時計屋さんへ。



「ほら、好きなの選んで。なんでもいいから」

「なんでも……?」

「なに、あんまり高いのは駄目だよ」

「じゃあ……先輩のと、同じやつがいいです」



 先輩の右手首には、銀色の腕時計が光っている。



「これ?」

「よく、わからないし……」

「いいよ。じゃあこれね」



 先輩はてきぱきと購入を済ませて、わたしの手首を取って腕時計を巻きつけた。



「はい。あんたも少しは、身だしなみに気を遣わないと駄目よ。もう子どもじゃないんだから」



 先輩はさっそうと、わたしのお礼の言葉も聞かずに帰りの電車に乗り込んでいった。

 なんで先輩はこんなことしてくれるんだろう。わたしのことなんて、何とも思っていないはずなのに。

 でも嬉しかったから腕時計は一度も外さずに巻いたまま過ごしていた。



 それから先輩は学校を卒業した。

 一年経って、わたしも卒業して、東京の大学に進学した。



「あれ、真理子じゃない?」



 休日。喫茶店で本を読んでいると、カッコいい私服姿の先輩がそこにいた。



「偶然! 東京に来てたんだ。隣に座ってもいい?」

「は、はい……」

「ラッキー。ここすぐ席埋まっちゃうから」



 先輩は慣れた感じで注文を済ませて、わたしにあれこれと話題を振る。最近何してるのとか、どこに住んでるのとか。



「ていうか、その時計、まだつけてくれてるんだね」



 先輩はわたしの手首の時計を見て、ちょっと驚いたような顔をした。



「あれ、でも、その時計ズレてない?」

「止まってるんです」

「え?」

「電池切れてて」

「じゃあ交換しなきゃ。時計屋さんに持っていけばやってくれるよ」

「でも、外すのがもったいなくて……せっかく、先輩に買ってもらって、先輩に付けてもらったものなので……あ、そうだ、ここの代金くらいは払わせてください。あの時、ありがとうございました」



 結局きちんとお礼を伝えられていなかったので、わたしはすっきりした。けど、先輩は不思議なものを見るような目でわたしを見ていた。



「でも、時間が分からないと時計をつけてる意味なくない?」

「え……?」

「それに、外すのがもったいないって言っても、いつまでもつけっぱなしってわけじゃないでしょ。お風呂とか、寝る時とか」

「ずっとつけてますよ……?」



 その時、先輩の手首に巻かれている腕時計は、わたしのものとは違うデザインになっていることに気がついた。黒い、ちょっと高級そうな腕時計だ。



 やっぱり、先輩にとってこの時計は別に特別なものでもなんでもないんだ。分かっていたはずなのに、ちょっとがっかりしているわたしがいた。



「お待たせいたしました〜」



 先輩のコーヒーが運ばれてくる。

 わたしも、冷めてしまっている自分のコーヒーを飲んだ。苦味だけが残っている黒い水。カップを持つ手には、腕時計が巻かれている。

 けどわたしは外すつもりはない。

 先輩にとってはどうでもいい時計かもしれないけど、わたしにとっては、とっても、とっても特別なものなのだ。

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