第14話

 あっという間に時は過ぎて、私は20歳になった。カガリもすくすく育って、もう5歳だ。


 彼女はやっぱり父に似て目鼻立ちがハッキリしていて、近所でも評判の美少女になった。零れそうな瞳も、長くて上向きにカールした睫毛も、小ぶりの鼻も、瑞々しい唇も美しい。

 その愛らしさから同い年の子供たちにはもちろん、親世代やもっと高齢の人からも可愛がられているため、ほんの少しだけワガママに育ってしまったのが玉にきずだろうか。


 また、やや癇癪かんしゃくもちになった。ワガママを言えば言うほど両親は喜ぶし、少しでも不機嫌な様子を見せれば必死になってご機嫌窺いをする姿が面白いのだろう。恐らく、どこまでなら許されるか親の愛情を試しているのだ。

 今は見た目の愛らしさで許されている部分があるけれど――姉としては、大人になった時に周りの顰蹙ひんしゅくを買うのではないかとヒヤヒヤしてしまう。


 私はずっと商会で、それも受付という女社会で揉まれて生きてきたのだ。同性の恐ろしさや恵まれた人間に対する嫉妬の怖さは、嫌と言うほど知っている。可愛い妹まで母のように、複数の悪意に晒されたら困る。


 だから、あまりにも彼女のワガママが目に余る時には、さすがに口出しをしたくなるものだ。

 要らぬ敵を増やせば、結局は将来カガリが苦労することになる。常識の範囲内で人を振り回している分には老若男女から愛されるのだから、つい『もったいない』と思ってしまう。商人の近くに居すぎた弊害へいがいだろうか。


 ――けれど「それはさすがに言い過ぎよ」なんて指摘しようものなら、カガリは耳をつんざくような大声で泣き叫んで不満を訴えかけてくる。それを目にした両親は、「カガリの好きにさせなさい」「まだ5歳なのだからワガママで当然」と言って聞かないから困る。

 なんなら、私のうとむような顔すら見せるのだ。


 父母がそう言うならば仕方がない。確かにまだ5歳だし、そもそも人というのは失敗から学ぶ生き物だ。失敗を経験する機会を事前に潰して、それはダメ、これもダメと引き留めることの方が、よっぽど過保護で悪い行いのようにも思えた。

 まるで、転んでケガするのが怖いから走らせないとか、人に虐められるのが怖いから家から出さないとか……それぐらい自分本位で、カガリの可能性を潰すような悪行だ。


 幼いうちは好きにさせよう。カガリと私は違う人間だし、育てられ方だって全く違うのだから。


「――セラス、この帳簿を確認してくれないか? 計算が合わない」

「ええ、分かった。すぐに確認するわね」


 すっかり変わってしまった低い声は、いまだに聴き慣れない。同世代の男児よりも小柄だったはずのも、成長期を迎えると190センチを超えて――それがまだ成長し続けているというのだから驚きだ。

 見目が良いかと聞かれれば、別に美形という訳ではないけれど……少なくとも体格は良いし強面だし、迫力と頼り甲斐なら誰よりもある、と言ったところだろうか。


 ――そう、年を重ねたのは私とカガリだけではない。15歳になった幼馴染兼婚約者のゴードンは、もう次期商会長として学びながら働いているのだ。


 12歳で初等科学校を卒業して、高等科学校には通わずにすぐさま商会の職員となった。ただ、一般職員とは違い商会長の跡継ぎとして覚えることが尽きないため、何かと大変そうだ。


 3年も経てば少しずつ理解が深まってくるものだけれど、それにしたって愚痴ひとつ零さずに務めているのは、年下ながら尊敬する。――いや、もう私の後をついて歩くカルガモでもないし、年下なんていう言葉は失礼だろうか。


 渡された帳簿に目を通せば、確かに計算が合っていない。一行ずつ欄を見ていくと問題の部分が見つかったので、そこを指差しながらゴードンを見上げる。あれだけ小さかったのに、わざわざ見上げなければならなくなったのが本当に感慨深い。

 ゴードンは腫れぼったい目を緩ませると、「さすがセラス、仕事が早い」と褒めてくれた。私は胸を張って「当然よ」と笑いながら答える。


 昔は真っ白だった彼の肌も、商会で働くようになると外回りが増えて浅黒く焼けた。……焼けていても、私が笑う度に頬が朱に染まるのが丸分かりだ。どれだけ体が大きくなっても、顔が怖くなっても、カルガモじゃなくなったって、こういうところは可愛らしいまま。

 昔のように「経理になれば良いだろ」なんて言ってくることはなくなり、いつも照れくさそうに私の都合を確認する。仕事終わりに時間はあるか、一緒にご飯でも食べないか――と。


 一体、私の何がそんなにも好ましいのだろうか。ある程度成長すれば、化粧などしなくても美人の女に目移りするだろうと思っていたのに……彼は一度たりとも私から気持ちを離さなかった。


 赤ん坊の頃から面倒を見てきたのは確かだけれど、それほど大きな恩を売った覚えはない。こんなにも執着されるほどの特別な何かをした覚えもない。単に初恋を拗らせているのだろうか? よく分からない。

 ――ただ、彼が私の心の支えであることは間違いない。こうして好いてくれていることは、本当に嬉しいのだ。


「セラス、今日この後時間あるか? 父さ――商会長が、一緒に食事しないかって」

「商会長が? 前にも誘ってくれたのに、ダメだったのよね……行きたいのは山々なんだけど、まだカガリが小さいから――」


 両親は私に、カガリと過ごす時間を少しでも長く作るようにと言った。父母からだけでなく、姉からも愛されているのだと実感させたいらしい。あの子が愛に飢えないように、悲しい思いをしないように――その気持ちはよく分かるし、私が仕事から帰るとカガリは飛び跳ねて喜ぶのだ。

 あの顔を曇らせたくなくて、商会の先輩方との付き合いはめっきり減ってしまった。退勤後は一直線に帰宅しなければ、カガリはまるで姉に捨てられたと言わんばかりに不安がるから。


 私が悩んでいると、ゴードンの太い指が頬をくすぐった。首を竦めて「もう、何よ」と笑えば、彼は眉尻を下げて困ったように口を開いた。


「結婚の日取りを決めた方が良いんじゃないかと急かされて」

「――ええ!? 結婚って……あなた15歳になったばかりじゃない。まだ3年あるわよ?」

「違う、もう3年しかない。式場は早いうちから押さえておきたいし、俺の実家で親と同居するより新居を建てた方がセラスも楽だろ? その計画も立てたい、やることは山ほどある」


 随分と気の早いことだ。……いや、私がマイペース過ぎるだけなのかも知れない。面食らってポカンと呆けた顔をしていると、彼は大きな咳ばらいを一つした。


「俺は商会を継ぐし、その……早いうちに跡継ぎができないと困るから」

「跡継ぎ、ねえ」

「へっ、変な意味じゃなくて! ただ俺の代で商会を潰すのは許さないって、耳にタコができるほど言われてるからプレッシャーなんだ……父さんと母さんは、なかなか子供ができなくて困ったって言うし――結婚したらすぐにでもつくって、後顧こうこの憂いを断てってうるさい」


 気まずげに言うゴードンを見て、なんだかおかしくなった。それはまあ結婚するのだから、子供をつくるのも当然だろう。特に彼は商会の跡継ぎで、ここで血脈を途切れさせる訳にはいかないのだから。


「まあ、そうね……私も『経理』になるからには、跡継ぎをつくるのは何よりも重要な役割だと思うわ。むしろ、そこ以外に価値はないと言っても過言ではないかも知れないわね」

「それはさすがに言い過ぎだが……俺の両親はつくって当然だと思っているし、セラスに期待している。見るからに安産型だって――」

「ちょっと、ひと言多いわよ!」


 言わなくて良いことまで言われたのはアレだけれど、家族にと望んでくれているのはありがたい。

 ひとまず今日のところは保留にして、後日――事前に両親とカガリに断りを入れてから――必ず食事すると約束して別れた。

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