第3話 コロシアム‐1

 ちゃんと手入れをしていないのか少し錆びた鉄格子が嵌められた窓から差し込む日光と、どこからか聞こえる独特な鳴き声の鳥の声が未来に朝が訪れたことを告げた。


 一晩中簡素でお世辞にも寝心地の良いとは言えない軋むベッドで寝転がっていた未来は、結局一睡もすることが出来なかった。


 少女のことが気になっていた、というのもあったが、そもそも体が睡眠を一切欲しなかったうえに、どういうわけか瞼を閉時ることが出来ず目をつぶって眠ろうとする体勢に入ることすら出来なかった。


 昨夜未来は自分の体の上で血まみれで倒れていた少女を憲兵を名乗る二人組と一緒に病院に担ぎ込んだ後、彼女は応援に駆け付けた別の憲兵にこの留置場に連れてこられ、そのまま檻の中に入れられたのだ。


 少女を助けた自分が何故投獄されたのか訳が分からなかったが、下手に抵抗すれば余計立場が悪くなると考えた未来は状況を把握出来るまで流れに身を任せることにした。


 少し体を動かそうと思い起き上がった未来に、檻の外から初老の看守の男が話しかけてきた。


「おはようさん。お前さん、こいつで血を拭きな。人間相手なら本当はいかんのだがまあ、自動人形相手ならいいじゃろ」


 檻の扉を開けて水桶と布切れを未来に渡すと、看守は牢から出て再び鍵を掛けて去ろうとする。


「なあ、ちょっと待ってくれ。あの女の子はどうなったんだ」


「安心せい。さっき病院につめとった奴が帰ってきたが、無事に助かったそうだ。しかしお前さんよっぽど腕の良い人形師が作ったんじゃな。こんなに喋る人形は初めてじゃわ」


 少女が助かった事に安堵した未来は、体に着いた乾いて黒く変色した血を拭う為に布を水に浸そうとして水桶に映った自分の顔を見て、絶句した。


 それもそうだろう、映ったのは自分の顔では無いのだから。


 何が起こったのかは未来には分からない。


 だが薄々気づいてはいたのだ、自分の体が全く違うものになっていることに。


 ここ最近はずっと寝たきりだったにも関わらず息を切らさずに少女を抱えて走ることができ、更には目線も声さえも変わっている。


 どう考えても病気でボロボロになっていた筈の自分の体ではない。


 何よりも自分が生きていること自体がおかしいと未来は感じていた。


 底無しの闇に意識が沈んでいく確実に死んだ、という感覚を覚えているからだ。


 おまけに昨日から会う人間会う人間皆に何故だか自動人形オートドールやら人形と言われる始末。


 生前異世界に美少女やらモンスターやらに転生する小説も読んでいたので自分の身に何があった何となく未来は察しが付いてきたが、俄かには信じられなかった。


「はあ、全くどうなってんだ。死んで生き返ってみたら人形になってるとか、冗談キツイぜ」


 自分ではため息を吐きながら独り言を呟いたつもりだったのだが、水に写った人形の口は動いてはいなかった。


 人形なのだから息をしないのは当然ではあるのだが、口が一切動いていないのに不思議としゃべることは出来る。


 布を絞るしなやかで美しい指も人間に似せて精巧に作れてはいるが、動かすと見える関節部分は球体関節であり、全身を見回して分かったが腕や膝といった体中の関節が全てそうだった。


 絞った布で血を拭いていると更に自分が人形になったことを未来は痛感した。


「水が冷たくも熱くもねえ……」


 人間だった頃に感じていた皮膚からの感覚がほとんど無いのだ。


 完全に無い、という訳でもなく、多少は気温や水の温度は感じるし、物を持った感覚もないこともないが、人間だった頃に感じていたものに比べると驚くほど微細だった。


 血を拭きながら未来は人間と人形の体の感覚の違いをすり合わせるように腕や足を動かして動作を確認してみたり、皮膚をつねったりする。


 驚くことに体の表面は人間の皮膚とよく似た感触で、プラスチックや木で出来た人形と違い柔らかい。


「……でっかいなあ」


 ある程度体の確認を終えた未来は、一番気になっていた本丸である下を向いたら足元が見ずらい程豊満な胸を揉んでみる。


 すると、表面は体の他の場所同様柔らかいのだが、指がある程度沈むと堅いものに当たって止まった。


 どうやら全身が柔らかい素材で作られているわけでは無く、皮膚と同じように上から素材を被せて作られているらしい。


「お前さん何やっとるんじゃ?」


 もにもにと、生前の絶壁であった肉体では楽しめなかった触感に夢中になっていると、先ほど水と布切れを差し入れてくれた看守が不思議そうな顔をしながら話しかけてきた。


「な、何でもないです!」


 驚いて素っ頓狂な声を上げた未来に看守は噴き出しながら牢のカギを開けて未来に外に出るように促す。


「ふぉっふぉっふぉ、本当に変わった人形じゃな。お前さんの身元引受人が来なすったから釈放じゃよ」


 看守に案内されて留置場の入り口にまで来ると、今の自分の体同様に豊満なボディが強調される赤いドレスを着た美人が大柄な男と共に未来を待っていた。


「まさか本当に起動して勝手に動き出してるとわねえ。流石はマリオンの最高傑作と言うべきなのかしら」


 少し化粧が濃い美しい顔を歪ませて女は大きくため息を吐く。


「アナタ、自分がどうして起動したのか分かる?」


 今の自分がどういう状況なのか未だ理解できていない未来にとって、この身元引受人を名乗る人物が自分に、正確にはこの体とどういう関係なのか分かる訳もなく、自分に起こったこと全てを話していいものか頭を悩ませる。


「喋るって聞いてたけど全然喋らないじゃない。まあいいわ。いつまでもここに居たら迷惑になるし取り敢えずついてらっしゃい」


 考え込んだせいでいつまでも返事をしない未来に少し苛立ったのか、女はカツカツとヒールを鳴らしながら未来を置いて外に出ていってしまった。


 とにかく着いて行くしか選択肢の無い未来は、世話になった看守に一礼して後を追う為に速足で留置場を後にした。


 留置場の外に出た未来は人込みのせいで危うく女を見失いかけたが、赤いドレスと大男が目印となっておかげで簡単に追いつくことが出来た。


 未来が追い付いてきたことを確認した女はそのまま移動しながら未来にいくつか質問してきたが、下手なことを言わない方が良いと考えた未来は終始無言を貫いた。


 女もそんな未来に話しかけても無駄だと思ったのか、質問を止めて無言でヒールを鳴らしながら歩いてく。


 しばらく未来のいた世界では珍しい存在になってしまったレンガ造りの建物やファンタジー小説に出てきそうな服装の人々に気を取られながら歩いていると、唯一この世界で見覚えがある建物、昨夜少女を担ぎ込んだ病院へと着いた。


「ここってあの子が入院してる病院か」


「ようやく口を聞いたわね。アナタの主人の様子を見に来たのよ。アナタのこれからについても考えないといけないしね」


 そう言ってウィンクしながら女は病院へと入っていった。

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