転生しましたがビジネス用語溢れまくりの異世界で今日も生き延びなければなりません!

七森香歌

プロローグ:六月二十四日、二十三時四十二分

 半分眠りについたオフィス街で、ちらほらと明かりが漏れる窓が、今日も眠れない人々の存在を主張していた。ともすれば、その景色の一部になっていたかもしれないあたしは、駅のホームでため息をついた。

 何だか疲れたなあ、と揺れる蛍光灯の明かりの下であたしはそんなことを思う。湿度の高い夏の初めの夜の風があたしの白いフレアスカートを揺らしていく。冷房対策で着ていたラベンダー色のカーディガンが肌に纏わりついて鬱陶しい。

 終電まで仕事をしたのは今日で連続何日目だろうか。先週末は終電を逃して朝まで仕事をして、一度帰って着替えて再出社をした覚えがあるから、それよりはまだマシかもしれない。

 いつになればこの生活に終わりがくるんだろう。明日も明後日もどうせ出社だし、来月になっても来年になっても今と変わらず同じ生活をしているような気がする。

 まだ、誰か一緒に頑張ってくれる人がいれば少しは気持ちが楽だったかもしれない。だけど、あたしは孤独だ。みんながみんな、あたしなんていないように素通りしていく。空気のような扱いであればまだマシだったかもしれない。今のあたしは村八分どころか、秋からの新システムの情報すら回してもらえないという仕打ちを受けている。そのくせ、なぜかみんながあたしに面倒な業務の一切合切を押し付けていくのは本当に不可解で不愉快だ。

 死んだらこの生活から解放されるのだろうか、ふいにそんな思考があたしの脳裏を過った。それも悪くないのかもしれない、とあたしは薄く笑った。

 もうこんな生活には疲れてしまった。業務に終わりも見えないし、環境だってお世辞にも良いとは言えなくて息が詰まる。

 もう全部終わりにしてもいいよね、とあたしは足を踏み出した。あたしの右足が黄色の点字ブロックを踏み越える。そのままホームの端へと向かって、一歩二歩とあたしは歩を進めていく。

 そして三歩目。足元からあたしの体を支えるものがなくなった。下にある線路がスローモーションのようにゆっくりと近づいてくる。

 電車の前照灯の眩い光があたしの視界の隅で閃いた。パァンという警笛の音が耳をつんざく。キィィと甲高い音を立てて電車が急ブレーキをかける音がどこかで聞こえた気がした。それを最後にぶつりとあたしの五感は消失し、何もわからなくなった。


 ふと気がつくと、あたしは知らない場所にいた。どこかの会社の執務室のようだが、それにしてはパソコンも電話もない。すぐそこにあるデスクの上にちらりと目をやると、知らない文字が書かれた書類が置かれている。見たところ、日本語でないのは当然として、英語でもなければロシア語でもない。ハングルでもないしアラビア文字の類でもない。

 ここは一体どこなんだ、とあたしは混乱した。そもそもあたしは電車に轢かれて死んだのではなかっただろうか。

(もしかして、これがラノベやアニメで流行りの異世界転生とかいうやつだったりして)

 常識ではありえない想像があたしの頭を掠めていく。そんなまさかね、とありえない妄想を脳内から振り払うと、あたしは周囲へと視線を走らせていく。

 電車に轢かれたときにどこか行ってしまったのか、ぼやけた視界にクマのような印象を受けるアラフォーくらいの男性と話をしている浅黒い肌の五十代くらいの男性の姿が像を結んだ。文字は見たことのないものだったが、幸いにも言葉は聞き取れそうだった。

「今度のMTG、エンパワーメントのためにセクショナリズムを取っ払って、アクションラーニングやるべきだと思ってるんだけど、どう?」

 あたしは固まった。聞き取れはするものの、知っている言葉の中に混在したカタカナの単語が妙な違和感と存在感を主張している。

(え……ビジネス用語……?)

 辺りにはお菓子が勝手に湧き出てくる壺や怪しげな粉の入った小瓶が無造作に置かれていたり、機械仕掛けの不細工な鳥のようなものが飛んでいて、到底現代の日本だとは思えない。それなのに、あちらこちらから当然のようにビジネス用語が聞こえてきて、あたしは混乱する。これが本当に異世界転生とかいうやつだったとして、現代日本でも限られた意識高い系の人々しか使っていなかったような言葉が蔓延していていい世界観だとは到底思えない。

「ど、どうなってるの……?」

 動揺したあたしが小さく呟くと、五十代くらいの長身の男性がこちらを振り返り、

「リウ、どうした?」

 あたしが知らないはずのその男性がさらっとあたしの名を呼んだ。

「だっ、誰ぇぇぇぇぇぇ!?」

 混乱がマックスに達したあたしは思わず叫んだ。あたしの叫び声が辺りに響き渡り、フロア中の視線がこちらへと向けられる。

 こうして、あたしの二度目の人生は始まった。

  

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