第24話 迷子

「ママと、はぐれちゃったの」

 うるうると涙で瞳をうるませた女の子がたどたどしく話すのをうんうんと聞く。

 子どもを相手するなんて中々ないことだから、どういう対応をしたら正解なのかはわからない。

 とりあえず怖がらせないように笑顔をキープしておく。

「ママと一緒に来たの?」

「うん」

「どこらへんではぐれちゃったかわかる?」

「わかんない……ママぁー」

 しまった、地雷踏んだ……。 

 また大きな声で泣き出してしまった女の子をなんとかなだめる。

 うぅ、陸兄さんがいたらきっともっとう上手く対応してくれるんだろうな。

 しかし帰ってこないので一人で対応するしかない。

「迷子センターってところがあるから、そこ行こうか」

「ママは?」

「センターの人が探してくれるよ」

「ママ……」

「大丈夫! きっとすぐ見つかるよ。ママも探してるよ、ね?」

 笑顔を意識して作るというのは意外と難しい。

 ひくりと頬が引きつりそうになる。

 女の子はうるうると涙でうるんだ目でじっと私の顔を見つめ、小さく「うん」と返事をしてくれた。

 人が多いので、迷子センターに行くまでに女の子とはぐれないように手をつなぐ。

 少し前かがみになるのが地味に腰にくる。

「お名前なんていうの?」

「みお」

「みおちゃんかー、かわいい名前だね」

「うん」

「……」

「……」

 き、気まずい……! 会話ってどうやって続けるんだっけ!?

 ヤバいヤバいどうしよう! 会話のもたせ方がまったくわからん!

「み、みおちゃんはお魚好きなの?」

「ママがすきなの。だからよくいっしょにきてて……」

 そこで母親の存在を思い出したのか、みおちゃんの目が涙でうるむ。

 あー! なんで私毎回地雷踏み抜くんだろう!

 なんとか、なんとか場を持たせなければ……!

「いおりちゃん!」

「陸兄さん!」

 そこでタイミングよく、飲み物を持った陸兄さんが現れた。

「どうしたの……迷子?」

「うん、お母さんとはぐれちゃったって」

「こんにちは。お名前なんて言うの?」

 陸兄さんは人好きのいい笑顔を浮かべ、みおちゃんに話しかける。

 母親を思い出して泣きそうになっちたみおちゃんの気が逸れたことにほっと安堵する。

「みおっていうの」

「みおちゃんかー、素敵な名前だね。お母さんと一緒に来たの?」

「うん。ママがおさかなさんすきなの」

「そっか。ママが好きなんだね。みおちゃんはなにが好き?」

「んーとね……」

 おぉ……さすが陸兄さん。ものすごく対応が上手い。

 私のように無言の時間がくることもなく、テンポのいい会話を続け迷子センターに無事着いた。

「またね、みおちゃん」

「バイバーイ」

 みおちゃんと手を振り合う陸兄さんを見てこっそり息を吐き出す。

 やっぱり私一人じゃダメだなぁ……。

「おねえちゃん、ありがとー!」

 そう言って、駆け寄ってきたみおちゃんが小さな手でぎゅっと握ってくれた。

 みおちゃんの無邪気な笑顔を見て、心がぐらりと揺さぶられた。

 声をかけてよかった、上手く接することはできなかったけど、これでよかった。

 うっかり泣きそうになって、なんとか笑顔を作ってお別れをした。

「いおりちゃん、すごいね」

「え?」

 急に陸兄さんがそんなことを言い出したので、ビックリして顔を見つめる。

「迷子に声かけるの、すごいよ」

「いや……でも、上手く対応できなかったし」

「そんなことないよ。それに、みおちゃんにとっては通り過ぎていく人の中でいおりちゃんが声をかけてくれたこと、きっとすごく嬉しかっただろうね」

 穏やかに笑う陸兄さんの静かな言葉に、目に涙の膜がうっすらと張ったのがわかる。

 普段一人じゃ何もできない私が、一人で動いて正解だったのだ。

 迷子になって心細くて泣いていたみおちゃんの支えになれたことが嬉しかった。

「陸兄さん、ありがとう」

 やらない後悔よりやる後悔、とはよく言ったものだ。

 やって失敗することもあるけど、やらないよりはいいのかもしれない。


「うわぁ、すごい」

「水のトンネルかぁ、キレイだね」

 自分の頭の上を魚が泳いている、というのはなんだか不思議な気分になる。

 水槽で少し暗い道を進んでいく。 

 この水槽、割れたら水が溢れてきて大変なことになりそう……なんて、くだらない想像をしてしまう。

 水の中を自由に泳ぐ魚たちは見たことがある魚もいたり、知らない魚もいたりする。

 水槽の前にどんな魚がいるのか説明文が載っている。

 刺し身にできそうな魚を探していると、ちょんちょん、と肩を叩かれた。


「いおりちゃん、ちょっと話いいかな?」

「どうしたの?」

 振り返ると、陸兄さんが真剣な眼差しをしてじっと見つめてくる。

 なんだろう、真面目な話っぽい。

 水のトンネルの下で、陸兄さんがすぅ、と小さく息を吸った。

「俺、いおりちゃんのこと好きなんだ」

 薄暗い中で、陸兄さんの頬が赤く染まっているのが見えた。

 私も陸兄さんのこと好きだよ、そう返そうとして開きかけた口を反射的に閉じる。

 違う、これは、きっと私の思う”好き”とは違うものだ。

 私の思う”好き”は家族愛とか友愛に近くて、そこに嫉妬や苦しみはない。

 恋愛はキラキラ眩しいものだけではなくて、きっとドロドロした苦しい感情もあるんだろう。

 胸を締め付ける強い想いを、私は知らない。

 陸兄さんは、きっとそんな”好き”を私に向けているんだ。

 でも、私はそんな想いに答えることができない。

 恋を知らないから。

 それに、私はそのせいで拓海をひどく傷つけてしまっている。

 恋愛をしたいと思ったことがない。

 恋人がいなくても毎日楽しいし、いたらいいなと思うこともない。

 恋をする周りの子はキラキラ輝いて見えるけど、それを羨んだりすることはない。


「……陸兄さん」

「ごめん、急に。返事はすぐじゃなくても――」

「ううん、ごめんなさい。私、陸兄さんの気持ちには応えられないよ」

 陸兄さんは目を見開き、小さく息を呑んだ。

 ひく、と頬を引きつらせ、ぎこちない笑顔を浮かべる。

「理由を、聞いてもいい?」

 陸兄さんの声はかすかに震え、泣いているようにも聞こえた。

「……私は、恋がわからないから。陸兄さんを、傷つけてしまうと思う」

 私の素直な気持ちだった。

 無知が誰かを傷つけることもある。私は、拓海という大切な幼なじみの恋心を傷つけてしまった。

 そんな私じゃ、きっと恋愛なんてできっこない。

「それなら、これから一緒に知っていこうよ。俺、いおりちゃんになら傷つけられても平気だよ」

 穏やかに笑う笑顔が痛かった。

 違う、違うよ陸兄さん。

 私は誰かに期待されるような人間じゃなくて、それこそ一緒に歩んでいこうなんて無理な話だ。

 期待に応えられなかったと思うと怖くてたまらない。

 それに、私は一人じゃなにもできない。拓海がいないと――。

 あ、れ……。私、陸兄さんに告白されたのに、拓海のことばっか考えてない?

 電車の中でも、そうだった。

 陸兄さんと一緒にいるのに、頭に浮かぶのはいつだって拓海の顔。

 拓海がどれだけ私のそばにいて、どれだけ尽くしてくれたのか、他の人のそばにいて初めて気づくなんて。

 私は拓海を傷つけてしまったのに。

 拓海の想いを否定してしまったのに。

 それでもそばにいることを選んでくれた拓海を、私は――。

「いおりちゃん?」

 心配そうな陸兄さんの声にハッとする。

「ご、ごめん……私、やっぱり……」

「……そっか、残念。でも俺、諦めるつもりはないから」

「えっ」

「……片思いぐらい、させてよ」

 目を細め悲しそうに笑う陸兄さんに、なにも言えなくなってしまう。

 どうして私なんだろう。私よりずっといい人が、いるだろうに。

「なんで、私なの?」

「好きだからだよ?」

「うっ、ち、違くて!」

 どストレートな物言いにひるんでしまったが、なんとか言葉を絞り出す。

「なんで、私なんかを好きになったのかなって」

「自分のことをなんかなんて、言わないでほしいな。俺はいおりちゃんの優しいところが好きだよ。迷子にためらいながら声をかけるところも、自信がなくてうつむきがちなところも、大好きなゲームに目を輝かせているところも、全部好き」

「う、うぅ……!」

 自分から聞いといてアレだけど、思っている以上の答えがきて私のほうがダメージを食らってしまう。

 陸兄さんはニコニコしながら話してくれるが、不意に懐かしそうに目を細めた。

「子どものころ、いおりちゃんが俺に大丈夫? って声をかけてくれたことが、嬉しかったんだ」

「え、そんなことあったっけ」

「あはは、覚えてないよね。でも俺は覚えてる。いおりちゃんが五歳とかそのぐらいだったかな。陸お兄ちゃん、いつも優しくて大丈夫? って言ったんだよ」

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