第5話逃亡

 領主が放った兵たちは、どのあたりにいるのか、まったく見当がつかないので、アルフは、常に気を張っていなければならなかった。


 疲労に加えて、牢の中で馴れていたはずの空腹と乾きが、彼の精神を弱らせていた。


それでも、止まるわけにはいかない。丈高い草をかき分けて、道無き荒れ地を進み続けていた。


 頭上の月は、だいぶ傾きかけて、空の端が白み、夜明けが近いことを感じさせた。

明るくなってから進むのは難しいだろう。彼は、夜まで身を隠す場所がないか見つけようと考えた。


 背を伸ばして、胸の高さほどまである草の上から、あたりを眺めてみた。

少し先の山際に、身を隠せそうな窪みらしいものがあった。枝の茂った木も数本生えているように見えた。


 アルフが、そちらへ向かって歩き出そうとした時、少し先の草の中を歩く、ガサガサという音が聞こえた。

彼は、音を立てないよう、静かに腰をかがめて、音がする方を窺った。


「やれやれ、領主も面倒くせえこと、考えるよなあ」

「まったくだ、領内捜索に二百って何だよ、見つかるわけねえ」

兵士らしい男二人が、大声でぼやいているのが聞こえてきた。


 腰に吊した剣の音だろうか、ガチャガチャと騒がしい音がして、やがて、まわりの草を払っているらしい気配がした。


 アルフは、身を縮めて息を殺した。万が一見つかったら、相手は剣を持っている。戦って勝てるとも思えなかった。


「それで、どんな男か、見たことあるのか、おまえ」

「いや、知らん。腰に獣皮を巻いただけの、薄汚れたヤツらしい」

「なる、その格好なら目立つか。でも服を着てたらわからんよ」

「だなあ」


 アルフは、体をこわばらせながら、男たちの会話に聞き耳を立てていた。


捜索をしている兵士たちは、彼の情報をさほど持っていないことがわかった。それに、あまり必死で探しているようすでもない。


 命じられて仕方なくと言ったところか。アルフは考えた。これをやり過ごしたら、どこかで服を調達した方が良さそうだ。


「さっきの小屋にいた婆さんは、見かけてないって言ってたし。このあたりには来てないんじゃないか」

「そうかもな、でも、ここらあたりは、隠れ場所はありそうだぞ」


 ザッと、二メートルほど手前の草がなぎ払われて、アルフはさらに身を縮めた。

まずい、こっちへ向かって来ている。彼は激しくなる胸の鼓動を押さえるように、胸に手を当てて、そうっと息を吐いた。


「おい!」

アルフはビクッと体を固くした。


彼らは、すぐそこまで近づいて来ていた。兵士の一人が大声を出したので、見つかってしまったのかと焦った。


「何だ」

「あそこ見ろよ、あの山際の窪み。隠れるのに良さそうじゃないか」

「なる、ちょいと見てみるか。時間稼ぎになるし」


「いつまで探せばいいんだ、やれやれ」

「よし、あそこまで行って、少し休憩しようぜ」


 兵たちは、草を払うのをやめ、ザッザッと荒っぽい音を立てて歩いていった。


声も足跡も、しだいに遠ざかって行く気配がしたが、しばらくは警戒を解くことができずに、息を潜めたまま固まっていた。


 半刻もして、完全に人の気配がなくなったのを確認してから、アルフはようやく体の力を抜いて、腰を上げた。

 額には冷汗がにじんでいた。ゆっくりと肩を回し、痛いほど痺れている足を動かしてほぐした。


 体の力が抜けたとたん、どっと疲労と眠気が襲ってきた。

まともな食事も与えられずに、牢に繋がれていたのだ、体力も気力も限界にきていた。


 それでも、さっきの男たちのような兵士が、まだいるかもしれない。ここで休んでいるわけにも行かなかった。


 アルフは、あたり見回して、どちらへ行けばいいのか考えた。どっちへ向かっても追われていることには変わりがない。

彼は、さっきの兵士たちが行ったのとは、反対の方向へ足を向けることにした。



 さんざん歩いて、空が明るくなって来た頃。アルフの目の前には、壊れかけた小さな丸太小屋があった。


 空腹と疲れで倒れそうだったが、むやみに近づくわけにもいかない。彼はようすをうかがいいながら、小屋のまわりを歩いた。


 小屋は大きな木に寄り添うように建てられていて、細い木を組んだだけの垣根が巡らせてあった。

裏庭には狭い畑らしいものも見える。何か食べられるようなものが実っているといい、と思った。


「お!」

アルフは、つい声を出してしまった。庭には鶏らしいものが数羽、放し飼いにされていたのだ。もしかすると、卵が手に入るかもしれない。


彼は決心すると、閉められている垣根の入り口を乗り越えて、庭へ侵入ようと思った。

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