第10話 身を焦がす憎悪は私の体にも牙を剥く~前を向いた、それ故の苦しみ~
――え、あ?――
久しぶりの感触に、私は困惑する。
――陛下に、口づけを、され、た?――
口を開放されて、漸くされたことを理解する。
顔が酷く熱い。
「へ、へ、へいか、な、なにを……?!?!」
「其方があまりにも自己嫌悪が酷すぎる、良くなるまで待つべきと思ったがあまりの酷さに我慢ができなかった」
赤紫の目が私を見つめる。
「ストレリチア、其方はあの雌などと比べ物にならぬほど美しい、身も心も。あの雌は身分、見目は多少良くとも心が醜く汚れている。ロベリアの毒沼の方がまだ汚れていない」
ロベリアの毒沼――あらゆる毒で汚染された沼。
強い毒耐性のある者ですら、近づけば後遺症に苦しめられる程の猛毒の沼。
悪意の沼とも呼ばれる。
モルガナイト陛下の言葉に、私は何も言えない。
そんなことはありませんと、言えなかった。
あの王女は私の恋人を、寝取ったのだから。
自分の方が「勇者」の恋人に相応しいと。
私は、許せない。
けれども、この胸の中で憎しみと嘆きの声を上げているものを私は宥める術を知らない。
「どんな形でアレ、其方を裏切った連中に報いを与えよう」
「で、でもそんなことを、したら……」
「ストレリチア」
モルガナイト陛下が私の頬を撫でる。
「私が其方の大切な者達を守ろう、其方を慈しんだ者達を守ろう。約束しよう」
「……」
「其方が私を愛するまで待つという約束を破った事は詫びよう。だが、私は其方が苦しむのをこれ以上見たくない」
モルガナイト陛下の、悲し気な表情に、私は上手く返す言葉が出なかった。
「ストレリチア、どうするかはこれから考えればいい。罰を与えるか、存在そのものを忘却するか、そう言ったものは其方に任せる。もし罰を与えたい場合、その内容が思いつかないのであれば、其方の望みに合わせて私が提案しよう」
「……」
モルガナイト陛下の言葉は酷く蠱惑的に聞こえた。
そう「あの連中」への処遇は私に任せると言ったのだ。
具体案ないならば、提案してくれるとさえ言った。
ずっと抱え込んでいた未練、痛み。
私はこれを抱え込んで生きたい訳じゃない、引きずって生きる気はない。
そんな生はまっぴらごめんだ。
私の事を騙していた連中を許したくはない。
ベルおばさんは、裏切られた時どうにもできなかった。
だから、今ベルおばさんは息子が同じことをした事に傷ついている。
母親に捨てられた私や兄の世話を見てくれた優しいベルおばさん。
亡き父と親友で、心が広くて、私達の家族に優しくしてくれて気遣ってくれたアルスおじさん。
そんな優しい両親に傷をつけた馬鹿な男。
真面目だった彼を、愚か者にした愚者共。
真面目だった彼の性格を自分好みに変えた雌。
ああ、私は――
お前達が憎くて憎くてたまらない!!
お前達の味方をする連中も同様に!!
「……モルガナイト陛下」
暫く黙り込んでいたストレリチアが口を開いた。
「私は……私を騙していた者達を、私を裏切っていた者達を許すことができません」
ストレリチアが漸く、口にした言葉に、アザレアは心の中で笑みを浮かべる。
「……どうか、どうか私に幻滅なされないでください。こんな醜い私を」
「誰が幻滅などするものか」
アザレアはストレリチアを抱きしめたまま否定する。
「其方のしたいようにするが良い。其方を裏切ってきた者達に、騙してきた者達に復讐する権利が其方にはある」
「――まず、最初に教えていただきたいことがあるのです」
「知っているならばすぐ、答えよう。分からなければ、調べさせよう」
アザレアがそう答えると、ストレリチアの言葉はある意味予想ができるものだった。
「現在捕えている勇者一行の一人、ダチュラが妊娠しているか否か。もし妊娠しているのであれば、その子が勇者カインの子かお教え下さい」
「――分かった、調べさせよう」
「有難うございます」
ストレリチアは、アザレアが愚者共をどうしたいのか気になったが、まだ始まったばかりだと、ほくそ笑んだ。
食事後、アザレアは配下に、捕えた
命じてから、ストレリチアには先に湯浴みを済ませて体を休ませておくように言い、自分はいつものように王としての仕事に手を付けた。
仕事にひと段落ついた頃、既に夜も遅くなっていた。
寝る前の湯浴みを行い、着替えてから、自室へと向かう。
ストレリチアはきっと眠っているだろうと、思っていた。
部屋に入ると、ベッドに腰を掛けているストレリチアが居た。
「ストレリチア、先に休んでいても良かったのだぞ?」
アザレアは少し驚きながらストレリチアに近づく。
そして目を見開いた。
体中に引っかいたような傷痕が見えるのだ、見ようによっては皮膚をはがそうとしているようにも見えた。
「……ストレリチアどうしたのだ」
アザレアはストレリチアを咎める事をせず、彼女の手を片手でつかみ、これ以上傷をつけないようにした上で、頬を撫でた。
「……陛下が妻にすると仰られたのを思い出して、自分の体が薄汚く見えてきたのです」
「――あの男が触った体、あの男が触れた箇所が汚らわしくて仕方がないのです!!」
血を吐くような言葉。
愛していた、未練があった――そしてそれは憎悪へと変化した。
その憎悪に変化した感情と、現在の立場からストレリチアは自身の体を汚らわしい物と認識してしまっていた。
どれほど、着飾ろうと、清めようと、触れられた事実は消せない。
薄汚い愚かな雄がストレリチアの体に触れた事実は彼女からすると消せないのだ。
消したくてたまらなかった、だから自分の皮膚を傷つけはぎかねない自傷を行ったのだろう。
アザレアは、そんなストレリチアを咎めることはしなかった。
「ストレリチア。其方は、苦しいのだな」
ストレリチアは己の「醜さ」と「汚らわしさ」に酷い嫌悪を感じている。
深い愛情を深い信頼を、それらを抱いた自分が、ストレリチアは今この場で何よりも消し去りたい物なのだろう。
愛したが故に、信じていたが故に、憎悪と変化したそれは代償と言わんばかりに彼女自身を苛んでいる。
「――ならば、私がそれを塗り替えよう」
「……え?」
アザレアはストレチアをベッドに押し倒した。
そして彼女が自分で傷をつけたらしき箇所を撫で、唇づけ、傷を癒していく。
「へ、陛下……?」
「手はださぬ、あの男が触れた箇所を全て私が塗り替える、それで良いかろう?」
「っ……うぅ……」
ストレリチアのすすり泣く声を聞きながら、アザレアは彼女を慈しむように、宥めるように、その体の一つ一つに優しく、愛でる様に触れ、口づけをしていった。
ストレリチアの憎悪と嫌悪が、彼女自身に向かなくなるように、祈りを込めて。
一週間後――アザレアの元に配下から報告があった。
捕縛し、牢に閉じ込めている、コーネリア国王女ダチュラは妊娠していると。
胎内の子の父親は、勇者カインで間違いないと――
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