二十一歳 その3

「ところで、ミカはどうなの?」

「へ、どうってのは?」


 この鮮やかなしらばっくれ方、もはや名人芸だ。

「私の元彼の話を掘り返したんだから、ミカの話も聞きたいなって」

「あーー、私はないんだな!」

 また適当なこと言って、するすると逃げていく。


 人の話は好きだけど、自分のことはあんまり語らないタイプだ。もちろん重々承知していたが、やっぱり今も変わらない。


「あ見て、めっちゃ素敵なカフェあるよ」

 露骨に話題を逸らしてきた。

 今可奈子たちが歩いている丸の内の大通りは、見上げるだけで首の痛くなる建物が並んでいる。大体はオフィスビルだが、その中にはカフェやレストランが入っていたり、海外の雑貨屋があったりして見ていると面白い。


「カフェはダメだよ、この後スイーツじゃん」

「あーそうだったなあ、もったいない!」

「また今度、機会があったらだね」

「あのお店今度来る時も残ってるかなあ——」


 ぶつくさ言いながら、ミカは美味しそうなパフェのサンプルが並ぶショーケースを、通り過ぎるまでしつこく見つめている。


「人気なお店なら残ってるよ」

「分かんないぞー?こういうとこ、急に閉店したりするんだから」

 名残惜しそうに、ミカはちらちらと振り返って言う。


「美味しい店も久しからず、ショギョウムジョウですよ」

「急に四字熟語使ってくるじゃん」

「最近古典文学の授業で出てきたやつ。変わらないものなんてこの世にはないんだって、やけに悟ってるよねえ昔の日本人って」


 歩いているといつの間にか、見覚えのある通りに入った。可奈子たちは駅の方向に戻っていた。スイーツの店はランチの場所とは逆方向だから、時間になるまでは駅の周辺をぶらつこうという計画である。


 東京駅の丸の内口駅舎は、遠くから見るとなかなか異質な建築物だ。銀色に光る無機質なビル群に囲まれて、赤レンガで復元された大正ロマンな駅舎が堂々と構えている。


 比較的新しい建物だろうけど、何だかあまりにも世界観が違っていて、過ぎ去った時代にポツンと取り残されているように見える。


「本当かね?」

 ミカが急に言うので、可奈子は何のことか分からなかった。

「え?」

「今の話。変わらないものって、本当にどこにもないのかね」

「何か、壮大な話だね」

「やだ、私哲学は苦手よ」

「自分で振った話なのに!」


 ミカはちらっと駅舎に目を向ける。可奈子は思いついたことを言ってみる。


「東京駅のあの駅舎は、変わったって言えるのかな。改修で元の姿に復元されたわけだよね」

「あれは変わったよ!復元っていったって、ピカピカの新品に生まれ変わってるんだから」

「姿は同じでも?」

「見た目は一緒でも確実に変わってるね。一周しただけと見せかけて一階分上がっちゃってる、らせん階段のパターンだね」


 彼女は分かるような分からないようなことを言う。

「何かよく分かんなくなってきたな、何の話してたんだっけ?」

 本人が一番迷子になっていたようだ。


「諸行無常?」

「ああーやめやめ、もっと花の女子大生らしい話をしようぞ、可奈子さん」

 可奈子は微笑みながら頷く。

 ——つくづく変な子だ。そこが魅力でもある。


「そういやこの前渋谷で超素敵な雑貨屋さん見つけてさ——」

 話題の引き出しが多いミカは、また新しく話を始める。




 次は楽器店に向かった。葉月の行きつけの店がやはり仙台駅の近くにあって、今日は新たにメトロノームを買うことにしていた。

 前に使っていた電子メトロが壊れてしまったのだ。高校の頃から同じものだったから、多分寿命だろう。


 エスカレーターに乗る間、彼女は落ち着きなく周りを見回していた。

「何か緊張しちゃうな」

「何回も来てるじゃん?」

 音楽活動はしていない奏音も、葉月とここに来ることがある。

「けどさ、こう立派な楽器に囲まれるとやっぱり、何かね」

「そういうもんなのか」


 縦に長い建物で、フロアごとに扱う楽器の種類が決まっている。メトロノームはなぜかピアノのフロア、五階に置いてあった。

 エスカレーターを降りる前から、様々なメトロノームのずらりと並ぶ棚が見えた。


「うわあ、さすがの品揃えだね」

「すぐ選んで買っちゃうからさ」

「そんな急がなくて良いよ!私——適当に見てるから」

 奏音はグランドピアノやキーボードの陳列されたスペースを指差す。

「——ああ、そう?」

「うん!」


 ぴょこっと頷くと、彼女はピアノコーナーに歩いて行く。

 それを見送りつつ、葉月もメトロノームを見に行った。


 実際そんなに迷う要素はないのだ。機能や精度にそこまで細かいこだわりはないから、ただ普通のが買えればそれで良い。

 いつも使っているメーカーの電子メトロが、ちょうど安く売られていた。チューナーにもなる物だった。


 ほら、やっぱりもう見つかってしまった。

 手に取ってレジをチラリと見てみる。買おうと思えばもう買えてしまうのだが、もうちょっと見てみようか。せっかく久し振りに来たんだし。


 何とはなしにアナログの、振り子式のメトロノームの棚に目を向けてみた。もう鳴らなくなった振り子が二つほど、力なく振れている。

 とその時、後ろの方から慣れない音が飛んできた。


 電子ピアノの音だ。一音目が爆音でびっくりしていると、ずっと向こうにいた奏音が顔を真っ赤にして慌てている。

「か、奏音?」

「あーごめん!」

 急いで何かのつまみをいじる途中、奏音は葉月の視線に気づいた。


「良いよ、選んでて!」

 と言いながら、ぎこちない手つきで指を鍵盤に乗せる。

 そうは言われても、もう気になってしまう。


「奏音って、ピアノ弾けるの?」

 大股で奏音の座るピアノに近づく。彼女は音量やエフェクトの微調節を終えたところらしかった。

「いや、全然弾けないんだけどね」

 近くで見られると何か恥ずかしいのか、肩をすぼめてもじもじし始める。


「メトロノームもう見終わったの?」

「買うの大体決まってたしね」

「よし、じゃあ行こう」

「あーちょっと待って、今何か弾こうとしなかった?」

「ま……まあね?」


 一回立ち上がろうとしたようだが、奏音はまた座り直した。

「えっと——こんなのあったよね」

 そして彼女は意外にもすらすらと、両手で「きらきら星」を弾き始めた。

「ほら、もう基礎中の基礎のやつ」

「確かに、確かにね」


 照れるように突然グリッサンドして、演奏を無理やり終わらせる。

「ピアノ習ってたの?」

「いや、習ってたってほどじゃないんだ。ただ小学生の時、半年だけ教室に通ってたの」

「小学校の頃の半年で、まだ曲覚えてるの?」

「ピアノすぐやめたのは、私向いてないなあって思ったからなんだけど——いざ中学高校と進んでみると、やっぱりあの時諦めなきゃよかったって思うことがあって」


 次は「メヌエット」を弾き始めた。もうこれは鍵盤を見なくても弾けるようだ。

「何かピアノ見るたびに、弾ける曲を弾きたくなっちゃうんだ。新しく何か覚える気にもならなくて、中途半端なんだけどね」

 喋りながら弾くのは結構難しい。でも奏音はいつもやっていることのように、「メヌエット」を弾き終えた。


「まあ少なくても、ここまで極まったら持ち曲だよな」

「ほんと、おんなじ曲ばっかり弾いてるからねー。なぜか飽きもしないし」

 奏音の手はまた、別の曲に取り掛かる。

 葉月は勝手に、いつだかのことを思い出していた。自分がまだまだピアノ素人だった頃のことだ。

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