雪解け

東雲

冬の訪れ

 灰白の空に雪が舞う。

 音も無く舞い降りては枯れ葉の大地を白く染め上げていく。裸となった木々の茶も。少し離れた常盤木の緑も。白く斑を描きながら染められていく。

 白い雪は六つの花弁を持つ。だから六花と名付けられた。やがて世界は白い花畑になるだろう。

 雪は降り続ける。

 枯れ葉の下。土の中。木の奥。そこには虫や動物たちが一つの季節を乗り越える為に眠っている。

 眠りの季節に白く世界が染まる。

 一つの影が在った。

 白花の衣を纏っている。白く長い髪は結われることもなく真っ直ぐに下に垂れていた。肌もまた白く、血の通わぬ人形のよう。焦点の定まらない瞳は雪をもたらす雲と同じ灰白。

 白い姿は世界に埋もれてしまいそうなほどに稀薄だった。

 薄い目蓋が数度瞬き、揺れていた瞳が世界を映した。

 雪は変わらず降り続けている。

 ゆるりと手を伸ばすと六花が一つ舞い降りた。

 真っ白な花は溶けないまま。新たな花がまた手の平に降り立つ。花は溶けることなく降り積もり、手の平を白く染め上げる。

 静かに見下ろすその顔に表情はない。

 静寂の中に羽音が紛れた。

 視線を上げると黒い影が舞い降りてきていた。

 広げられた翼は地につくと同時に折り畳まられる。

 すらりとした体躯は艶やかで濡れたような黒。嘴もまた黒く。瞳は黒曜石のような煌めきを放つ黒を宿していた。

 鴉だ。

 黒い首をもたげ、片翼を伸ばし、恭しく礼をとる。

「お目覚めをお待ちしておりました。冬の君」

 しゃがれた声が告げる。

 呼ばれた存在は数度瞬いた。

「貴方様は冬の君。その方で在らせられます」

 頭を垂れる鴉は続ける。

「日の本にあまねく降り注ぐ四つの季節の恩恵。その一つ。貴方様はまさに冬にございます」

 告げられた言葉に冬の君は緩やかに瞬きを繰り返す。それから記憶の彼方を見るかのように目を細めた。

 嗚呼、そうだった。

 小さく口の中で呟く。

 今までそうしてきたわけではない。そんな記憶はない。この存在が培ったものはない。ただ知識として。あるいは役目として。冬の中にそれは当然のようにそこに在った。白く閉ざされた世界に佇むように。

 役目がある。白く閉ざされた世界に役目がある。けれども周りは白く霞んで、それ以外は分からない。

「私は、何を?」

 掠れた吐息のような声で今も礼を取る鴉へと問い掛ける。

「南へ。冬を運ぶのです」

 何かをするわけではない。しなければならないわけではない。その存在だけで意味がある。

 だから、歩むだけ。この地から南へと歩いていく。それだけ。不思議とその答えは胸の奥から溢れた。

 視線を落とすと足先が見えた。履物もない素足は白く、爪先は青みを帯びている。

一歩、足を踏み出す。

 降り積もった雪は音を鳴らすことはなかった。

 視線を鴉に戻すと変わらぬ姿のまま置物のように動かない。

「貴方は?」

「案内を仰せつかりました。名も無き鴉にございます」

「誰から?」

「天高き場所におわしますところより」

 空を仰ぐ。降り止まない雪をもたらす雲が埋め尽くすばかりでその先は見えない。

 はらりはらりと雪は舞う。

 一つが顔に降りた。冷たさがじわりと肌に溶け込む。

 風が吹いてきたのか、何処かに流されだした。

 雪が流れる。雲が流れる。

 顔を下げ、灰白の瞳は漆黒の鴉を映した。

「参りましょうか」

「仰せのままに」

 両翼を広げ、冷えた空気を幾度か打つ。体躯は浮き上がり、一度冬を越えて頭上を旋回する。

「こちらにございます」

 鴉の飛ぶ方向を見る。

 木々の中でありながら行く手を阻むようなものはない。道が敷いてあるかのようなに白く染まり、遠くもまた微かに霞んで見えない。

 それでも冬の君は歩き出した。

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