水影の森

Meg

第1話 前編

 どこともしれないところに、水影みずかげもりという土地があった。

 その土地はおびただしい黒い草木くさきい茂った森で、いたるところに浅い水辺みずべがあった。太陽はなく、周囲を照らすものといえば大きくておぼろげな月光げっこうか、うすぼんやりと青白い燐光りんこうを放つ石くらいしかなかった。黒い木には光合成こうごうせいの必要がなかったのである。

 

 そんなかげの森にも生物はいた。

 そこに住みついた生き物たちは、ぶよぶよとした白い肉体を持ち、4つ足で人間と同じように2足歩行をした。

 人間でいう脳と同じ機能を持った頭部も持っており、知性もあった。

 体型はずんぐりだったりひょろりとしていたり、個によってまちまちだったが、大体は頭部らしき部分に触覚しょっかくが数本、赤い目のようなものが2つついていた。赤い目には、人間の目のように光をとらえ、周りの世界を認識にんしきする機能きのうがあった。

 ただ、光のほぼない土地のため、かれらは視覚にはほとんど頼らず、もっぱら触覚によってつかんだ感覚を頼りに生きていた。触覚に念を込めることで、相互そうご意思疎通いしそつうもすることができた。

 食べ物は必要なく、地面にった穴に体をしばらくうずめ、必要なエネルギーを土から摂取せっしゅした。寿命じゅみょうを迎えると唐突とうとつ青白あおじろはいになり散っていく。体が小さな生物ほどすぐに死んでいく。小さな生物は知能も低かった。

 かれらがみずからさだめた仕事は、毎日黒い森をきれいに整えることだった。森でもっとも知能の高く、もっと寿命が長く、もっとも心やさしい王の指示によくしたがい、おのおのの仕事をすませると、あとは森の中の水辺のほとりで、地面の中に体をうずめ休むくらいだった。

 かれらには欲もなく、攻撃心もなかった。その気質はどこまでもきよらかだった。

 かれらには独特の風習があった。森ではたまに月蝕げっしょくが起こるのだが、その時に、水辺みずべに先のとがった葉で、みずからのからだをつきさし水の中に青い血をたらすのだ。すると血がかたまり、血をたらしたかれらそっくりのあたらしい個体こたい誕生たんじうする。

 生殖器せいしょくきをもたないかれらは、そうやって命を引きついでいた。


 月がかくれたある日もまた、かれらは月蝕げっしょく儀式ぎしきをしていた。

 王が見守る中、ぼんやりと光る石に囲まれた水辺にかれらは入り、葉先はさきをつきさし青々あおあおとした血をたらした。

 あたらしいかれらが生まれるのを、森の王は無上むじょうのよろこびをもって見守っていた。

 だが突然とつぜん、空に巨大で激烈げきれつな光の玉があらわれた。

 かれらの赤い目が、強すぎる光をとらえた。かれらの目はそれほど強い光になれておらず、どの触覚しょっかくからも悲鳴ひめいがあがった。

 じつのとこ、その白熱はくねつの光の玉は、何十億年なんおくねんかに一度水影みずかげの森の上空をわずかな間だけ通過する彗星すいせいなのだが、かれらに知るよしはなかった。

 しばらくすると、かれらの目もなれてきた。

 かれらははじめてはっきりとした黒い森の風景、そしてかれらの姿を視覚しかくで認識した。透明とうめいな水は光にきらめき、かれら自身の影を映していた。かれらは王の制止せいしもきかずちりじりになった。黒い森の探索たんさくをはじめたものもいた。やがて光の玉は消え去り、元のおぼろげな月光と、うすぼんやりとした青白い光だけに照らされたくらいかげの森にもどった。


 それから水影みずかげの森は一変いっぺんしてしまった。黒いも森の民たちは王の命令に耳をかさなくなり、かわりにみずからの興味のおもむくままに行動するようになった。

 あるものは森や水や世界の構造こうぞうについて、森の整備せいび休憩きゅうけいがてら考えこむようになり、仕事をしなくなった。だがそれはまだいい方だった。

 やっかいだったのは、あの日すべてが照らされ、かれらが森やかれらそのものをはっきりと認識したがゆえに、自己と他者を比較する心がうまれてしまった連中だった。そしてかれらの身のうちの欲望さえも、あの光は照らしてしまった。

 あるものは自分が管理をまかされている木が、他人より立派であるかが気になった。あるものは水面にうつった自分の姿がうつくしいか、あるいは他人より劣っていないか、こだわるようになった。あるものは自分のうみだした子が、他人とくらべていかがなものか常に関心をそそいだ。

 他人とくらべてなにかを比較することにこだわるようになったものは、たえず言いあらそいや、物理的ないさかいをおこすようになった。

 我が身の不出来に絶望し自殺するものまででてきた。

 さらに、かつてきよらかだった心に、他者をさげずみ、おとしめ、けおとそうとするみにくい邪心じゃしん兆候ちょうこうさえかかえるものさえいた。

 もっともっと、自分だけがと、あくなき欲望を隠さない者もいた。

 おだやかに森を管理するものは少なくなり、黒い水影みずかげの森はあれはててしまった。

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