猫を追いかけて

ピート

 

 穏やかな春の陽射しが心地良い。

 大学の長い春休みが終り、新年度が始まったというのに、俺は何をするでもなく街を散策した。

 何かを探すワケじゃない、足の向くまま、気の向くままというやつだ。

 普段、通学に利用するだけで降りた事もない駅で俺は電車を降りた。

 駅前には商店街が広がる。たぶん、ココを抜けてしまえば住宅街なんだろうな。そんな事を思いながら商店街を歩き始めた。

 昔からの店が多いようだ、これといって目を引くような店もない。

 でも、見知らぬ街を歩くのは、それなりに楽しいものだ。

 アッという間に商店街を抜けてしまった。目的がないのだから、仕方ないのかもしれない。

 さて、これからどっちに向かおう?立ち止まって考えるわけでもなく、目の前を歩く白猫の後をついていく事にした。

 こちらを気にする事もなく、のんびりとした様子で歩道を歩いていく。

「お兄さん、時間あいてますか?」俺の事だろうか?突然の声に、後ろを振り返る。

 ショートヘアの女の娘が、俺を見つめている。

「何?」

「その……予定がないなら、遊びに行きませんか?」

「……」逆ナン?そんな事しなくても彼氏なんかいそうなんだけどな。

「予定あるの?」

「いや、尾行中なんだ。悪いけど他をあたってくれるかな」普通ならついていくんだろうな。

 ずいぶん先を歩く猫の後を追いかける事にした。

「先輩!私が誰かわからないの?」慌ててついてきたのか、俺の横をさっきの娘が歩いていた。

「先輩?」足を止めることなく、顏をマジマジと見つめる。

 この娘……誰だ?記憶をさかのぼる、高校、バイト先……思いあたらない。人違いだろうか?

「あのさ」

「人違いじゃないですよ。神谷先輩!」俺の言葉をよんでいたようだ。本当に誰なんだろう?

「本当に忘れちゃったんですか?私は、こんなにハッキリ先輩の事を覚えてたのに……ヒドイです」そう言うと泣き真似をはじめる。

「悪いけど、本当に覚えてないんだよ」俺は記憶をたぐるのを諦め、素直に頭を下げた。

「本当に忘れてたんですか?ヒドイ、先輩ヒドイですよ!私はちゃんとわかったのに」

「いや、そんな事言われてもさ。……あ!?いない!!」前を見ると白猫の姿が見えない。

「本当に誰かを尾行してたんですか?」申し訳なさそうに上目使いで俺を見つめる。

「冗談だと思ったのか?」少し怒ったような口調で俺は答える。

「ごめんなさい!」頭を下げた彼女の顏は、今にも泣きそうだ。

「別に構わないけどな。暇潰しに猫のあとつけてただけだから」俺は茶化すように肩をすくめてみせた。

「猫?ヒドイ!先輩ヒドイよ!」本気で怒ってるようだ。

 !?このふくれた顏……中学だ!

「もしかして……美也子か?」確認するように尋ねてみる。

「やっと思い出してくれたんですかぁ?そうですよ。こんな可愛い後輩を忘れるなんて先輩ヒドイです。しかも嘘つくし」

「尾行してたのは本当だぞ。ところで……」

「普段はこんな風に声かけたりなんかしませんよ。先輩だったから声をかけたんですからね」

「なんでわかるんだ?」

「顏に書いてあります。……ノド渇いちゃったなぁ。この先に、美味しいケーキのある喫茶店があるんだけどなぁ」

「ご馳走しろと?」

「そんな事言ってないですよ。私は先輩に忘れられいた悲しみも、ケーキを食べたら癒せるかなぁって思っただけです」

 そう言うと美也子はニッコリ微笑んだ。

「はぁ……俺も可愛い後輩と、美味しいケーキを食べたいと思ってたトコだよ。高校生とワリカンなんてできないしな」

「やった♪先輩、ご馳走様ぁ♪」

「うん?ご馳走してくれるんだろ?悪いなぁ」

「……」

「冗談だ、好きなだけ食べていいよ。近いのか?」

「すぐですよ。これで先輩にご馳走してもらうのは二回目ですね」

「そうだっけ?」

「そうですよ。もしかして、名前だけなんですか?」

「悪いな。色々と思い出さないようにしてるんだ。あの頃の事は……」

「……他に思い出してくれたのは?」

「委員会が一緒で、当番を何回かやったよな?後は可愛いってので有名だったぐらいだよ」

「可愛いだなんて嬉しいな♪」

「そこしか聞いてないだろ?」

「当番の帰りにマックでご馳走してくれたじゃないですか」

「そうだっけ?」

「ヒドイ!先輩そうやって、いろんな娘にちょっかいだしてたんだ。私の純情な気持ちを弄て遊んだんですね!ヒドイ!ヒドイですぅ~ぅぅ」

「わざとらしい泣き真似するなよ」

「……もう少し困ってくれないとつまらないじゃないですか」

「そんな事は、恋人とやってくれよ」思わず溜め息がこぼれる。

「恋人がいたら、先輩でも声かけませんよ。こう見えても一途なんですからね」

「マックねぇ」

「あー!私の今のコメントは無視するんですか!こんなに可愛い後輩に恋人がいないんですよ!チャンスだ!とかって思わないんですか!ねぇ、ねぇねぇ?」

 二つ年が違うと、こうも違うんだろうか?妹とかいたら、こんな感じなのかな?

「確かに不思議だよな」

「でしょ?何で恋人いないんでしょうねぇ?」真剣に考えこんでるようだ。

「もう少し落ち着いても良さそうなのにな」

「あ!先輩ヒドイ!普段はこんなんじゃないんですよ。先輩に会えて嬉しかったから……」はにかむように微笑む美也子の顏に、中学の頃の面影がよぎる。当番の時も、こんな会話をしてた気がする。

「卒業してだいぶ経つのに、よくわかったな?」

「ちっとも変わってなかったから」

「成長してないと取るべきか、若く見えると取るべきなのか?悩むトコだな」

「歩き方でわかりますよ」

「歩き方?」

「私、視力あんまり良くないから、歩き方で覚えるんですよ。この距離ならハッキリわかりますけどね」

「よく区別できるな」

「先輩は特別ですから」好意を持ってるって事なのか?

「特別……ねぇ」

「そうですよ。普通じゃないんです」

「……」普通じゃない、か。確かにそうだろうな。

 『中学校教諭、教え子と心中』センセーショナルな事件だよな。俺が知らなくても、俺を知ってる奴の方が多いだろうしな。時間が過ぎても、同じ学校だった奴の中では、何も変わってないのかもしれない。

「先輩、勘違いしてるでしょ?」

「勘違い?」

「変な意味で言ってるんじゃないですからね」

「変な意味、か。……どれを変な意味って言うんだろうな?」

「?」

「主観の問題だろ?俺にとっての『変な意味』と美也子にとっての『変な意味』が一緒とは限らないって事だよ」

「私は……先輩のこと」困っているのがわかる。

「喫茶店はココか?」目の前に『ライトスタッフ』と書かれた看板が見える。

「ココです。季節のフルーツを使ったケーキが美味しいんですよ」

「ふ~ん。じゃ、今日は違う猫の相手をする事にするよ」

「?違う、猫?」

「誰かさんのおかげで、ノンビリ散歩してた白猫は見失ったからな。代わりにミャーコの相手でもするさ」

「その呼び方は恥ずかしいですよぅ」

「端から聞いてる分には、美也子もミャーコも似たようなもんだよ」

「ブー」

「猫は『ミャー』って鳴くんだよ。『ブー』って鳴く猫は見た事ないぞ」

「……食べられるだけケーキ食べてやる!」目が怒ってる。それもまた可愛い。しかし、表情がコロコロ変わる娘だ。一日一緒にいたらどんな感じなんだろう?



 中に入り、注文を済ませる。

 美也子の言葉は本気だったようだ。ケーキを三つも頼んでる。それも『とりあえず』が付く形でだ。

 注文したケーキと一緒に紅茶とコーヒーが置かれる。

 あの頃は、コーヒーを真似して頼んでたんだよな。

 コーヒーを口にしながら、彼女との時間を頭に思い描いていた。


「先輩!」

「……うん?」

「他の女の人のこと考えてたでしょ?」

「!?何で?」

「考えてたでしょ?そういうの凄く失礼ですよ」

「何でわかるんだ?」

「私にとって、先輩は特別な存在だからですよ」

「俺が?どう特別なんだ?心中の生き残りだからか?」しまった!言いすぎた。

 が、美也子の表情は変わらない。

「私はずっと先輩を想ってたんです。先輩が卒業してからもずっと……当時の事もよく覚えてます。今でも先輩が……」

「……」

「まだ先輩の時間は止まったままなんですか?」

「俺の時間?」

「私の想いが一方的なのはわかってます。でも、気持ちは伝わりませんか?素直な言葉じゃないと伝わりませんか?」美也子の表情が曇りはじめる。

 伝わらないワケがない。

『先輩だから~』

『先輩に会えて嬉しくて~』

『先輩は特別な~』

 本当は気付いてたハズだ。

 気付かないフリをしていただけ……。

「俺は」

「いつまでも止まってるんですか?……そんなの、私が先生だったら嬉しくない」涙を流しながら美也子は続ける。

「自分をいつまでも想ってくれる気持ちは嬉しいと思うよ。でも、そこから前に踏み出さない先輩なんか見たくない」

「ちっとも成長してないみたいじゃないかよ」

 俺は苦笑いを浮かべ、なだめるように続ける。

「あの人が全てだったんだ。その気持ちは変わらない」

「先生を想う気持ちはわかります。でも先輩のは違う、あの日から……あの日から、先輩の心の時間は止まったままなんです」

「心の時間?」

「先輩が一番わかってるハズです。自分の事だもん。私なんかが言わなくても、よくわかってるハズなのに……。止めたままでいいんですか?」

「……」

 先生の言葉がよぎる。

 俺だけが生き残った────傷が浅かったから。

 彼女は俺を残した。違う……殺したくなかった。

 わかってたんだ。俺は気付いてた……。

 俺は……ソレから目を背けて…………気付いてないフリを。

 ……流されるままに、俺は……先生……。



 止まっていた時が……ゆっくりと動き始めた。



 Fin

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫を追いかけて ピート @peat_wizard

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る