十五歳 その3
冗談じゃねえぞ。
能勢葉月の頭の中は、五百メートルも走るとその言葉でいっぱいになった。
一時間前の軽率な一言を、葉月はこれ以上ないほど猛烈に後悔していた。大体千五百メートルなんてのは、普段ろくに運動もしてない素人が走る距離ではない。
それに周りのやつら。何だこのスピードは。五十メートル走と勘違いしてるんじゃないか?
やはりここは、涼が無理してでも走るべきだったのだ。
「じゃあオレが代わりに出るから」
いやこの発言はどう考えても失敗だった。腕が上がる体力が残っていれば、今頭を抱えているはずだ。
葉月は元々一つだけゆるい競技に出て、後はクラスメイトの応援に全力を尽くす予定だった。そもそも体育祭とはそういうイベントのはずだった。
しかし昼食の前に事件が起きた。それも目の前で。
いや事件というほどのことでもない、ただ生徒が一人コケただけのことだ。
その生徒が桐野涼だったことが問題だった。我らが四組のエースと言っても過言でない彼が、まさか客席で捻挫しようなんて誰が予想できただろう?
総合運動場の階段を、二段飛ばしなんてするからいけないのだ。いくら運動ができても、あれは二段飛ばすようにはできていない。
「お、能勢ちゃーん!」
と葉月を見かけるやいないや、彼は何かに追われるような速さで駆け寄ってきた。
次に千五百メートルがあるんだから気をつけろよ、と言おうとした途端、三歩目にして彼は視界から消えた。「あ」という間の抜けた声だけがその場に残ったようだった。
医務室に運んでもなお、桐野涼は諦めようとしなかった。自力で歩くのがやっとだったにもかかわらず、「でも出たいなあ」などと立ち上がろうとする。
これでは危ない。もし無理して出場などしたら、彼の野球部人生にもかかわるだろう。
ベッドで床に足もつかないのに地団駄を踏みながら、桐野涼は心配げに言った。
「何よりさ、何よりだよ、俺の枠は誰が埋めるの?」
「じゃあオレが代わりに出るから」
もはやそれは「ハウアーユー?」と聞かれたら「アイムファインセンキュー!」と答えてしまうのと同じ、ただの条件反射だった。
しかし言ってしまったものはしょうがない。「男に二言はない」というイニシエのルールに則り、葉月は本当に昼食後の千五百メートルに出ることになってしまったのだ。
きっと「人生の失敗ベストファイブ」に入るだろう。最初の一つ。
周りのみんなになるべく合わせて走ってやろうと、ピストルが鳴る前には意気込んでいたのだ。あの頃が懐かしい。
今何メートルぐらい走っただろう。もう半分は来たか?まだ四割だとか言われたら絶望だ。
辛うじて集団の後ろの方には食らいつき、孤立は免れていた。でもこのペースを保つのは苦しい。早く終わらないだろうか。
前に目を向けるのも一苦労だった。呼吸のリズムが乱れる。
でも一方で、トラック四分の一ほど差をつけるトップ集団はどんな顔をして走っているのか、ぜひ拝んでやりたいという気持ちも芽生えていた。
斜め左側にトップ集団は見えた。苦しそうには見えない。みんな大股で最初のスピードのまま走り続ける、スタミナの化身みたいなやつばかりだ。
何かの拍子にその先頭が誰か分かった途端、足がもつれた。ちょっと反応が遅れたら盛大に転んでいたところだ。
あいつ確かに運動は得意だが、一位になってる所は見たことがない。なぜ今日になって急にパワーアップしてるんだ?
長谷部優。体育の陸上競技だっていつもクラスで三、四位争いの中堅だ。本番にいくら強いタイプとはいえ、ありえない伸び率ではないか。
しかし彼の身に最近起こった変化というと、葉月には一つ心当たりがある。
まさかそれが原因なのか。それだけでこうもパフォーマンスが変わるというのか。
葉月は長谷部優から目をそらした。ただ前を見て、走ることに集中する。
——だとしたらお前、ちょっとはオレに感謝しろよな。
あいつにはちょっと前、彼女ができたのだ。今思えばその辺りから、あいつは調子も機嫌も良かった気がする。
しかしその告白の成功は他ならぬ葉月の功績だということを、あいつは理解してるだろうか。
呼吸のリズムを取り戻そうとあえぎながら、葉月は記憶を巻き戻す。修学旅行二日目の、あの決定的な瞬間まで。
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