第三話
03‐01「ロシアの風」
『戦争があれば、いつでも』
なぜ自分はあんな事を言ったのだろう?
自室のベッドで目覚めた少女の目に低い太陽が光を刺し込んだ。冷たい大気を通り抜けてきた太陽の光には僅かなぬくもりしか残っていない。その弱い青色の光を彼女の長い金色の髪が何倍にもして反射させて輝く。彼女の白い肌も、開いた瞳の青い目も、光を跳ね返し輝いている。
起き上がる。二段ベットの下段が彼女のスペースだ。上の段は、未だに次の住人がやってこない。二人部屋を一人で住んでいるのは快適だが、生活の刺激が乏しくなる。
「また同じ夢…」
生活に刺激がない。同じことの繰り返しだから、新しい結節点が生まれない。だから同じイベントを何度も夢に見てしまうのだ。
レナータ・エルメエヴナ・トゥマーノヴァはそう考えていた。
起き上がり身支度を整える。
食堂に出ると朝食を取りに来た大勢の女の子たちがいる。レナータと同じ様な白い肌に金髪の子も多いが、黒い肌、黄色い肌、髪も赤や黒、ブラウンに灰色。様々雑多な子どもたち。
ただ全ての子供達に共通しているのが
「天涯孤独である」という属性。
捨てられた、両親が死亡した、紛争孤児、移民の子、理由は様々だが結果は同じだった。孤児としてこの寄宿学校にまとめて引き取られた。
レナータの「理由」は「不明」だった。
両親の情報も、亡くなったのか捨てられたのかもわからない。生まれたその日から17年間、点々と居場所を変えられる人生だった。
そしてここに来た。ここには3年もいる。
籠から籠へと移される人生だ、レナータは自分の人生をそう思っていた。
いつもどおりの質素な朝食をもらう。子供の成長力を過信したかのような貧相な内容。必要な栄養素が取れるのかも怪しい。テーブルについて無言で食べた。
真ん中あたりのテーブルで教官達に見つからないように騒いでいる連中がいる。白い肌にニキビを浮かせた大柄な女子「ニーカ」。彼女が取り巻きたちと一緒に弱気な生徒を取り囲み、彼女の朝食をおやつ代わりに食べている。
383と呼ばれるチームのリーダーだ。
弱気な少女の朝食を平らげた後は、彼女の恐怖を弄ぶ。数人で寄ってたかっているが、ニーカの悪質さがこの状況の根本だ。383は先日も学校を襲い、無意味な殺戮を楽しんでいた。ニーカはレナータのひとつ上、18歳だが、もう残酷の楽しみ方を熟知している。
しかしレナータもそれを咎めることも、助けることもしない。
レナータからすれば虐められている少女に問いたい。その状況を回避するための万全を尽くしたのか?教官に言っても無駄だろう。それならば教官に取り入る方法を考えるべきだ。もしくはニーカに対抗できる勢力、オリガやポリーナといった子の庇護下に入る。それが無理ならニーカのチームに加わることすら考えてもいいはずだ。
「それか…」
レナータは手に持ったフォークの輝きを見る。手段はいくらでも転がっている。生き残るすべはいつだって用意されているのだ。
レナータは食堂を後にした。朝の授業に備えなければいけない。
白一色の壁と天井の古い廊下を進む。ソビエト時代に建てられた歴史ある建物だが、この建物内に子どもたちの笑い声が響いたことは一度もないだろう。
ニットに、チェックのスカート、チェックの靴下。そして長く編み込んだみつあみの髪。この学校の制服姿でツカツカと歩く。無駄のない歩み、ぶれない視線。他の生徒たちも同じ姿、同じ様な髪型、同じ様な姿勢で、同じ様な歩き方。廊下の端には指導教官が立っている。少しでもブレがあれば注意とムチが飛んでくる。
ここは通常の寄宿学校とは違う。親や家庭のあるお嬢さんたちが学ばないようなことを学ばされる学校、軍事寄宿学校だ。
それも電子戦、特にメタアース内での戦闘に特化した兵士を育成する学校なのだ。
教室には古臭い建物にふさわしいレトロなPCが並んでいる。机も椅子も通常の教室のものと変わらない。リクライニングシートなど望めるわけもない環境。背筋を伸ばしてPCを操作する。
一時限目はプログラミング。この授業はレナータにとってはお遊びにも等しい。幼少時、親に捨てられ国家に拾われた彼女は、適正を検査されPC操作に適すと判定された。その判定は意外にも正しく、彼女は十歳そこらで国家認定ハッカーレベルの技術を身に着けたのだ。彼女は当初、そのまま国家のハッキング兵器としての人生を進むはずであったが、無記名戦争が起こりそれが電脳戦争の主戦場となったため、急遽、ギグソルジャー育成機関であるこの寄宿学校に送り込まれた。
PCで課題をこなしている風を装いながら自分の作業をする(一年分の課題は初日に終わらせている)。自分のフェイスグラスの改造プログラムだ。すでにジェイルブレイクされ存分に改造しているが、戦場の画像変換処理のプロテクト破りがまだ完璧ではない。
パフォーマンスを落とさず、レナータ達のクライアントであるカレンシーAI「イェンシー」のBAN判定をくらわないための秘匿性が絶対に必要だった。繊細なプログラミング精度が求められる作業だ。
だがようやく、ものになるものができた。レナータは喜びに叫びたかったが、キーボードを適当に叩くだけでこらえた。それだけでも教官が彼女を睨みつけた。
2時間目は射撃。屋内の射撃場に女生徒たちの射撃音が響く。
これがメタアース内での戦闘にどう役に立つのか。実に謎である。実銃の取り扱いに慣れたところでゲーム内での射撃がうまくなるわけではない。むしろゲーム内での実力者たちを並べてみればわかる。実銃を取り扱ったことがあるプレイヤーが何人いるだろうか?
レナータはそんなことを考えながらライフルの狙いを定める。
できる限りメタアース内での自分を想像し、狙う相手もメタアース内でのギグソルジャーを想像する。
撃つ、当たる。
火薬銃が発生させる余分な衝撃が肩を殴り、余計な発射音が顔を殴る。無駄な現実のリアクション。コレがなければもう一人撃てたのにと、レナータは残念に思った。
ライフルを手に立ち上がる。低い太陽が冷たい大気を温めようと必死の努力をしている。
しかしこの国では北風がつねに優勢だった。
3時間目は体育である。
火薬の匂いがする髪のまま、体育館に向かう。柔道着に着替え、薄いマットの上で正座をさせられる。これに至ってはもう、軍事学校の悪癖と言っていい。ギグソルジャーに体術を教えるのはハッカーに馬術を教えるのに等しい。だが、この学校を運営し、カリキュラムを作っている老人たちには関係ない。軍隊とはそういう物だ、それが維持され続けることのみが、彼らの価値観なのだ。
柔道をやり込んだ筋骨隆々なゲームチャンピオンを見たことがあるだろうか?
脳内が規律遵守と怠惰で埋め尽くされている老人達にとっては、形式が整っていればいいのだ、結果など誰も気にしないのだから。
無責任の厚い雲が頭上を覆っている。それだから若者は空を飛ぶ気になれないのだ。
ドタンと大きな音が響く。容赦のない投げ技が決まった音だ。
383のリーダー、ニーカが朝食を奪った気弱な少女を、今度は昼飯前の娯楽として投げ飛ばしていた。教官はその死んだ目に怠惰の色を浮かべるだけで、見て見ぬ振りをしている。
周囲に取り巻きをそろえ、逃げられない少女をまた投げ飛ばす。危険な遊びを無責任に楽しんでいる。
レナータは自分には関係ないと決めこんでいた。
受け身も取れない少女は投げられた痛みでうずくまって動けない。
無関係なレナータは、いつの間にかニーカの前に立っていた。
「あのさぁ、ジュージュツってさ、でかいやつを投げ飛ばす技術なんだよね」
「あ~、なんだよレナータ。邪魔すんなよ」
ニーカは、普段から無口で孤立ではなく孤高という立場にあるレナータがいきなり話しかけてきて驚いている。
「だからさぁ、ちょっと試してみたいんだ。でっかくてウスノロを投げるのが柔術なんでしょ。いいよね、ゴプニク?」
ごろつき呼ばわりされニーカが切れる。背丈はレナータよりも頭2つ上で、体重は華奢なレナータの2倍近くある。上背を活かしていきなりレナータの奥襟を取った。
すぐに投げ飛ばすと思った取り巻きの期待に反して、ニーカはまったく動かない。苦痛に顔を歪めて襟を取った姿勢のまま止まった。
レナータがしていることはそのニーカの手に手を重ねているだけ。しかし、見えないところでその指をからめ取り固めていた。柔術にはない技術。固められた指の痛みで動けなくなっているニーカの懐に入り、足を刈り飛ばす。大きく浮き上がったニーカの体をマットに押し付けるように落とす。
ニーカは片手を取られたまま、受け身が不十分なままマットに叩きつけられ、動けなくなる。
何事もなかったように立ち上がり去っていくレナータ。虐められていた少女は呆然とそれを見つめ、教官はそれすらも咎めはしなかった。
レナータは生まれてから一度もまともな社会に出ていない。彼女は政府の幼年軍事学校のみを転々と渡り歩いてきた人間なのだ。
ハッキング、スパイ技術、格闘術、射撃術、一般生活の欠落を代償とし、危険な技術を詰めこまれた少女、
レナータ・エルメエヴナ・トゥマーノヴァ
その名前すら、あとから付けられた仮名であり、彼女の本名は国家ですら、彼女ですら知らない。
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