カクヨムとラーメン屋
ラーメンは好きだ。
でもいわゆる二郎系や家系、おシャレで高価で食べログとかに出ちゃうラーメン屋に行くことはない。
確かに手間暇をかけて作られたり、店主のこだわりの麺や出汁や具材の旨味を感じずにはいられないけど、なんというか費用対効果というものの限界を感じる。
行列が出来る店に何十分もかけて並び、一杯で千円ちかいラーメンをものの十分程で平らげて、ふー食った食ったというのがなんとなく刹那的な感じがする。
だから、日常の中の一食としてならバーミヤンや日高屋でじゅうぶんかな?
と考えている。
あと、どーにもラーメン屋の店主あるあるという、ベタでインスタントなイメージが嫌いだ。
黒の半袖Tシャツに前掛けを掛けて頭には白タオル。それで腕組みしてドヤ顔。
「頑固そうな俺のラーメン美味いぞ、食ってみろ」っていうイメージから入ってるのがなんとなく嫌だ。
だけどそれで行列が出来るのも事実だし、だからそれが業界の常識として、まかり通っているのも、なんとなく客を小馬鹿にしている感じがするのだ。
さて。
現在連載中の「神のまにまに」を自主企画にお邪魔させて頂いた。
その企画とは『ストイックな作家の集い』的なものだ。
PVもハートもフォローも欲しがりません。好きなものをマイペースに淡々と書いてますよ、って読み合いでもなさそうな自主企画に、お気楽に参加させて貰った。
他の作家さまを拝見するに、同じように孤高の作家が多そうだ。
結果として自主企画にお邪魔した反響は少~しだけあったが、読み合いでもないので、皆さん淡々とご自分の創作活動をされていらっしゃるようだ。
それはそれで、自分の作品にイイネ!やフォローが付かなくても、気持ちのいいものだ。
同じ価値観の方がまだまだカクヨムにいらっしゃるというだけで、励みになる。
結論から言うと、いま流行りの異世界ものや、なろう系(チート、ハーレム、ざまぁ、追放、スローライフ、VRMMO、Vtuber等)や、あらすじ同然の長文タイトルなどは、この黒Tシャツ腕組みラーメン店主の匂いがしてイヤなのだ。
もっとイヤなのは、ラーメン屋なのだからラーメンで勝負すればいいのに、店主が写真を出して、腕組みの頭巻きタオルでドヤ顔してるところだ。
すなわち、いま流行りの作品にはその裏に神(≒作者)の願望や妄想、その存在が透けて見えるものが多すぎるということ。
とうぜん創作物は作者の妄想の産物なのだから、そこには趣味嗜好、願望、理想、夢想などがベースにあって然るべしだと思う。
だが、作品には神(≒作者)の存在を極力、匂わせないべきだ。
毎回どのジャンルでも、どのシチュエーションでも、ある程度は創作という世界の倫理に則り、あたかもそれは別世界の日常であるかのように、主人公やヒロインやモブにはそれなりに独自の色を出して、お決まりの展開ではなく、個性を前面に出して頑張って欲しいと願うのが私の矜持だ。
でもマーケットの世界は、売れるものが強いものだからしょうがない。
顔が見える店主のラーメン屋に並ぶ読者も、流行りもので安定のラーメンというジャンルがお好みなのだから。
食べログ通りの星の数。そして食べても大きく想像を逸していない、けど高い評価で美味いものを食ってる(気がする)という体験が良いのだろう。
なにより今の時代、俺もいつか頭巻きタオルで腕組みする店主になってやる!っていう層が多いから、ここカクヨムラーメン博物館でも、同じような店ばっかり出店されている。
だとしたら病みすぎでしょ、日本って――と思わなくもない。
私はいっそ、水と蕎麦粉と美味い空気を求め過ぎて田舎に行ってしまった、こだわりの店主の、峠道の怪しい古民家風の蕎麦屋でいい。
愛想は無いし、売れ線ではないが、席に着けば通好みのものがでる。
そういう蕎麦屋……もとい作者になりたい。
でもごく普通の客からしたら、外観からして入りにくい店なんだよなぁ、きっと。
そういう意味では繁盛店の行列を嫌う人や、怪しい峠の蕎麦屋に入りにくい人に向けて、日高屋やバーミヤンレベルの安心感を得られる事こそが、作品づくりに大切なのかもしれませんね。
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