転生聖女は甘い嘘をつく

りお しおり

佳央

「わたし去年ちょっと大きな手術をしたんだけどね、そのときに異世界に転生して、聖女になってたんだ」


 ケーキに乗ったいちごにフォークを刺しながら、雪乃ゆきのは昔と変わらない、おっとりした口調で話した。


 十五年前より大人びていたけれど、雪乃のふんわりとした微笑みは少しも変わっていなかった。そこには少しも邪気はない。


 甘やかな微笑みは、まるで砂糖菓子のようだ。あの頃には感じなかった、禁断の果実のような魅惑的な甘ささえ加わって。


 雪乃は昔から、たわいもない嘘をよくついた。けれどそれはいつだって人を楽しませるような、きらきらした夢のある嘘だった。


 私は雪乃の嘘を聞くのが好きだったけれど、周りの子にとっては嘘は悪いものでしかなかったらしい。雪乃はいつしか嘘つきと言われるようになっていった。


 そんな雪乃の近くにいたのは、いつだって私だけだった。


 またあの頃と変わらない、絵空事のような嘘を雪乃は語りはじめるのだろうか。


 雪乃の砂糖菓子のような嘘にくらくらと惑わされながら、私はあの頃のことを思い出していた。



   *   *   *



 雪乃にはじめて会ったのは、中学校の入学式の日だった。


 発表されていたクラス表に従って自分の教室に入ると、名前の順通りに座席が決められていた。私の席の後ろの女の子は、緊張した面持ちで、席にじっと座っていた。


 それが雪乃だった。


 クラスの座席に並んだ名前の約半分は知った名前で、もう半分は知らない名前だった。それもそのはずで、ほぼ同じ規模の二つの小学校から、そのまま入学する仕組みだったから、多少の偏りがあっても、半分は同じ小学校の子たちなのだ。


 だから多くの子たちは、違う小学校出身の知らない子よりも、たいして仲良くもない同じ小学校の子たちとおしゃべりをして不安を和らげていた。


 どの人の輪にも入らず、一人でいる雪乃のことが、そのときから気になっていた。


 少し困ったように下がった眉も、大きな目も、低い位置で二つに結んだ髪も、羨ましいほど、いわゆる女の子だった。


 羨ましくて、仲良くなりたくて、でも話しかける勇気もなかった。座席表の檜原ひのはら雪乃という名前を見て、心の中で「雪乃ちゃん」と口ずさんでいた。



 入学式の後、教室に戻ってきた私たちは担任の話を聞き、そして予想通り自己紹介が始まった。名前の順で始まったそれは、みんな名前と出身小学校、入りたい部活など一言加えて、最後はよろしくお願いしますと締める、お決まりの簡単なものだった。


 私に続いて立ち上がった雪乃に振り返って注目すると、彼女は相変わらず緊張した面持ちをしていた。


「檜原雪乃です。父の仕事の都合で、中学校からこちらに住むことになりました。よろしくお願いします」


 かすかな声の震えが、雪乃の緊張を物語っていた。拍手とともに座った彼女からは、小さため息が漏れた。それは、安堵のものにも、うまくできなかった後悔のものにも聞こえた。たぶんどちらもだったのだろうと思う。


 私は今すぐにでも振り返って、よろしくね、と笑いかけたい衝動に駆られたけれど、もちろんそんなことはできなかった。


 どうやって話しかけたらいいだろう。

 そんなことを考えながら、残りの自己紹介は気もそぞろに聞いていた。


 自己紹介後は色々な説明があっただけで、そのまま終わりになった。お互いに様子を見ながら声をかけあったり、帰ったりしていく周りの様子を見ながら、私はなけなしの勇気を振り絞った。


「あ、あの、檜原さん!」


 緊張して吃ってしまったけれど、帰ろうとしていた雪乃を呼び止めることができた。雪乃は声をかけられるなんて思ってもいなかったようで、もともと大きな目をますます大きくして驚いていた。


 正直、何を言うかなんて考えていなかった。私は咄嗟に、雪乃のバッグについていたチャームを指差した。


「それ、かわいいね」

 雪乃は少しきょとんとし、それからはにかんだ。


「ありがとう。雪の結晶の形してたから。こういうの見るとほしくなっちゃうんだ」

「名前、雪乃だから?」

「そう。単純でしょう?」


 ふふ、とさっきまでよりも屈託ない表情で笑う雪乃に、私も真似をしてふふと笑い返す。私たちは顔を見合わせて、またふふと笑いあった。


 それから私たちは教室を出、階段をおり、靴に履き替え、自転車置き場まで歩いた。その間、ぽつぽつとおしゃべりをしていた。今日の話、明日からの話、それに少しだけ自分たちの話。


 雪乃も私も自転車通学だけどそんなに遠くはなくて、でもお互いまったく逆の方向で、雪乃は正門、私は裏門から帰る通学ルートだった。


 一緒に帰れたらよかったのにね、と二人で言い合って、また明日、と手を振って別れた。また明日という言葉がくすぐったく、こんなにきらきらした言葉だと初めて知った。



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