第13話商人の男
いつの間にか気を失っていたらしい。
アルフが意識を取り戻すと、川の中程の、流れてきた木の枝などが
このあたりは川幅が広くなり、流れがゆるくなっていて、すべてを押し流してしまうような、激しい水流は姿を消していた。
アルフは腰まで川に浸かったまま、上向きの状態で、うららかな日差しに照らされていた。
彼は目を細めて、周りを見回した。兵士らしい姿は見えなかった。
どれほど流されて来たのか見当もつかないが、あの土手のまわりの荒れ地とは、かなり雰囲気が違っていた。
対岸にあたるだろう方向に目を移すと、そこは整備された畑が連なっていて、まだ若い麦の穂が揺れていた。
所々に小さな小屋が建っていたが、人の姿はなく、鳥のさえずる声だけが聞こえていた。
さて、どうしたものか
アルフは考えた。
ゆっくり体を起こし、川の真ん中に立ち上がると、かなり浅く、彼の膝上ほどだった。
あの荒々しい濁流が夢だったかのような、のんびりした流れに、力が抜けた。
彼は楽々歩いて川を渡り、対岸の草原に腰をおろした。
濡れた服が気持ち悪かったので、脱いで草の上に広げた。
爽やかに風もあり、日の光も温かいので、ほどなく乾くだろうと考えた。
また、振り出しに戻ってしまったな。
アルフは、ぼんやりと思った。
おばばに持たされた着替えも、携帯食も、みんな川に流されてしまった。
唯一、剣だけは手から離さず持っていたが、腰に差していたはずの鞘はなくなっていた。
抜き身の剣そのままを持って歩いていたら、怪しまれるかもしれない。何か代わりになるものはないか、見回してみたが、近くには草が生えているほかは、何もなかった。
このあたりは、土手はなく、
当面の危険は感じられなかった。
アルフはゴロリと横になって体を休めた。日に照らされた草は温かく、眠気を誘った。
「おやおや、昼寝ですかな」
アルフが目を開けると、頭の上から声がかかった。
いつの間にか眠っていたらしい。道に小柄な男が立っていて、人なつこい笑みを浮かべていた。
アルフのような、見るからに浮浪者めいた怪しい男に、声をかけようなど、そうあるものでもない。
彼は仰向けに寝転がったまま、珍しい物を見るように、男を見上げた。
男は、腰まで隠れる茶色の上衣と、ふくらはぎ半ばで、紐で絞って止めた、ふくらんだズボンを履いていた。
厚手のタイツに革の短いブーツ。背には大きな荷物を背負い、牽いている荷馬車にも、山ほどの荷物が積んであるようだった。
「私もそこで、一休みさせていただいてよろしいですかな」
男は、道端に荷馬車を止めて、アルフの横までやってくると、背中の荷物を下ろして、伸びをした。
「いやぁ、仕事とはいえ、重い荷を運ぶのは難儀ですわ」
軽く会釈をして、隣に腰を下ろした。
「いかがですかな?」
男は腰に付けているポーチから、何かを取りだして、アルフの前に挿しだした。
それは、一つかみの干した果物で、甘い香りがアルフの鼻をくすぐった。
「ありがたい」
アルフは、急に空腹を感じて、皺の寄った赤黒い実を口に入れた。
「甘いな……」
「でしょう? 疲れがとれますよ」
男は、夢中で咀嚼するアルフを見て、微笑んだ。
「ここらあたりの住民は、早朝に農作業をするんですわ。今頃は家で昼寝中ですかな。夕方までは誰も外にいないので、商売になりませんわ」
聞いてもいないのに、男は勝手に喋り続けた。
商売と言っているところをみると、商人なのだろう、人当たりの良い話し方は、さもあらんという感じだった。
「商人か?」
「はい、ライルと申します。旅しながら商売をしておりますよ」
「アルフと言う。俺みたいなのに敬語は不要だ」
「では、アルフ、よろしゅう」
男は、手を差し出してきた。
アルフが不思議そうに見ていると、男は彼の右手をとり、軽く握って上下に二度振った。
「知りませんか? 握手。手に何も持っていません、悪意はありませんという印ですわ。ま、商人の挨拶と思ってください」
「なるほど、よろしく」
アルフはライルの手を軽く二度振って、手を離した。
「しかし、どうしたんですかな、服が濡れて? 乾かしているようですな」
「ああ、上流で川を渡ろうとしたのだが、急流に流されて、気がついたらここまで来ていた」
アルフが説明すると、ライルは気の毒そうに頭を振った。
「それは運が悪い。上流は川幅が狭いので、雨が続くと、たまにあるようですな」
「おかげで、ここがどのあたりなのかも、わからない」
「ここらは、ダナン領と呼ばれていますよ。近くにベリンという町があって、これから、そこへ立ち寄る予定です」
「そうか、アイルの森というのは知らないか? そこへ行くつもりだったのだが」
アルフの言葉に、ライルはハッと息を止めた。彼の顔をじっと見つめたあとで、気を取り直したように言った。
「アイルの森は、もっと上流のウスチア領ですな。森の入り口近くまでは、道なりに歩いて五日というところでしょう」
「そうか」
「アイルの森は、とても深い森だと聞いていますよ。森の民と言われる者たちが住んでいると言われています」
「森の民?」
「ええ、都のタウ神殿からは、異端だの、魔女だのと言われていますが。権力から
「なるほどな」
ライルは期待するよう眼差しで、アルフを見上げた。
「彼らの作る薬や、香油、柔らかい布などは珍重されていましてな。我々商人に取っては、是非とも手に入れたいものなのです。しかし、彼らがごくたまに売りに来る以外は手に入らないのです」
「悪いな、森の民とやらに知り合いはいない。俺は森の奥にあるという、丘を目指しているのだが」
アルフは肩をすくめた。
ライルが、
「噂を聞いて、丘の上に立つという聖木を見たいと思っている」
アルフは、打ち明けた。
「ほう、何か事情がありそうですな」
ライルは腕組みして、少し考えるようにしてから、提案してきた。
「どうでしょう、ここで出会ったのも何かの巡り合わせ、荷物持ちとして、私に雇われませんか?」
「俺を雇うと?」
アルフが、意外そうな顔で聞くと、ライルは、首を縦に振った。
「そうです。私はこれから、ベリンの町に立ち寄って、それからウスチア領のウルスという町へ向かいます。ウルスからなら、アイルの森は目と鼻の先です」
「なるほど」
「この重たい荷物を運んでもらえれば、私は助かる。その代わり、旅の路銀は私が出しますし、お別れする時に、携帯食などの援助もしましょう」
「それはありがたいが、俺を疑わないのか、お前を倒して、荷を持ち逃げするかもしれん」
アルフの言葉に、ライルは笑って、パタパタと顔の前で手を振った。
「逃げようと考えている人は、そんなこと言いませんよ。黙って襲ってくるでしょう。これでも、商人になって長いんです。人を見る目は確かです」
「そうか」
「ええ」
ライルはうなずいた。
「それじゃ、よろしく頼む」
アルフは、手を出して握手を求めた。
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