第2話 ヒーローライフ in 東京
机の上に、お茶が置かれる。メイドさんのように優雅な仕草で、ちゃぶ台の上にリセリアお気に入りのお茶(◯藤園)が置かれる。
「さぁ、ごゆっくり」
「むぅ〜〜〜っ!」
「手を縛って口をテープで塞いだのにお茶出すとか、お前本当に鬼畜だな……」
畳の上では、がんじがらめに縛られてた少女が一人。
「選択肢が三つあるんだけど、聞く?」
「……んん(うん)」
「一つ目、隅田川に流される。二つ目、荒川に流される。三つ目……トイレに流される」
「三つ目だけ詰まったじゃん……てゆーか流すってなに?!」
「当たり前でしょ。土に埋めたらバレやすいわ」
「んんーっ?!」
「猟奇殺人鬼の会話だ……こんなのヒーローじゃねぇ……」
「秘密を知ったやつを消すのは当たり前でしょ」
明らかにシチュエーションのコンセプトを間違えている。
普通こういう時は、なんかこう、優しくしてあげた上で分別を教えてあげるのがかっこいいヒーローなのではあるまいか。尾行は良くないことだが、何もここまでしなくてもいいのでは……というのが至ルの感想である。
とはいえ_____姿を眩ますことに全神経を注いできた自分たちに気づき、ここまで尾けてきたとなると、もはや一種の才能のように感じる。この少女は、一体どれほどの執念で追いかけてきたのだろう。
「悪いやつなら懲らしめればいいだけだし、ここまでしなくても……」
「もし声だけで精神支配してくる系の、トラウマ量産型ヴィランだったらどうするの?」
「だったら最初からその能力使ってるだろ」
「…………」
無言のまま、むすっとした表情を隠さないリセリア。言い返せない正論を言われて、どうやらぐうの音も出ない様子。
至ルは口に貼られていたガムテープを剥がし、ルウカと会話を試みた。
「えっと……どうやって尾けてきたの?」
「先月免許を取ったバイクで……」
「どこから尾けてきたの?」
「新宿で筋肉ムキムキのおっさんを倒したところからです……」
「なんで尾けてきたの?」
すると、突然ルウカは涙目になってしまった。
「私……私ファイアマンのファンなんです……!昔からずっと憧れてて、ファイアマンを見るためだけに上京して一人暮らしして、バイト代全部グッズと機材に使ってたんですぅ……」
「へ、へぇ……」
「怖いわこの子……」
「それでつい、『追いかけたら推しと二人きりになれる』なんて考えてしまいました……うぅ……」
「は、はぁ……」
「頭の中身少女漫画ね。お気の毒に」
「ごめんなさいぃぃぃ……ファイアマンが既婚者である可能性を忘れていましたぁぁぁ……」
「ブフォッ」
「は?」
「ヒーローが独身であるという偏見を持っていた私が悪かったんですぅぅぅ……!ごめんなさいファイアマンに誓ってもうこんな馬鹿な真似はしませんんん……!あぁ、アイドルが結婚することにキレるオタクの気持ちが少しだけ分かる気が_____」
「いや、ちょ、ま……」
ルウカはいつの間にか、ボロボロと涙を流して天を仰いでいる。話した感じ悪い人という感じではないが、いくらなんでも怪しいポイントが多過ぎた。凄まじい誤解っぷりもそうだが、至ルとリセリアを尾けるというのは、明らかに一人の少女ができる領分を超えている。
二人は徹底的に”撒く”技術を身につけている。現場から離れる時は建物の影などで、どこから見ても必ず視線を切り、かつ行き先を予想することができない分かれ道を何度も挟んで動いている。監視カメラを誤魔化す術も心得ていおり、例え外国の一流スパイがいたとしても振り切る自信があったのだが_____
「尾行の技術……ですか?」
「うん。どうやって身につけたの?スパイアニメでも見た?」
「……いや、別に、特に。私がもしファイアマンの助手だったら、あの逃走ルートを辿るなと思ったんです」
「__________!」
「新宿から人目につかない場所に移動しようと思ったら、一度は必ず新宿御苑を使うはずです。もしファイアマンが電車を使うならそのまま新宿御苑駅を使うでしょうし、車とかバイクを使うのであれば発進した後いろんな場所に行きやすい道路を使うはず。この二つの条件を両方ともクリアできる場所を俯瞰できる場所に事前に構えておけば、どんな人が通るのかとかは全部見えます。幸い、ファイアマンは戦う時の格好のままだったのですぐに見つけられました」
「めっちゃ語るじゃん……完全に
「尾行っていうより推理力がずば抜けているのね……」
つまり、ルウカは外国の一流スパイよりも恐ろしいテクニック_____推理を用いて、ここまでやってのけたということだ。
もしそれが本当なのであれば、尚更恐ろしい。
これほどまでに頭がキレる人物が、もしファイアマンに対して悪意を抱いている人物だったらと思うと、ゾッとする。だが、どこからどう見てもルウカは普通の少女だった。
「……それで、これからどうするの、あなた」
「え……?」
「こいつはあなたのことをそこまで悪く思ってないみたいだから、別に解放してあげてもいい。でも、あなたがもし今後、ファイアマンの素性を知っていることを使って悪巧みを考えるのであれば、容赦はしない。トイレに流すことも冗談じゃなくなる」
「は、はい……」
「素直にここを去って、明日からは何もかも忘れて普通に過ごしなさい。これまで通り、ファイアマンを追っかけるだけのファンでいれば、何事もなく幸せに暮らせるわよ」
リセリアはそう言って、ルウカを縛っていた縄を解いた。
これでルウカが大人しく去れば全て解決する。もし本当にファンなら、素性を知ったくらいで何か悪用したりもしないはずだ。至ルとリセリアは、ルウカのことを信じてみることにした。
ルウカも、何もファイアマンの素性を調べて面白おかしく取り扱おうなどとはほんの僅かも考えていない。彼女がここまでの奇行に走ったのは、純粋な好奇心に突き動かされてのことであった。
(__________そうだ。私はバカなことをしてしまったんだから、ちゃんと反省しないと。こういうのは、これでおしまい。これきりにするのよ_____)
ルウカとて、常識を弁えている。今この場で何事もなかったかのように去ることが正解であることは、誰よりも深く理解している。
_____でも、その足は言うことを聞いてくれなかった。いや、足どころか口すらも、理性の通りに動いてはくれなかった。
「__________あ、あのぉっ……!」
「……?」
言葉が詰まる。思考回路が詰まって、一気に色んな感情がぎゅうぎゅうに押し込められる。でも、一番最初に出てくる言葉だけは、確定していた。
「わ、わわ、わたたただだだあたししゃしゃしゃしゃいししゃ」
「落ち着け?!何言ってんのか全然分かんねぇ?!」
「緊張のあまり泡吹いて倒れちゃったよ……」
「ぶはっ!わっ、私のことを……
「「__________え?」」
ちゃぶ台が置かれた居間では、テレビから流れる音楽番組の音楽が流れていた。
_________
翌日。
「はーい、開店でーす」
「アレくださーい!『エモ映え満点クリームわたあめ』!」
「はいよ!」
「同じやつ二つくださーい!」
「かしこまり!」
「『あんこのせほっこりタピオカ』お願いします!」
「はーい!」
「『デラックスアンパントッツォ』二つお願いしまーす!」
「いいねー!」
駄菓子屋『マッチ』は開店時間から大勢の若者で賑わっていた。店先では至ルが注文を取り、店の奥でリセリアが品を用意している。
そしてルウカは、リセリアの隣で手伝いをさせられていた。
「店の雰囲気とお客さんの雰囲気が噛み合っていない……」
「今どきについていけないと、商売は衰退する一方さね。当たり前のことよ」
古き良き駄菓子屋の雰囲気とは異なり、売られているのはインスタ映えのために加工され尽くした商品ばかり。店の前ではカラフルなお菓子を片手に、もう片方の手ではスマホを構えている者たちが並んでいる。年齢層を見るに、ルウカとさほど変わらない女子が多く、中には男女のペアも混じっている。歴史ある商店街の一角というより、完全に若者の街の光景であった。
「えっと……これがヒーローとしての仕事なんですか?」
「そうだよ。ヒーローやっても、別にお金がもらえるわけじゃないんだから。それとは別で、ちゃんと働かないと」
リセリアも至ルも、特に疲れた顔を見せることもなく、楽しげな笑顔を浮かべて
働いている。開店以降、昼を過ぎて夕方になるまで、客の足が止まることはなかった。ルウカもバイト経験はあるが、ここまでたくさんの人が押し寄せてくるお店で働くのは初めてである。
(なんていうか……もっと普段はひっそりとしてると思ったんだけどな……)
ヒーローがこうやって副業をしているのは理解できる。実際、ファイアマンは単に称えられているだけであり、警察組織などが認めた公認の存在ではないからだ。立場上は『自警団』と大差がなく、誰かから報酬をもらえることはない。だから何か仕事をしているとは思っていたのだが_____まさか、若者ウケするお菓子を売る、インスタ映え系駄菓子屋の店主だとは。
夕方には店を閉じ、後片付けを行う。何時間もずっと店の中を行ったり来たりしていたルウカは、すでにヘトヘトだった。
「ふひぃっ……もう動けまへん……」
「何言ってんだい。本番はここからだよ」
「……へっ?」
そして一息つくまでもなく_____ルウカは車に乗せられた。
車の運転を担当するのはリセリア。そして、後ろには至ルが座り、助手席にルウカが座った。
「さて、ヒーローで一番大事な仕事『パトロール』の時間だよ」
リセリアはまるで一流のタクシー運転手のように運転を始め、東京の各地を回り始めた。助手席からこうして東京の景色を眺めると、上京してからしばらく経つルウカとしても、知らない場所がたくさんあることに気付かされる。
「一番大事な仕事……なんですね」
「ああ。悪い奴をやっつけるだけじゃヒーローは務まらない。『いざという時に駆けつけてくれる』かどうかが大事なんだ。だから_____いつでも駆けつけられるようにしておくのは、ヒーローの基本なのさ」
「…………」
胸がキュウと締め付けられるが、その言葉を受け取る以前に、ルウカは解消できぬ疑問を抱えていた。
「あの……今更なんですけど……あなたは本当にファイアマンなんですか?」
日中、ああして駄菓子屋の店主をやっていた姿からは、自分が常に追いかけ続けていたヒーローの姿など想像できない。それに、炎藤至ルの外見年齢は自分と同じようにしか見えなかったのだ。このような少年が本当に東京を救う最高のヒーローなのかは、にわかに信じ難い。
だが、至ルはそれをいとも簡単に示してくれた。
「ああ、俺はファイアマンだ。______ほら」
至ルが手のひらの上に、人の顔ほどの大きさもある火球を作り出した。
そこに手品はない。本当に何の装置も使わずに、手で炎を生み出した。
至ルが手を握ると、炎もたちまち消えた。
「__________」
「至ル。車の中で火を出すな」
「ごめん」
炎を出してくれたことは、至ルがまごうことなき超人であることを示してくれている。
だがその後の軽快なやり取りは、とてもスーパーヒーローには見えない。
(……もしかして、ヒーローってみんなこんな感じなのかな?)
ルウカは疑問の表情をするが、それはリセリアによって一瞬でバレた。
「安心しなよ。_____ファイアマンは、ファンを後悔させたりしない」
__________
その後向かったのは、東京ドームのある後楽園駅付近。ここで何者かが大暴れしているというニュース速報を受け、急行したのだ。
「リセリア、車は後楽園の側に停めてくれ。早く出ておかないとやばい」
「了解」
突如として慌ただしくなった雰囲気に、ルウカも緊張する。スマホでニュース速報を眺めると、猫キャラクターの見た目をした人物が、鋭い爪などを使って大暴れしている様子が中継映像で流れている。先日の筋肉のおっさんと同じく、強い力を持ったヴィランだ。
至ルはファイアマンのシンボルであるマスクを被ると、車を飛び出し徒歩で現場へと向かった。
「あれ、炎を使って飛んで行かないんですか?」
「こんなところで炎を出したら誰かに見られる可能性がある。炎を出すのは、誰にも見られないようにしてからだよ。そうしないと、またアンタみたいなのが来るからね」
「うっ……」
ひっそりとカメラを構えていたルウカ。
言われてみれば、自分って相当に迷惑な存在である。
「あの……なんで私のことを連れてきてくれたんでしょうか……?めんどくさいファンだなって思いませんか?」
「……なんだ、浮かない顔をしていると思ったらそんなことかい。てっきり、至ルを見て、ファイアマンに失望しちゃったんじゃないかと心配したよ」
「いえいえいえいえっ!違いますよ?!確かに思ってたより幼いなとか、普段は普通の人なんだな、とか思ってはいましたけど……」
「なんだいそりゃ。別に私たちは大層なヒーローじゃない。今日あんたをここに連れてきたのは_____
ここまで追っかけてくれたファンへの、おもてなしだよ」
至ルはビルの屋上まで上がったのち、ビルの下で暴れ回る猫キャラヴィランを見つけた。既に被害は甚大であり、東京ドームシティの遊園地が無惨に切り刻まれ、破壊されている。
「ったく、遊園地は未来を育む場所だぞ」
ビルから飛び降り、ヴィランの元まで急降下する。マスクをしっかりと被った後_____足から炎を出し、着地態勢を整えた。下では、遊具を破壊して高笑いする猫キャラ姿のヴィランが破壊を続けている。
「ギャハハハッ!ぶっ壊れちまえ、ぶっ壊れちまえ!俺の働きにクレームをつけるような遊園地なんざぶっ壊れちまえ!」
猫キャラが身に纏っているのは、猫のキャラクターを模した着ぐるみだ。だが、着ぐるみの手の部分からは鋭い爪が生えており、まるで血管が通り肉が詰まっているかのように着ぐるみには筋肉の筋が浮かんでいた。
巷では変形型ヴィラン_____人体と何かが不慮の融合を果たしたヴィランのこと_____と呼ばれるタイプだった。
遊園地のあちこちで、遊んでいた人々が逃げ惑う。遊園地に遊びに来ただけだというのに、不当な暴力に晒され、涙を流している。
絶望的な状況の中、彼らが振り返った先にいたのは、鋭い爪で物を片っ端かっら破壊していく猫キャラ。
「__________あ」
逃げ惑う市民の中に、一人の子供がいた。
子供は後ろを振り返り、恐怖を振りまくヴィランを怯えた目で見ていたが_____
一瞬にして、その目は希望を持った目に変わる。
「……ファイアマン……ファイアマンだ!」
その子供の声と共に、破壊された遊園地に灯りが灯った。電気照明が破壊され不気味な雰囲気になってしまった遊園地が、一気にいつもの輝きを取り戻す。
その光源には_____一人の人間がいた。
眩い光と共に舞い降りた男_____スーパーヒーロー、ファイアマンがいた!
「ああん?眩しいな」
猫キャラは鬱陶しそうに上を見上げ、光が何であるかを確認しようとした。やがて光が収まりそこに見えたのは、熱く燃え盛る炎を全身から放つ人間だった。
そいつには見覚えがあった。連日SNS上でトレンドに入り、実績・知名度共に最高とされるヒーロー、ファイアマンのものだ。
「ははっ!ファイアマンか!ファイアマンが俺を倒しに来やがったのかぁっ!」
猫キャラは全身をさらに強く力ませ、猫の着ぐるみにはより一層濃い筋が浮かぶ。爪は刀と思うほどに鋭くなり、顔を覆う猫の目は本当に生きているかのように光り出した。
「いい着ぐるみだな!どうやって手入れしてるんだ?」
「お褒めに預かり光栄だクソヒーローが!ぶっ殺してやる!」
猫キャラはそう言って、鋭い爪を使ってファイアマンに切り掛かる。
四本の鋭い爪が空を裂き、斬撃は遠くにいたはずのファイアマンが立っていた地面を抉った。鉄のパイプが真っ二つに折れており、その斬撃の威力が高いことが窺える。
ファイアマンはそれを炎を足から噴射した高速移動によって回避し続ける。だが、あんまり回避し続けていても、被害が拡大するばかりだ。
「アヒャヒャヒャヒャッ!死ね死ね!俺のことを馬鹿にする奴らは全員ミンチにしてやる!」
「あぶねっ!やっぱりの猫の爪は、ちゃんと手入れしないとダメみたいだな!」
猫キャラの爪の攻撃は、掠るだけでも大怪我になる恐れがあった。また、飛距離も相当に長いため、下手をすれば一般市民にまで被害が及びかねない。
そこで、ファイアマンはとっておきの秘策に出ることにした。
猫キャラの攻撃を避けながら、徐々に位置を変え、猫キャラを誘い出すことに成功したのだ。誘い出した場所は、水を使ったアトラクションのエリアである。普通なら、炎を出すファイアマンが水の近くにいることは不利に働く。
「ヒャハハハッ!バッカじゃねーの?!水がある場所に行きゃ、テメェは弱くなるだろーが!」
猫キャラはここぞとばかりに斬撃を繰り出し、アトラクションを次々に破壊していった。破壊の余波により、大量の水飛沫が上げられることになる。ファイアマンが足から出していた炎にも水が付着し、炎の勢いが弱まった。
「ちぃっ……!」
「アヒャヒャヒャッ!オラオラどうした?!ヒーローともあろうもんが舌打ちとかマジでクソだな!やっぱりお前だって、ただのクズだよなぁ?!」
男はさらに勢いをつけ、次々に斬撃を放っていく。破壊の暴威が撒き散らされる中_____ルウカはリセリアと共に車を降り、戦っている現場のすぐ近くまで来ていた。
「……あ、あれは……ちょっとまずいんじゃ……」
ルウカの目から見ても、猫キャラはかなりの強敵だった。少なくとも先日の筋肉のおっさんよりは強く、破壊力が段違いである。また、水を撒き散らされたことで火力が衰えており、かなり追い詰められているように見えたのだ。
だが、リセリアは余裕を保ったままだ。
「安心しな。絶対に負けないから」
「ほ、本当ですかぁ……?ほんとのほんとに大丈夫?」
「余裕余裕。手こずってなんかいないよ。そもそも_____戦ってすらいないからね」
「え?」
リセリアの含みのある言い方が気になるが、今は何より、一人のファンとしてこの戦いを見学しておきたかった。至ルがファイアマンであることのイメージは未だに掴めずにいるが、それでもファイアマンの熱烈なファンであることには変わりない。いつものようにカメラを構え、戦いの様子を収める。
そうして戦いを見ていくと_____リセリアの言っていることが少しだけ分かる気がした。
「本当だ……最初から戦っていないんだ……!」
「本当に戦ってたら、真っ先に炎を出して攻撃する。そもそも、ファイアマンの炎は水をかけたくらいで弱まるものじゃないさ。最初から攻撃すりゃ、あの程度の敵はワンパンだけど_____それじゃ、意味がないんだよ」
「_____?」
意味がない、とはどういうことだろう。ファイアマンは、あのようなヴィランを退治するために戦っているのではないのか?その炎で、人々を守るために戦っているのではないのか?
ルウカの疑問にリセリアは答えない。代わりに答えてくれたのは_____まさしく現在進行形で猫キャラに攻撃をいなし続けているファイアマンだった。
「逃げんなクソッ!卑怯者め!卑怯なクソ野郎が!お前だって所詮、誰かに注目して欲しいだけのクソ野郎だろ!大人しくしろクソッ!」
「教育に悪い言葉を、遊園地で多用するな!」
「ズレたツッコミ入れてんじゃねぇぞクソがぁっ!」
猫キャラの攻撃によって既にあたり一体はボロボロに破壊されている。もはや身を隠す場所すらなく、遊園地の跡形を残さぬほどに破壊されていた。
追い詰められた状況にあるファイアマン。だが_____突然、マスクの奥でニヤリと笑みを浮かべる。
次の瞬間から、猫キャラの攻撃が弱まり出したからだ。
「ああん?」
放たれた爪の斬撃は、ファイアマンを両断することなく、明後日の方向に飛び散ってしまった。重ねて斬撃が放たれるが、どれも静止したままのファイアマンを捉えることができず、めちゃくちゃな方向に放たれている。
「クソがぁっ……!何しやがったこの野郎!?インチキめ、インチキめぇっ!」
猫キャラは尚も叫びながら斬撃を放つが、どれもファイアマンには届かない。
その原因は、身に纏う着ぐるみにあった。
「インチキなんかじゃねぇさ。着ぐるみ着てるなら、もっと着ぐるみのことも大事にしろよな」
「何ぃ……?」
着ぐるみは、見慣れた形をしている。現在は着ている男の肉体と融合しているのでおかしなことになっているが、元々は猫のキャラをかたどったものなのだ。着ぐるみの外側は、毛によってコーディングされている。
これが水によって濡れるとどうなるか。水を多分に含み_____単純な重量が増加することになる。
単に重くなるだけであれば、高まった身体能力を削ぎ落とすには不十分だ。だが、着ぐるみの材質であるウレタンは男の肉体と融合したことで元の性質から変わっており_____水分の染み込みやすい性質となっていた。
ここに水分が入り込むことで、男の肉体と融合している部分にまで水が浸透し、水を通さない人肌と水を通してしまう着ぐるみの間に水が貯まることになる。そうなれば必然的に_____男と着ぐるみの密着が弱まることになるだろう。
結果は、猫キャラの攻撃力が著しく弱まったことで明らかとなった。
「水を含んだら着ぐるみじゃ戦いづらいだろ!」
「ちくしょうめぇぇぇ!!!」
猫キャラはめちゃくちゃに爪を振るうが、その攻撃はどれも簡単に弾ける程度の強さでしかない。ファイアマンは、爪の斬撃で素手でもいなせるようになり、瞬く間に猫キャラに近づいていった。
「……すごい」
ルウカはもはや、その姿をカメラで撮る気になどなれなかった。
その瞬間は、もはや『推しが尊い』とかの次元を超越している。
ファイアマンは、ルウカが思っていた以上に_____思ってた百倍以上、かっこいいヒーローだったのだ。
(あんなにすごい力があるのに……炎を使って戦っていないんだ。ヴィランと戦う時も、あくまでも『無力化』にこだわってる……!)
「……ファイアマンの力は強大だ」
ルウカの感動を察したのか、リセリアが口を開いた。
「その気になれば、この国を乗っ取ることだってできるだろうね。そんなに強い炎をヴィランに向けたらどうなると思う?」
「……ヴィランはみんな、ファイアマンを怖がって何もできなくなってしまうんじゃ?」
「ああ。何よりも強力な抑止力となって、ヴィランなんて一人も出なくなるだろうさ。それはいいことかと思うかもしれないが_____ヴィランが全く出ない社会というのは、とても不健全だ」
「_____!」
「一時的には平和になるかもしれない。でも、力づくで押さえつけていたら、ヴィランになるかもしれない人たちは、時間と共に少しづつフラストレーションを溜めていく。そして、ファイアマンが衰えた時、一斉にヴィランたちが暴れ始めるようなことになるだろうね。そんなことをしたら、平和を守るどころか、逆に平和を脅かしてしまうだろう?だから、ファイアマンはヴィランをただ懲らしめて終わりじゃない。のらりくらりと相手をして、ヴィランを最後まで暴れさせるんだ。そして最後に_____」
「もう十分だろ。これ以上は、着ぐるみがダメになっちまうぞ」
「クソッ……!くそぉっ!」
猫キャラはその腕をファイアマンにがっしりと捕まれ、身動きが取れなくなっている。着ぐるみと強く融合していたため、着ぐるみの能力が下がったことで戦闘能力が著しく低下したのだ。
「ちくしょうっ……ちくしょうっ!俺は、俺はただこの仕事を好きで続けていただけなのに……!」
「お前、着ぐるみのことは大事に守ってたもんな。本当はちゃんと子供を笑わせられるいいやつじゃないのか?」
「……っ!」
猫キャラだった男は、己の無力に涙を流した。こうして強大な力を手に入れながらも無様に負けたことを、大好きだったはずの遊園地をめちゃくちゃに壊したことを、そして、誇りに思っていたはずの仕事を自分が汚したことを。
「……ぐうっ……うううううぅぅぅぅ……」
男は解放された。密着していた着ぐるみは水を含んだことで強靭さを失い、自然と男から剥がれていってしまった。
ファイアマンは男の前でしゃがみ込むと_____その肩を優しく叩いた。
「お前のことを馬鹿にしたやつのことは、俺も一緒に怒ってやる!二度とお前の悪口なんか言わせない!_____だから、もうこれ以上ヤケになるな。お前は立派でかっこいいやつなんだからさ」
「_____ああやって、ヴィランだったやつの味方になってやるんだ。ファイアマンの炎は敵を燃やすためじゃなく、みんなを照らすためにある」
ルウカは、もはや言葉を出すことすらできない。ボロボロと溢れる涙は止まることを知らず、ハンカチでは拭えないくらいに溢れてくる。
この感動を、なんと呼べばいいのだろう。それは単に、英雄的な行動を見たことでの感動だけではない。
ファイアマンの_____炎堂至ルは、強くてかっこいいだけのヒーローじゃない。
時にはヴィランとなった者たちの心をも救う、全てを受け入れるヒーローなのだ。
その後、猫キャラは着ぐるみを完全に脱ぎ、駆けつけてきた警察官たちに無抵抗で自首した。
ファイアマンは事件の解決のシンボルとして、恒例の『ファイアマン花火』を打ち上げ、その場を去った。
ファイアマンの勇姿を最後まで見届けたのち、ルウカはリセリアと共に車に戻り、ファイアマンこと至ルとも合流し、駄菓子屋『マッチ』に帰っていった。
帰りの車の中でマスクを外した至ル。
「ぷはーっ。あいつ、元気にやっていけるといいな」
事件が終わった後も、犯人だった猫キャラの男のことを心配する至ルを見て、ルウカはまたもや泣き出してしまった。
「ごめんなさいファイアマン。あなたは私の想像の百倍上を行くヒーローでした……」
「そ、そうか?なら良かった」
「はぁぁぁ……推しと同じ空間にいる……これまでの百倍尊い空気が吸える……至福です……」
「えぇぇ……」
「ファンサービスしておかないと、この子がヴィランになりそうだね」
「あうぅぅぅ……ヴィランになっれファイアマンにしばかれらいれす〜……」
「リセリア、この子どうしたらいいと思う?」
「家に特注品の麻酔薬があるよ」
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