07‐03「風は行く先を知らない」



 学校の裏庭のベンチにレナータが座っている。すでに夜も深く、外気は肌寒いほどだ。


 コートを着て、一人夜空の星を見上げるレナータ。


 ツェツェーリアとの決闘の承諾をし、その日時が決まった。明日の夜9時。ツェツェーリアにとっては、待たせる時間もお楽しみの一つなのだろう。


 負ければチートツール「自分のモイ・グアザ」と本当の自分の眼を失う。


 勝率を考える。自分の腕前に自信はあるがツェツェーリアも元国家の英雄だ。さらに一回勝負というルール。どちらに転ぶかなどわかるわけがない。


 手のひらで左目を覆う。


 「これがなくなると、辛いな」


 彼女の気を重くしているは、勝負のことだけではない。彼女を取り囲んでいる状況は、想像をさらに超えて悪かったのだ。


 それは、ツェツェーリアの部屋を飛び出した後でのことだ。




 レナータはその足で校長室に向かった。アポもなくノックだけして室内に入った。


 校長はツェツェーリアの部屋にあったものよりも二段階格下のデスクに小さく収まり書類仕事をしていた。


 レナータは事の次第を報告した。


 もちろんチートツール周りに関しては可能な限りぼかし、ツェツェーリアの暴虐ぶりのみをクローズアップして伝えた。


 校長は、この寄宿学校のトップであり、全ギグソルジャーを管理する責任者でもある。さらに形式的にはツェツェーリアの上司、彼女を諌める立場にある人間である。


 その彼の返答は、レナータの想像したとおりであった。


 「それは…なんともならんな」


 予測していたのでショックはなかったが失望は大きかった。この期に及んで、手を尽くす気すらないとは。


 小さな男はデスクに収まったまま、女生徒の窮地を見過ごそうとしていた。


 「君たちがどう思っているか知らないが、私は彼女に命じることができる立場にはない。彼女は中央政界との繋がり…まあ血縁者だな。私のような役人が彼女に一言いえば、私の首が飛ぶ。その、眼球…眼球…」


 校長はしばらくその単語に悩んだ後 


 「片方だろ?」


 それが良き事でもあるかのように言った。


 「私はなぁ…彼女が来てから、どれだけ苦しんだか。我々は同じ被害者なのだよ。…それがやっと帰ってくれる。たしかに、多少損害がでるが…片目だ、死ぬのに比べたら」


 「比べたら?」


 「隠蔽がしやすいに決まっとるだろ。死体が出たら隠すのが大変だ。口封じも大変だ」


 「教官が生徒の片目を焼くと公言したのですが」


 「それでも、彼女にとっては問題にならない。私も問題にしない。君も、するな。そして間違っても勝ってはならん」


 「勝つことも許さないと」


 「勝って機嫌を損ねて、なにかいいことがあるかね?そこで駄々をこねるに決まっている。被害が拡散する。レナータ、君のために言っているんだよ、その片目は諦めなさい」


 教育者のように片目をなくせと諭してきた。


 そして書類に目を移してぶつぶつと言いだした。


 「あの女も、やっといなくなる…どこだったかな?OKB…いくつだったか、そうそう、オブニンスクだ!元いた所に帰るんだ。せいせいする。全員が被害者だったんだ…誰が悪いわけではない…」


 もうレナータを見ていない。レナータは無言で退室しようとしたが、振り返って聞いてみた。


 「校長、わたくしはここに2年近くご厄介になりました」


 「それが?」


 「親心、というものをお出しになってはいかがでしょうか?」


 校長と肩書の付いた男はため息ながらに言った


 「親心などというものは、家にしまっておくべきものだ」






 寂しいベンチでレナータはため息をついた。


 最後の質問の答えは知っていた。だからショックはない。それでも聞いたのは「その人物の答え」を聞いてみたかったのだ。窮地において出る言葉が答えだ。校長は「絶対に助けない」と言った。それが彼という人間の答えだ。それが聞けたのは(自分に不利益であったとしても)満足だった。


 「さて」


 事態は一向に好転しなかった。


 すでにこの学校内においては、彼女の左目は無き物となっている。明日の夜にはこんがり焼かれる。彼女の頭蓋骨に収まったままで。


 「逃げるか」


 いくつか想定はしていた、ここから逃げた後の生活を。どこに行っても犯罪組織に潜り込んでハッキングの技術で食ってはいけるだろう。だが永遠に日の下では暮らせまい。国内にいる限り、安息はない。それを考えればこの寄宿学校でのギグソルジャー生活は気楽ではあったが、それも失われようとしている。戦場で正気であろうとしてチートツールを作ったがために。


 レナータの心の秤は「逃走」に傾いていた。


 「しかし、それではアクサナの目が…」


 「レナータ!こんなとこいたんだ!」


 アクサナが小走りに近寄ってきた。


 「寒いよ~」


 「夜だからね。どうした?」


 「どうしたって、レナータの方だよ、こんな夜に外で歩いて」


 隣に座ったアクサナはその緑の目でレナータを見つめた。その目はまだ濁りもない綺麗な目だった。


 レナータは無言でアクサナの眉と眼窩のあたりを指でなでた。


 「どうしたのレナータ、くすぐったい」


 目をつぶり、なすがままになるアクサナ。レナータには彼女はこの世から失ってはならないものに見えた。


 アクサナはレナータの現状を知らないようだ。校長もツェツェーリアも噂を広めないくらいの常識はあったようだ。


 「アクサナ、君は自信がついた?」


 「え?」えっと少し。ちょっとだけ。レナータと一緒に戦えていると、自分に自信が湧いてくる」


 そういってレナータの両手を自分の両手で握った。


 「アクサナ、もしもこれから、もしも困難に君がぶつかった時は、思い出して」


 二人で手を握り合い、見つめ合いながらレナータは言った。


 「君には生き延びる力がある」


 「私に?」


 「そうだ、それをこの私、レナータ・エルメエヴナ・トゥマーノヴァが保証します。君には力がある。もしもそれを疑った時は、私を思い出して。私があなたを信じているって思い出して」


 真っ赤になったアクサナはなんと言っていいのか迷っている。手を握ったまま待っていたレナータに答えた。


 「私も、レナータを信じます。私は自分に力があるって信じます。あなたが信じてくれる限り」


 最後は涙声になっていた。


 


 「さあ、部屋に戻って」


 一緒にいるというアクサナを無理に戻らせて、レナータはベンチに座り直した。


 「これでよし」


 一つ片付いた。決意に揺らぎがなくなった。アクサナを犠牲にする選択肢を消しさった。アクサナに伝えたいことは伝えておいた。


 そして勝負に負ける気もなくなった。


 (窮地において、私は負けるのを選ばない人間だった)


 しかし、片目になった自分は、おそらくこの学校にはいられなくなるだろう。あの校長だ、厄介払いは得意と見える。


 戦士としてもお払い箱になるだろう。 




 ベンチに人が近づいてくる。この学校のメンテナンスをしている庭師だ。初老の女性で、学園の用務員ではなく外注庭師だ。


 (それがこんな時間に)


 その女性は休憩をとるように、レナータの隣に座った。


 「…」


 レナータは何も言わない。彼女も何も言わない。


 十分近く無言で座っていた女性は、ベンチの座面を一度コツンと叩き、その場から去っていった。


 レナータは何事もなかったように座っている。


 女性がベンチの座面に置いたイヤホンに目が行ったのは一瞬だけだった。傍目からみてレナータがそれに気づいた様子はまったくなかった。


 小さな片側だけのイヤホン。


 それがレナータを悩ませた。


 (トラップだ!)


 99%罠としか考えられない。


 (これを耳にはめたら、スパイ容疑で捕まえるのか?)


 レナータは時間をかけて、ゆっくりと周囲を見渡す。庭に人影はない。裏門の番兵も外側に立ちこちらが見えない。監視カメラはあるが、古い旧式、こちらを向いてもいないし夜目が効かないタイプだ。


 (監視者なし)


 とうぜん遠距離からの撮影ではどうしょうもない。


 (立ち去れ!)


 危機管理からすれば、何もせずに立ち去るのがベストだ。だが、彼女はこのイヤホンから立ち昇る誘惑に抗えなかった。


 何事もないかのような、自然な動きの中でイヤホンを拾った。


 (ツェツェーリアの罠?まさか!奴は明日、私の眼球を焼くことを楽しみにしている。こんな小細工をしたらその目論見が外部に露見する。スパイ罪ともなれば軍警察が出てきてしまう)


 イヤホンを手の中に隠し、星を見るふりをしている。寒空に星は輝いている。


 (校長?それもない。これこそ奴の嫌いな厄介事そのものではないか)


 レナータは外部からの罠の可能性も考えたが、材料がなさすぎる。「ロシアギグソルジャーの次世代のエース候補」という微妙な肩書の彼女に、罠を仕掛ける必要性がない。


 そして、1%のチャンスの匂いも感じていた。


 (なにかある…)


 彼女は意を決して耳にイヤホンを刺した。




 「聞こえるか?」


 ロシア語だった。しかしアクセントの微妙な揺れ、


 (AI翻訳!ロシア外の人間。候補はロシア以外の世界全て)


 一言ずつ分析するしかない。


 「一応確認する。レナータ・エルメエヴナ・トゥマーノヴァ。本人で間違いないな?間違ってたら、そのイヤホンは投げ捨ててくれ」


 レナータは一言も発しない。呼吸も抑えている。


 「まだ投げ捨ててないから、本人だと確認した。君がこの通信を疑っているのはわかる。だがいい話を持ってきたと思ってもらいたい。この言い方も怪しいが、いい話だ」


 (男、言ってる内容は…怪しい)


 「単刀直入に言おう。君をスカウトしたい。我々は長い間、君に注目しスカウトしようと画策していた」


 (スカウト!このタイミングで?)


 「現在君は、イェンシー配下のギグソルジャーだが、当然ながらそれに法的拘束力はない。個人の意思でつく陣営を変えられる」


 (どっちだ?ルーロか?エントか?)


 「君が気にするのは、どちらの陣営か?だろう。だがそれには答えられない。理由は理解してもらえるだろう」


 (陣営を告げてスカウトをすれば、失敗した場合に情報をバラされ不利益がでる)


 いまだレナータは一言も喋っていない。


 「まあ、ルーロかエントのどちらかだ。それ以外はない」


 (犯罪組織ではない、と言っている。言っているだけだが)


 「安全な国外脱出の手段、そして契約金に二千万イェンシー相当、年俸に千五百万イェンシー相当を、どちらかの通貨で支払う」


 (国外脱出!)


 渡りに船とはこのことだった。さらに契約金も魅力的だった。男は続けた。


 「現地での生活の手配。国籍、教育、身分の保証。現地のガイドも用意する。若手ギグソルジャーのスカウトとしてはいい条件を揃えたつもりだ」


 移住する国の国籍と学生としての身分まで用意すると言っている。カレンシーAIの配下ならそれくらいのことは可能であろう。


 ベンチの背もたれに背中を押し当てる。


 安心という魔物が腰から這い上がってくる。


 国外脱出、金、安全、ギグソルジャーとしての生活。


 全て望んだことだ。


 安心感が思考をぼやかせる。


 チャンスだ。罠かもしれないが、この細い糸のようなチャンスを見逃してはいけない。


 「その様子、どうやらいい返事のようだな」


 どこからか見ている。当然だろう。


 だが、安全という甘い誘惑に脳が溶かされ、冷静さが消えていく。


 「だったら、急かして悪いが、そのまま立ってくれ。裏門の連中は黙らせる。すぐに出発だ。服は現地についてから買ってくれ、思い出の品も全て、取りに帰ってはいけない」


 冷や水が脳天から溢れ出し、全身を濡らし凍らせた。


 「今から?」


 「おお、初めて声が聞けたな。そうだ、今からだ。この一瞬でお前の姿を消す。準備は全部できている」


 (今、私が消えたらどうなる?)


 そんなことは分かっていた。


 アクサナの綺麗な緑の目。


 彼女の瞳孔の奥に火花が散っている。


 火花の数は増し、アクサナの口が大きく開く。眼窩の光が漏れアクサナの可愛い舌を照らしている。歯がむき出しになる。叫んでいる。左目の白目に血管が走りその数が増える。白目に網目のように亀裂が入り、そこから焦げ始める。


 アクサナは自分の眼球の焼ける匂いを嗅いで悲鳴を上げるだろう。


 「駄目だ!信用できない!」


 「なに、今更だな?」


 「当然だ。イヤホン一つに命をかけられると思うか?」


 「じゃあ、どうする。今度は喫茶店で会って説明しようか?デートは3回しないと駄目ってタイプか?」


 (どうする?)


 チャンスは…人生において「本物のチャンス」というのは少ない。これが逃してはいけないチャンスなのは間違いない。


 「信用…証明しろ。おまえたちが本当にカレンシーAIの配下であるという証明。それを用意してくれ。明日まで待つ」


 「証明って…今すぐお前に契約金を振り込んでもいいが、それは学校にチェックされる。お前が信用したとしても、逃れる手段がなくなるだけだぜ。結局の所、お前がどのレベルなら信用するかという話だ。お前は、なになら信用する?」


 「どこまでできるんだ?」


 「空に星を輝かせる程度だ…自分で考えてくれ」


 結局、初日の交渉はそこで頓挫した。


 再コンタクトの方法を教わった。


 「このベンチに座って喋れ」というのがそうだ。


 200メートル向こうのビルに設置されたカメラが、顔認証でレナータを識別し、口の動きでメッセージを読み取る。読唇の精度は99%だが、安全のために2回同じ言葉を喋れということだった。


 そして「信頼に足る証」を明日の夜までにこちらに要請しろと。


 それが可能な事な場合、窓にライトを一度光らせる。不可能な場合は3回光る。


 これが再コンタクトの方法。明日までに成立しなければこのスカウト話は流れる。そして、


 「そのイヤホンは使わないから、投げ捨ててくれ」という言葉で通話は終わった。


 レナータは危険な証拠品をバラして捨てた。




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