第9話 貴方の背中は私が守り抜く

 漁村であるエドナの朝は早い。お世辞にも朝とは呼べない暗いうちから仕事を始める。


 ローダも例外ではなく働かざる者なんとやらといった所で、投網の手入れ、漁の準備、そして海が荒い時に敢えて「行ってこい」と、ガロウに半ば無理矢理漁船に乗せられる。


 当然何も出来はしない。海上に吐瀉物としゃぶつがなくなるまで吐きながら、何故か「船の舳先に立ってろ」と言われるのである。


 漁師もどきの仕事が終わると、ガロウと剣の稽古けいこである。

 刃がついていない模造もぞうの剣でただひたすらに打ち合う。稽古と言っても助言や指導といったものは特にない。


「確かに黒い剣士アイツの言う通り、まるでなっちゃいねえな………」


「お前さん、本当に騎士見習いか? 腰のロングソードが泣いてるぜ………」


 この様な罵声ばせいを浴びせられ、見物に来る子供にも笑われる始末であった。


 刃がついていないと言っても、重さだけなら立派な剣である。振り回すと重いし、手加減されていても当てられたら当然痛いのだ。


 喧嘩の様な打ち合いをした後は、胡坐あぐらを組んで、瞑想めいそうを時間を強要された。

 瞑想といえど休息ではない「今やった事を今度は頭の中でやれ」と言われる。


「力がなくても、イメージなら剣が振れるだろうが。さっきお前がやられた事を思い返いして、こうすればやられなかったかも知れない。それをよーく、考えるんだ」


「あ、ああ……判った」


「ひとつじゃねえぞ。少なくとも両指が足りない位は考えるんだな。明日やる時は、俺はその倍の手札を持ってると覚悟しろよ」


 要は瞑想というよりイメージトレーニングなのである。


 それが終わると後は、日が暮れる迄、ひたすら木の棒で丸太を叩き続ける。


 初めてガロウから「これをやれ」と言われた時、今まで黙って言う事を聞いていたローダも流石に閉口した。


「馬鹿馬鹿しいって言わんばかりの顔だな。一回しかやらねえぞ。良く見てな」


 ガロウはそう言い、ローダから木の棒を奪うと両手で握りしめて、自分の顔の高さまで振り上げた構えをとった。


「お、おい。待てよ、まだ肩が……」


 折られた鎖骨はまだ完治していない筈だと言いかけたが、聞く耳持たずといった感じで、ガロウは気合と共に丸太に向かって振り下ろす。


 打たれた丸太は、まるで斧で割られた様に真っ二つになってしまった。


「そんな、う、嘘だろ…」


 その結果に驚愕きょうがくして、言葉を詰まらせてしまうローダ。


「これが、俺本来の剣だ。最初の一撃に己の全てを込めて、相手をほうむる。ま、この間はあの野郎マーダにアッサリ、かわされちまったがな……。お前にこの剣を極めろなんて言うつもりは毛頭ない。ただ、頭を空っぽにして全力でひたすら叩き続けろ」


 そう告げてガロウは、ローダに木の棒を投げ返した。


 彼はマーダに放った初太刀が、かわされた事を決して忘れはしない。

 彼にとってあれは、完璧な一振りであり、それをかわされた事は、絶望とすら思えた。

 けれど今は、俺にだってまだ先がある。それを信じて精進あるのみと思う様にしている。


「わ、判った……やるよ」


 こんな物を見せられては、もうやる以外の選択肢がない。


「腹が立つだろうが、お前の剣にはこれと言ったものが何もない。しかしガッカリする事はないぞ。己の剣とは気が遠くなるほどの修練、そして戦いの中でおのずと出来る。俺でさえ、まだ道の途中だ。まあ、慌てず頑張れ」


 あの時のガロウの言葉、それを噛みしめながら、ローダはひたすら丸太を叩き続けるである。


 ◇


「くっ、いってえな……」


 ローダは今日の特訓を全て終えて、風呂で身体を洗っていた。

 掌と足の裏は豆が潰れ、赤身が見えている。治癒ちゆする間もなく毎日続けている。身体もアザだらけだ。


 この間の自分は、剣の柄で殴られても大したことなかったという話が、信じられなくなってくる。


 そしてガロウは、その際に鎖骨が折れてもマーダに対してあらがったという。


(自分にそんな忍耐力がつく日は、やってくるのだろうか………)


 風呂でも寝る時でも一人になると、みじめな気分に支配されてしまいそうになった。

 身体を動かしている時は無我夢中であるので、そのギャップの激しさが余計に辛いのだ。


 不意に風呂の扉をノックする音が聞こえてきた。ローダは我に返り、扉の方をじっと見つめた。


「ごめんね、タオルなかったでしょ? 此処に置いておくね」


 声の主はルシアであった。羞恥のあまりローダは、身体をろくに流さずに湯船に飛び込む。

 湯が飛び散る音が、扉の向こう側まで届いた。


「ちょ、ちょっと、大丈夫? なんか凄い音したけど」


「な、何でもない、気にしないでくれ………」

(何も見える訳がないのに、なんで俺はこんなにも慌てているのだろう…)


 気になったルシアは、扉の向こうへ声をかけるが、気のない返事があっただけだ。


「そ、そう、ならいいけど」


 ルシアはそう言って、戻ろうとした。戻ろうとしたのだが、戻る事を止めた。


「ねえ、ローダ………」


 ルシアは扉に顔を当てて、相手の注意を引くようにワザと少し小さな声を出す。


「んんっ?」

「背中ながそっか?」


 既にタオルを握っているルシアは、提案をしているつもりがないようだ。


「はあっ!? イヤイヤ、いい! 要らねえって!」


 ローダは顔を真っ赤にして湯をザブザブさせるほどに暴れたが、バーンッと容赦なく扉を開いてしまうルシア。


 さらに2つ持っているタオルの内の1本をローダに向かってビタッと投げつける。


「ほら、早く上がって此処に座ってよ」


 ルシアは木製の椅子を指差した。


「こんなサービス、滅多にしないんだからね。早くいらっしゃい」


 ルシア自身これは、やり過ぎたあ…と思ったが、こんな時の彼女に退却の文字はない。


 ローダもこういう時の彼女の出方は、流石にもう理解していた。


 観念して腰にタオルをしっかりと巻つけると、彼女を背にしたまま、湯船から上がり大人しく座る。


 民衆軍の立派な戦士であるルシア。男の裸の一つや二つ、どころではない程、今まで見ている。時には傷を負った仲間を手当したこともあった。


 だからローダの背中を見ても、狼狽うろたえたりはしない。ただ彼の背中は、意外とたくましいと彼女は思った。


 普段、ガロウにやられてばかりなのだが、それ程軟弱には見えない。


 彼女はローダの背中を擦りはじめる。やはり痛くて背中を上手く洗えていなかったのであろう。


 あかがボロボロと落ちてくる。そしてタオル越しに相手の緊張が伝わってくる。


(これは、色んな意味で洗い甲斐があるなあ……)


 ちょっと楽しくなってきたルシア。悪戯いたずらじみた顔になる。


「ほら、背筋を伸ばして、胸を張りなさい」


 そう言いながらガシッと彼の肩を掴むと背筋を押し込んで、彼の意志に関係なく胸を張らせた。加えてローダの肩や腕をみ始める。


「おいおい…」

「いいからいいから…」


 これは流石にローダの恥ずかしさに輪をかけると相場が決まっている。


 ルシアは別に整体の心得がある訳ではない。ただ、この生真面目な青年の反応を楽しんでいるだけなのである。


(もう…好きにしろ)


 ローダも段々馬鹿らしくなり、彼女に全てを任せる事にした。


 しかし身体が解れたら心もほぐれたのか、さっきまで一人で抱え込んでいた気持ちをふと愚痴ぐちりたくなった。


「なあ…ルシア」

「んっ?」


「俺、強くなれると思うか? せめて皆の足を引っ張らない位には強くなりたいんだ……」


 何とも頼りないローダの言葉を聞いて、ルシアはむことを突然を止めた。


「駄目ね」


 彼女はバッサリと容赦なく切り捨てる。


「強くなれるか? 自分にそんな問いかけをして悩んでいる人は、残念ながら強くなれないよ」


 ローダの前に回り込み、目をのぞき込みながら告げるルシア。その顔は真剣だった。


「だって何事もそうでしょ? 成功する人は己を信じて、何があっても前に進み続ける人よ」


「そんな事、言われなくとも判ってるさ」


 ルシアが意外な程に詰め寄って来たので思わず目を逸らすローダ。


「ガロウがあんなに人を鍛えるのはとても珍しい事よ。彼は貴方に期待しているの。勿論私だって……」

「それだよ」


 ローダはポツリとルシアの言葉を短くさえぎる。


「え……」

「そんな自分が覚えてもいない力なんかに皆で期待だ、希望だ、って言われてもさ」


 ローダの表情に暗雲が広がってゆく。それはルシアにも感じ取れた。


「………」

「皆、俺に会うとそればっかりだ。正直どうしたらいいのか判らない」


 首を横に振りながらさらに彼は続ける。


「俺だって、みんなの期待に応えたいさっ! でも、それだけじゃどうにもならない事だってあるんだっ! しかも戦う相手が、もしかしたら兄さんかも知れないんだ!」


 ローダは急に声を荒げ、吐き捨てる様に言い切った。場の空気が重くなり、二人共暫く沈黙する。


「ゴメン……。確かにあなたの言う事はもっとも。でも、これだけは言わせて」


 ルシアはガックリと肩を落としたローダのその両肩を優しく掴む。彼の身体の震えが伝わってくる。


 ローダ自身もこんな後向きな事を言いたくはなかったのであろう。自分の情けない言葉に腹を立てているのだ。


「私は、私達は何も貴方一人に全てを背負わせるつもりは全くないの、それに……」


 此処で言いかけた言葉を飲み込む。


(私だって、君のあんな戦い方を望んではいない)


「とにかく私達は、君の事を全力で応援する。だから根詰める事はないのよ、そして…」


(そして?)


 驚いた顔を上げるローダ、続く言葉を待ち望む。


「貴方の背中は、何があっても私が守り抜くと誓うよ」


 肩を掴む両手に力を入れてルシアは微笑んだ。


「だからローダ、貴方は前だけを見て戦ってね。さあ、湯冷めしちゃうから、もう一度湯に浸かってらっしゃい。私は夕飯の準備をしてくるから」


 そう告げるとルシアは、その場を離れようとした。


「ルシアっ!」


 ローダは背を向けたまま、彼女を呼び止めた。


「なんだ、その…ごめん、いや、ありがとう。お、俺だって皆を、君を護る。まだ、正直言って自信はないけどさ」


 そう言って彼は頭をボリボリいた。


「うんっ、宜しくっ! じゃあね」


 ルシアは満面の笑顔を残して、手を振ると風呂場を後にした。

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