第3話 死の樹海


「―――ううん……ここは……」


 目が覚めたらそこは白一面の空間ではなく、森の中だった。昼間だと思うが、巨大な樹がたくさん生い茂っており辺りは薄暗い。


 先ほどまでのアリューシャとの会話は夢などではなく、どうやら本当に異世界に転生してしまったらしい。幸いにも僕の記憶はそのままだし、自分の体にも何も違和感はない。


 そして、唇にはまだアリューシャとのキスの感触が残っていた。


「で、どうだった? ファーストキスの感想は?」

「は!?」


 突然聞こえてきたアリューシャの声。辺りを見回すが姿は見えない。


「どこにいるの!?」

「ここよ、ここ……」


 ちょんちょんと何かが僕の右肩に触れた。そこに目をやると……小さな妖精のような生き物がいた。


「小さい……アリューシャ!?」

「えへへ……ついてきちゃった」


 少し恥ずかしそうに笑うアリューシャは、妖精の姿も可憐でとても似合っていた。


「いいの!?」

「だって、あなたこっちの世界のこと何も知らないでしょ」

「そりゃあ助かるけど……“女神は世界への直接の干渉を禁ずる”は大丈夫なの?」

「ゼプスナハト様の許可は貰ってるから大丈夫よ。ゼプ様、私には甘い所あるし。女神としての力は大幅に制御されているから、大したことはできないわ」


(出来の悪い子ほど可愛いってやつかな? まぁ、見た目は確かに可愛いし美しいけど……)


「ちょっと! 失礼なこと考えてない?」

「そ、そんなことないよ」

「あ、そうだ。忘れないうちにあなたへの制約を伝えるわ」

「制約?」

「そう、この世界で生活する上でのルールね。それは、“異世界転生に関する事柄について他言してはならない”ということよ。分かった?」


 この世界が消滅の危機にあることや、僕が救済措置としてこの世界に転生したこと、などをこの世界の人々に話してはならないということか。


「もし……もしも、ついうっかり話してしまったらどうなるの?」

「救済措置は取り消し。ゼプ様によってあなたの存在はこの世界から消滅するでしょうね」

「……自信がないんだけど……」

「そうならないためにも、私がついていくことにしたのよ。それで……早く感想を聞かせなさい!」

「えっ?」


 アリューシャの小さな顔がどんどん僕に近づいてくる。さっきのキスを思い出して僕の顔が赤くなるのが分かった。


「キスよ、キーース!! 初めてだったんでしょ?」

「キスする必要はあったの?」

「私の強力な加護を与えるために必要だったの!」

「200年前の“使徒”にもキスしたの?」

「あれ、伊織もしかして妬いてるの? 妬いてるのかなー?」


 アリューシャはニヤニヤしながら僕を煽った。悔しいけど妬いていないと言えば嘘になる。


「安心して。前の“使徒”に加護を与えたときは握手よ、握手」

「握手?」

「だって厳ついおじさんだったんだもの。なんだかいやらしい目で私を見てたし……私の好みじゃないわ。だから弱い加護しか与えられなかったの」


 その弱い加護でも“使徒”は相当な力を手に入れているという。キスされた僕はどうなのだろうか。


「改めまして、伊織。異世界転生を引き受けてくれてどうもありがとう」

「いや、僕も新しい人生を送らせてもらえて有難いよ」

「……それで、キスの感想は?」


 正直に言えば最高でした。でも、それを口に出すのは恥ずかしいし悔しい気がする。


「もう! 黙ってないで何か言いなさいよ……私だって初めてだったんだから……」

「えっ、何?」

「何でもない! ほら、早速お客様がやってきたわよ」


 客が来たと言われて周囲を見渡すと、前方から何やら唸り声がする。


「なななな……何?」

「魔物が1匹近づいてきてるわ。これを使って!」


 そう言って(妖精)アリューシャが手をかざすと、僕の目の前に装飾の美しいナイフがあらわれた。落ちそうになるナイフに手を出して、何とか僕はそれを手につかんだ。


「これで……戦うの?」

「そうよ。そのナイフ、特別製なんだから」


 特別と言われて色んな角度からナイフを眺めるが、特に変わった所はない。


「ほらほら、あらわれたわよ……レッドムーンベアね」

「ベア……熊か?」


「グルルルル……」


 前方に仁王立ちした巨大な熊がいた。身長は2m程だろうか。目は赤く充血し、両腕を高く掲げている。胸には名前の由来だと思われる三日月形の赤い斑紋がある。


「これは無理だよ……」

「何言ってるの! 私の加護があるのよ。こんな雑魚にあなたが負けるはずがないわ」


 そう言ってアリューシャは胸を張る。こんな状況なのに、そして妖精で小さくなっているのに、ついつい胸に目が行ってしまう。


 僕が戦うしかないと覚悟を決めると、それを察したのかレッドムーンベアが四足でこちらに駆けてきた。ものすごい速度で……これは詰んだ。天国の両親と祖父母の下へ向かうしかない。


 ……ところが突然敵の動きが鈍化し、まるでスローモーションのようになる。一瞬の出来事に驚きつつも、僕は余裕をもってレッドムーンベアの攻撃を避けた。


「ふーん、それが伊織の“祝福”なのね」

「祝福?」

「加護により与えられた特別な能力のことよ。この世界の人々は“スキル”と呼んでいるわ」

「敵の動きを遅くできるの!?」

「間違ってはいないけれど、敵を劣化……弱体化していると言った方が正確かしら」

「弱体化のスキル……魔法じゃないの?」

「この世界に相手を弱体化させる魔法なんて存在しないわ。これはあなた固有のスキルなのよ」


 アリューシャと会話している間にも、レッドムーンベアは次々と僕に襲い掛かってくる。しかし、魔物の速度はとても遅く、それら全ての攻撃をうまく躱すことができていた。


「あなたに敵意を持っている者を弱体化させるようね」

「なんだか体がすごく軽いよ!」


 どうやら自動的に敵をデバフ(弱体化)させ、自身をバフ(強化)することができるようだ。


「どう? これが女神の加護なのよ!」


 再びアリューシャは胸を張り、可愛い顔でドヤ顔を決める。


「ほら、早くやっつけなさいよ」

「うん、わかった……」


 僕はナイフを構え、レッドムーンベアの攻撃を避けると同時に首の裏側にナイフを突き刺した。ナイフは何の抵抗もなく熊の首に吸い込まれていく。直後にレッドムーンベアは硬直し、白目をむいてそのまま前のめりに倒れたのだった。

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