第17話 命を絶つという事

 日本ひのもとと呼ばれる国がある。小さな島国でありながら、神がいる国とされ遥か古代より異様に自意識の高い民族が暮らしていた。


 しかもただでさえ小さな国なのに、何十もの国に分かれて、争いを繰り広げた。


 その兵士達は、武士と呼ばれ、彼らが腰に差した刀という剣の切れ味は他国の武器を遥かに凌駕りょうがすると言われた。またその刀を使った剣術も数多あまたであった。


 やがて三河みかわの国出身の『徳川家康とくがわいえやす』という武士がこの国を治め、太平の世が訪れた。


 なれど世が平和になったにも関わらず、家康は首都・江戸の遥か西南に在る薩摩藩さつまはんの武士の力を大いに恐れ『我、死する時、そのかばねを西へ向けよ』と遺言を残したと言われている。


 その薩摩藩の貧しい武士の家に産まれた少年、名を”牙太郎がたろう”と言った。


 この藩は武士の中でも上級と下級が存在し、上級と下級の扱いは雲泥の差があった。


 下級武士の者は、農民の様に自分の食い扶持ぶちは自分で稼がねばならず、戦いが無い時は刀をくわに持ちかえて畑をたがやした。


 下級武士はこの国の主食である米を作れる土地を持つことが出来ず、主に芋を作った。

 ”芋侍”という言葉は、上級武士が下級武士に対する差別の言葉として用いられた。


 牙太郎も”芋侍”だ。しかし彼は芋侍が侮辱ぶじょくの言葉だとは思わなかった。彼の父は得物を刀に戻すと示現流じげんりゅうの達人であった。


 この家の先祖はあの関ケ原の退き口から生還した数少ない勇猛果敢な男であったという。


 そんな家系に生まれた自分が芋侍の息子と言われても、それはむしろ名誉だと思えた。後は己が強くなればいい話だ。


 彼は、幼少期から立ち木をひたすらに木の棒で打ち続けるという示現流じげんりゅう稽古けいこを毎日決して欠かさなかった。


 彼は、両親から継いだ血に恥じない青年に成長してゆく。彼を小馬鹿にする上級武士の息子達も彼の前に無力であった。彼は喧嘩の時、腰に差した木刀を決して使わない。そこら辺の木の枝で充分であった。


 その技は誇り高きの先祖の血を、そして木刀を使わない優しさは先祖の妻から継いだ血の成せる事だという誇りの表れであった。


 十五になった彼は元服げんぷくし、名を牙朗がろうと改めた。そして十八になり、妻を迎えた。妻の名は『ほうずき』といった。


 この国の武士は元服し、大人になると結婚をするのが当たり前、親同士が決めた相手と結ばれるのが一般的であった。


 牙朗は女子おなごに興味はなかったので、正直面倒だと思ったが、ほうずきはなかなかに美しく、また実に献身的に自分に尽くしてくれたので、二人が良き夫婦めおとになるのにさほど、時間は必要なかった。


 さらに同じ年、彼はその腕を見込まれ、薩摩藩の関所守の役に就いた。徳川時代の日本は他の海外諸国に対し、鎖国さこくという姿勢を取った。


 これは海外から入ってくる宗教に民衆が踊らされる事に無い様にする事。そして、徳川とそれに仕える者だけが貿易の旨味を得る事が目的であった。


 しかしこの薩摩藩は鎖国の中にさらに鎖国をいた。どういう事かと言うと、彼らは徳川の世の中で、一見従っている様に見せながら、藩の中でひっそりと国力をたくわえていった。


 彼らはさらに南の果てにある琉球りゅうきゅうという国を通じて、こっそりと密貿易をして徳川の知らぬ所で儲けていたのだ。丁度、エディン自治区のフォルテザに似ている。


 日本の各藩にはそれぞれ関所が存在したが、特にこの薩摩藩の関所というのは、そういう意味で他藩からの侵入を拒絶きょぜつする事に尽力じんりょくを注いだ。

 此処を護るという事は、相応そうおうの力と覚悟を要求とされた。


 季節は夏、近くの大きな銀杏の木は緑の葉を付けている。この土地の夏はとてつもなく暑く、数多のせみが鳴き、その不快感を増幅させていた。


 関所を通る者も護る者も手拭てぬぐいが欠かせない。とある旅装の女が門番に手形てがたを見せて、その門を潜ろうとした時だった。


「………待たんか女」


 門にもたれかかっていた男が声をかけた。


「………何でございましょう?」


 女はごく普通の庶民的な身分に見えた。門番は正直特に怪しいとは思いもしなかった。


「匂いじゃ


 そう言って男はニヤリッと笑った。


「匂い……で、ございますか?」


 女は、自分の着物の匂いを嗅ぐ仕草をする。


「血と硝煙の匂いじゃ、戦匂いじゃ。甲賀もんは、お前さんおまんさあみたいな良かおなご、忍びにするのかすっとかこれはこいは油断も隙もあったものじゃないんじゃなかど


 そう告げながら牙朗は、刀の柄に手を置いた。


女性の首おなごくいは取りたくないかなかどそのままそんまま引き返してひっかえしてくれんかのう」


 そう言いながら刀を抜き、牙朗は示現流によくある最上段の構え『蜻蛉とんぼの構え』になり、女の前に立ちはだかった。


「そう言う貴方は、不思議と血の匂いがしないのですね」

「ああっ!?」


 今度は女がニヤッとする番だ。加えて彼女は、容赦なく袖の中に隠した飛びクナイを二人の門番へ向かって、素早く腕を交差させて投げつけた。


 二人の門番は眉間にそれを受けて即死した。


 彼女は目の前の侍牙朗がまだ人を殺めた事がないのを見抜いたのだ。

 牙朗は汗をかいた。暑さのせいではない。冷や汗である。


これこいは、危うきおなごじゃおい初陣ういじんくいは、甲賀のくノ一かあ」


 牙朗は蜻蛉の構えを崩さない。いや崩せないと言った方が正しい。彼にとっては、この構えが最大の牽制けんせいであり、最大の守りの型だと思えた。


 くずした途端に自分もあの門番達と同じになると認識した。


「ふふふっ、遠慮は無用でございますよ。もし私にその一の太刀を浴びせる事が出来たとしたら、それはもう立派な武勲ぶくんでございますわ」

「そうかよっ!」


 遠慮している場合ではない。牙朗は一の太刀をくノ一に振り下ろした。迷いがあるとは思えない鋭い一振りであったが、紙一重の所でくノ一はかわす。


「ちっ!」


 牙朗は、振り下ろした刃を振り上げる二の太刀を見舞う。これは刀と刀がぶつかり合う甲高かんだかい音と共に止められてしまった。


 旅装姿の女が持っていた杖と思われたものは、仕込み刀であったのだ。


 二度もかわされてしまった。それもおなごに! これは、牙朗にとって耐えがたい屈辱くつじょくである。


「甘い、甘いですねえお侍様。まるで女を知らない男の様ですこと」


 くノ一の笑いがいよいよ嘲笑ちょうしょうに変わる。


「な、貴様きさん! もうおなごとは思わないち思わん!」


「そうそうそれです。貴方様の剣は、実に真っ直ぐで、至極読みやすい。もう少しからめ手を覚えないと、首どころか女も落とせませんよ」


やかましいうぜらしが!」


 牙朗は一度刀を引いて、慣れない突きを繰り出すがあっさりかわされ、逆に刀を握る手を斬られてしまった。


 指こそ落ちなかったが、これでは刀を握る握力が落ちてしまう。しかしそんな事どうでもよく思える程の屈辱があった。


貴様きさんっ! 手を抜いてるだろっば抜いちょっどがあぁ!」


 牙朗はこのくノ一が本気を出していない事に気づいていた。それが最大の屈辱であった。


「手抜き? どうでしょうねえ? 手抜きと言うのはちょっと違いますわ」

何がどう違うんだないがどうちごかっ!」


「貴方様があまりに可愛いので”遊び”っていうんでしょうか? さっきの門番と違って遊び甲斐のある良い男…薩摩じゃよかにせいい青年っていうんですよね?」


 くノ一のしたり顔が頂点に達した。牙朗は頭の中の何かが外れたを感じた。

 再び蜻蛉とんぼの構えになり、そして無言になった。


「なっ…」


 くノ一は、いよいよ切れたかと思ったが、何か様子がおかしい。クナイを投げれば一瞬でケリがつく筈なのだ。だがこの男から感じる何かがそれを許さない。


「チェェェェェッ!!!」


 牙朗は奇声きせいと共に実に無謀むぼうと思える蜻蛉の構えからの一太刀を振り下ろした。くノ一の真正面であった。


「あっ!?」


 くノ一は、頭の天辺から真っ二つに斬られていた事に、一瞬気が付かなかった。


 そして彼女の左右は完全に別れて、おびただしい血を吹き出しながらみにく亡骸なきがらと成り果てた。


「礼言わないとなばならんおいは人を斬るこつに迷いがあった。お前さんおまんさあのお陰で、それそいを断ち切るこつが出来た。ありがとうございますあいがとさげもす


 牙朗は刀を強く振り、血糊ちのりを吹き飛ばした。さやに収め、そして右手を眉間に寄せて両目を閉じて、美しかった忍の魂をとむらった。


 斬った者の命を背負う覚悟を始めて覚えた瞬間であった。

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