第15話 蒼月

 どうやら蒼鬼の心の奥に潜り込むことに成功したらしい。しかし、この光景はなんだ。

蒼月あおつき

 と、そこに呼びかける声がする。振り向くと、課長の大河内の姿があった。今より少し若い彼は、ピリピリとした空気を纏っている。

「なんで」

 そう問おうとして、大河内が昔から蒼鬼を知っているようだったことを思い出す。陰陽師としての実力を知っているということは、昔から交流があったとしても不思議ではない。

「ってことは、蒼月というのも真名じゃないな」

 時雨というのが仕事上の名前であるように、今、蒼鬼に対して呼びかけている名も本名ではない。

(それにしても、蒼月から蒼鬼か。安直だな)

 知ってしまえばなんてことはない、鬼としての名だ。

 時雨がそんなことを考えている間に、大河内が蒼月に近付く。

「結界から出るな。またそんなにも集めて」

 そして不快そうに、しっしと蒼月の周囲に集まっているモノを追い払った。

「止めろ!」

 それを蒼月が止めに入るが、大河内はあっさりその手を掴み、背中に回して拘束してしまう。

「力を分け与えることになるというのが解らないのか」

 ぎりっと、強く押さえつけられる。

 蒼月は振り払えるだろうに、苦々しげな顔をしつつも受け入れていた。

(意外だ。もっと反抗的だったのかと思った)

 ここまで見る限り、蒼鬼なんて物騒なモノになる要素はない。それどころか、大河内が、いや、神社本庁が無理矢理押さえつけている感じだ。

「この頃から、自由じゃなかったのか」

 ずきっと、胸が痛むのを感じる。

 陰陽師であったのならば、修行を課されるのは仕方がない。時雨だって、同世代の子たちが遊んでいる間、ずっと修行していた。でも、それを不自由だと感じたことはない。

 自らの力が強くなることは、嬉しいことだった。たとえ誰かに言えるようなことでなくても、自分が陰陽師であることに誇りを持っていた。

 でも、これは。蒼月のこれは――

「もういいだろ。俺に構うなよ。もう、あそこにいたくない」

 疲れたように呟く蒼月に、大河内は耳を貸すこともなく引っ張っていく。蒼月はここでも、反抗することはなかった。その背中を、時雨も追い掛ける。

 連れていかれたのは、この森に置かれた神社だった。その神殿に、大河内は蒼月を放り込む。

「お前の力は強すぎるんだ。解っているだろう。周囲への影響を考えろ。任務がある時以外、極力出るな」

 大河内は一方的に命じると、ぴしゃっと扉を閉めた。さらには外から結界を張り、閉じ込めてしまう。

「ちょっ」

 これが過去の出来事だということを忘れて、思わず大河内に殴り掛かりそうになった。それだけ、勝手だ。

「任務がある時以外って」

(それって、昔も都合よく利用していただけってことかよ)

 あまりの事実に、時雨はどうしていいのか解らなくなる。

「あっ」

 だが、蒼月は強かで、大河内の気配が完全に消えると、さっさと結界を破って外に出てきた。とはいえ、用心してか、神殿から出て行くことはせず、簀子縁に座ってぼんやりと空を眺め始める。

 するとまた、すぐに精霊や妖怪たちが寄って来る。

(これは確かに、力が強すぎるな)

 周囲の磁場が歪むの感じる。蒼月も感じているのだろう、やんわりと集まったモノたちを散らす。

「俺が人間じゃないって言いたいんだろ。でも、人間には俺が人間に視えるんだよ。仲間にはなれない」

 そう言いながら、そっと押し返している。しかし、大きな力に集まってくるのが彼等だ。その心地よい波動から離れがたいようで、すぐに集まってきてしまう。

「はあ」

 そんな状況に、蒼月自身も困っているようだ。仕方なくという顔で、自ら神殿に戻っていった。そこには本庁が施した結界があるから、雑多なモノは入って来れないようになっている。

「仕方がない」

 その言葉が、こんなに重たいことってあるだろうか。

 生まれながらに強い力。そのせいで強いられる不自由。

 まるで、清浄の姫だ。

 時雨はそう思ってから、はっとする。

 まるで、どころか、これは実際――

「あっ」

 と、そこでがらっと場面が変わる。

 先ほどの森ではなく、街中だ。若者らしい服装の蒼月が、足取り軽く歩いているのが見える。

「自由が許されたのか」

 少しほっとしたのも束の間、そうではないと気づくのは早かった。四方八方から視線を感じる。監視されているのだ。

「すげえな」

 まだ、彼は鬼ではないずだ。それなのにこの異様な監視。少しでも変な動きを見せれば、すぐさま拘束するとばかりの強い気配。

 蒼月はそれを感じているだろうに、呑気にクレープを買って食べている。無駄に度胸のある奴だ。とはいえ、四六時中この気配の中にいるのならば、そのくらい出来て当然か。もしくは、あの性格だ。監視している連中をおちょくっているのかもしれない。

「ん?」

 そんな蒼月が入っていったのは警察署だった。一体どうしてと見ていると、運転免許センターと書かれた方へと歩いて行く。

「ああ」

 免許、持ってたな。

 唯一の普通だったことだったのか。

 たった二年だけれども無事故無違反だったと自慢していたのを思い出す。彼にとって、それはとても貴重な経験だったのだ。

 自分にはない、普通の生活。それを体験できた、唯一の思い出。

 魂の記憶に刻まれるほど、たったこれだけのことが強烈な体験になってしまう人生。

「っつ」

 どんどん、胸が苦しくなる。

 

 この世界はいつも、彼を拒絶していた。

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