4.草谷薫々(くさたにくんくん)ストリートにて(3)
時の流れは『光陰矢の如し』と言われるよう、瞬時に流れていくものであるが、ここは、いまだ、草谷薫々(くさたにくんくん)ストリートの中間地点。
わずかながら前進し、激安スーパー『東友』の前である。
今、修太朗の時の流れは、完全に止まっていた。
目の前に・・・ヨッシーがいたからである。
しかしだ・・・見た目はヨッシー、背丈は子供だった。
残念ながら、修太朗の眼に入ったのは、チビヨッシー・・・某キャラクターの頭を模したフード付きの緑色のパジャマを着た幼児だった。
フードを目深に被った幼児は、よたよたと歩いては、立ち止まり、舌を出したり、戻したりしては、一人でキャッキャッとはしゃいでいる。
どうやら、チビヨッシーは、目の前に立ちはだかる敵を始末しているようだった。
(フフッ、可愛いな。)
修太朗のほうに、チビヨッシーの次なる敵たちがいるのであろう。
チビヨッシーは、よたよたと順調に敵を始末しながら、修太朗の近くまでやって来た。
その時だった・・・チビヨッシーに異変が起きたのは。
突然、その歩みを止めると、ぐずった顔をしたのである。
「クチャイ、クチャイ、クッチャイ、クチャイ!」
そう言いながら、チビヨッシーは、右手で自分の鼻をきゅっとつまむと、もう一方の手で修太朗のことを指さし、不気味な踊りを始めたのだ。
「クチャイノ、クチャイノ、トンデケー!
クチャイノ、クチャイノ、トンデケー!」
リズミカルに歌い、コミカルに踊る自分に酔いしれているのであろうか。
今や、その汚れの無い幼き瞳には怪しい光が宿り、その愛らしい口元は、だらしなく開き、泡と化した涎があふれ出ていた。
修太朗は、あまりの恐怖にその身を震わせた。
幼児の不気味に踊り狂う様を見て、恐怖を抱いたのか?
否! そうではない。
修太朗は、そろそろと右手を自分の尻に持っていき、その場の空気をゆっくりと、慎重につかみ取った。
そして、軽く握り締めた右手の拳を自分の鼻先に持ってきて、ゆっくりと開き、その空気を味わうかのように鼻から吸い込んだ。
何も臭わなかった・・・。
修太朗は、安堵の息を漏らした。
そう、修太朗は、腹に溜まった屁が、自分の意志に関係なく、勝手に放出されてしまった可能性に恐怖したのである。
しかし今、それは単なる杞憂であったことが、ここに証明された。
では・・・チビヨッシーは、何が『くさい』と言っているのだろうか?
「何をやってるの? テツロウ・・・。」
低めの優しい女性の声が、激安スーパー『東友』の入り口の方から聞こえた。
その声を聞くなり、チビヨッシーは、不気味な踊りを止め、その表情を天使の笑顔に変え、声の主のもとへと駆けていく。
そこには、金色に染めた長い髪、切れ長の目、黒のスウェットに包まれた細身の女性が立っていた。
その女性の姿は、汽車に乗りながら、銀河観光を堪能している女性を彷彿させたが、残念なことに、今の彼女の容貌は、不完全なものであった。
必要不可欠なピースが欠けていたのである。
そう、金色の眉毛がなかったのである。
この女性は、チビヨッシーの母親なのであろう。
チビヨッシーを昼寝させる時、うっかり自分も寝入ってしまい、激安スーパー『東友』の激安タイムセールの時間ギリギリまで、寝込んでしまったに違いない。
そのため、化粧をする暇もなく、着の身着のまま、チビヨッシーを引き連れ、家から飛び出してきたのであろう・・・と、修太朗は勝手に推測した。
「メーたん、あのね・・・。」
チビヨッシーが、修太朗の方をコソコソ見つつ、ひそひそ話をする仕草をしながら、女性に話しかけた。
女性は、話を聞くためにしゃがむと、チビヨッシーの口元に自分の耳を近づけた。
チビヨッシーが、露骨に修太朗のことを指さしながら話しているところから察するに、修太朗の何かが『くさい』と言っているのは間違いないだろう。
「フフッ、そうなの・・・わかったわ、テツロウ。」
女性は、チビヨッシーの手をつなぎ、一緒に修太朗の方に向かってきた。
チビヨッシーは、修太朗の近くに来るなり、自分の鼻をきゅっとつまんだ。
そよそよと優しい風が吹いてきて、女性の金色の髪をふんわりと撫でていく。
その風に乗って、ほのかな涎のニオイが修太朗の鼻をついた。
きっと、昼寝をした際、髪の毛に涎をいっぱい垂らしてしまったのだろう。
女性は、気まずそうな顔をしながら、修太朗に話しかけてきた。
「わたしの子供が、大変失礼なことをしてしまいまして・・・ごめんなさい。
ただ・・・その・・・なんと言えばいいか・・・。
あの・・・靴の裏をご覧になってくださる?
この子ったら、あなたの靴からはみ出してる・・・その・・・。」
女性は、次の言葉を紡ぎだすのをためらっているかのように見えた。
おかしい・・・何か言いにくいことでもあるのだろうか?
修太朗は、疑問を抱きつつ、言われた通り、履いているスニーカーの裏を見た。
修太朗は、激しすぎる衝撃を受けた。
なんと・・・スニーカーの裏には、茶色い物体がへばりついていたのある。
そう、ご推察のとおり、『ウン〇』と呼ばれる物体である。
この話において、『ウン〇』は、以後、『ウン』と表記する。
「おわかりでしょう・・・。
この子ったら、それを見て、あなたに教えてあげようとしたの。
ただ、教え方が・・・よくなかったかしら・・・ウフフッ。」
そう言いながら、女性もきゅっと自分の鼻をつまむと、にっこりと修太朗に微笑みかけた。
『ウンを踏んだお前が悪い』と、眉なしの目が訴えかけていた。
『この子は悪くない。すべて、ウンを踏んだお前が悪いのだ』と、そんな女性の心の声が、はっきり聞こえたような気がした。
修太朗は、そんな女性の態度に一瞬、腹が立った。
しかしながら、ここは、大人の対応をすることにした。
すなわち、素直に感謝の念を示したのである。
「教えてくれて、ありがとうございます。」と言いながら、頭を深々と下げた。
女性は、修太朗の紳士的な態度に安心したようだった。
「あなたのご不ウン、胸中をお察ししますわ。でも、どうか、気を落とさないで。
きっと・・・いいことがありますわ。ウンがついただけに・・・ウフフッ。
では、ごきげんよう。」
修太朗にそう言い残すと、女性はチビヨッシーを引き連れ、すぐそばの自転車置き場へ颯爽と向かっていった。
女性の愛機は、黒い電動アシスト付き自転車のようだった。
前カゴと補助席の後ろに『999』と書いてあるプレートが取り付けてあるのが見えた。
手慣れた手つきで、チビヨッシーをひょいと持ち上げ、その補助席に乗せると、茶色い帽子のようなヘルメットをかぶせてやった。
そして、自分も黒い帽子のようなヘルメットをかぶった。
「いくわよ、テツロウ。」
「アイアイ。メーたん!」
女性が、自転車に取り付けてあるスイッチを押したのだろうか。
自転車から『ポォー』という甲高い汽笛の電子音が鳴り響いた。
チビヨッシーが、補助席に備え付けてあった光線銃のおもちゃを手に取り、修太朗に向かって何度も何度も発砲してきた。
それを見た修太朗は、最初の数発はかわし、最後の数発で撃たれた真似をした。
チビヨッシーは、キャッキャッとはしゃぎながら、修太朗に手を振った。
修太朗もまた、チビヨッシーに手を振り返してやった。
ついに、『草谷』という小銀河を旅する親子の旅立ちの時は来た。
修太朗が見届ける中、親子を乗せた黒い自転車は、ペダルを回すごとに『ゴッシュ、ゴッシュ』と鳴り響く電子音と共に、いずこかへと走り去っていった。
ひとり、『東友前』駅のプラットフォームに取り残された修太朗は、今から、降って湧いた難題に取り掛からねばならなかった。
さてと・・・スニーカーの裏にへばりついたウンめをどうしてくれよう?
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