第17話 反逆者
それから数日後、アルウが制作したオシリス像がいよいよオシレイオンに奉納された。オシレイオンで神官と巫女によるオシリス神復活の儀式を行うために、予定通りオシリス像は十四のパーツに分解されて丁寧にオシレイオンに運び込まれた。ところがその過程で、コンスとマーネとその手下は、予てパロイに制作させていた、偽のオシリス像の頭部パーツを、本物のパーツとすり替えていたのだ。何も知らない運び手達は、渡された十四個のオシリス像のパーツを一個ずつ牛が牽く木のそりに載せてオシレイオンに運んだ。
オシリス像の十四個のパーツがオシレイオンに運び込まれると、大神官や巫女達によるオシリス復活の儀式が厳かに行われ、その儀式も無事に終わると、いよいよオシリス像の組み立て設置が開始された。組み立てにはコンスとマーネも加わっていて、彼らはアルウの指示に従い、何食わぬ顔で仕掛けを組み込みながらオシリス像を組み上げていった。
「見事なオシリス像だ」
完成した像を見上げ大神官ブテハメンは唸った。
「……」
セバヌフェルは無言で見つめた。
「どうですか?」
アルウは黙ったままオシリス像を見上げるセバヌフェルに声をかけた。
「アルウ様」
セバヌフェルは神秘的な青い目でアルウ見た。
「お陰様でやっと子供の頃の約束を果たすことができました」
「オシリス神も王様も喜んでおられると思います」
セバヌフェルは微笑んだ。
「あなたにそう言っていただけると嬉しいです」
アルウも笑顔でこたえた。
「ただ」
セバヌフェルの表情がにわかに曇った。
「ただ、なんですか」
アルウはオシリスの顔を黙って見上げるセバヌフェルの横顔を見つめた。
「ただ、なぜか嫌な予感がします」
そう言ってセバヌフェルは口をかたく閉じた。
「なぜか嫌な予感が」
セバヌフェルの言葉に、アルウは改めて完成したばかりのオシリス像を見上げた。
その時、二人の様子を遠くから眺めていたコンスとマーネが慌ててやってきて、恭しくアルウに声をかけた。
「アルウ、おめでとう」
コンスが大げさに言って握手をもとめた。
「ありがとう」
アルウは笑顔で握手した。
「素晴らしいオシリスだ!」
続けてマーネがわざと大げさに賛美した。
「あなたの協力があったからこそ完成することができました」
アルウは年長の大先輩でもあるマーネを労った。
「俺もお前の神の手が欲しいくらいだ」
コンスもわざと褒めちぎった。
なにも知らないアルウは二人の言葉を有り難いと感謝した。
翌日、オシリス像の奉納式典が始まろうとしていた。オシレイオンにはテーベから不在中の王様の名代として、十四歳の王子ラムセス二世と十三歳の王女ネフェルタリが出席していたので、オシレイオンの地下神殿やセティ神殿の周りは、警察や兵士によって物々しい厳戒態勢が敷かれていた。
ラムセス二世とネフェルタリは異母兄妹で、幼い頃から本当の兄妹のように育ちとても仲がよかった。今日は王子だけが出席する予定になっていたのだが、予てよりネフェルタリが、アルウのオシリスの式典に行きたがっていたので、優しい王子は彼女を一緒に連れてきたのだった。
「これより式典を行う」
大神官ブテハメンの言葉でオシリス神像の奉納式典がはじまり、ブテハメンがオシリスを讃える詩を朗読し終えると、オシリス神話にちなんだ演劇がはじめられた。オシリスの妻イシスを演じたセバヌフェルの演技は、彼女の透き通るような歌声や金髪や碧眼の美しさも相まって、観劇に来た人々を魅了した。
「そろそろだな」
コンスがマーネに目で合図して静かに席を立つと、
「ふ……」
マーネも静かに席を立ちオシリス像から出来るだけ距離をとった。
王子や王女をはじめ式典に来た人々は、観劇に夢中になってオシリス像の異変に気づかなかった。
演劇もいよいよクライマックスにさしかかった時、突然砂埃が大量に降り注ぎ、人々が目を痛がったり、咳き込んだりしていると、オシリス像の頭部ががらがらと大きな音を立てて落下した。
「像が崩れたぞ!」
神官の一人が大きな声を出した。
「キャー」
巫女たちが転がる巨石から身を守ろうと逃げ始めた。
その時、崩落したオシリスの巨石の一つが、王子と王女の観覧席に向かって転がってきた。
「危ない!」
ラムセス二世は大きな声を上げネフェルタリの手を引いて観覧席から連れ出すと、巨石は大きな音を立てて観覧席を粉々に押しつぶしてしまった。
一瞬の出来事だった。だがネフェルタリは頭部の巨石を目に焼き付けた。
アルウは呆然と立ちつくした。
その様子をコンスとマーネが遠くから見つめ、二人はお互いを見合い目で笑った。
九死に一生を得たラムセス二世とネフェルタリは、すぐにオシレイオンから外に出て、そのままテーベに帰っていった。
オシリスの像は首だけでなく、足首の部分に至るまで完全に崩壊し、しかも落下して飛び散った石の塊はオシレイオンの壁面や石柱のかなりの部分を破壊した。
こうして完成したばかりのオシリス像もオシレイオンも全てが崩壊し工事は振り出しに戻ってしまった。
事件の翌日、自室に引きこもっていたアルウのところに宗教警察がやってきた。
「アルウ。ドアを開けろ!」
警察が大声をあげながらドアを激しく叩いた。
「はい」
アルウがドアを開けた瞬間、彼の部屋の中に十数名の宗教警察が雪崩れ込んだ。
「アルウ、お前を逮捕する」
そう言うとすぐに警察がアルウを押し倒して縄で縛った。
「いったい何の罪だ!」
アルウが声を上げると、
「王子暗殺未遂とオシリス神への冒涜罪だ!」
警察は激しい口調で叫びアルウの顔を殴った。
「この反逆者め!」
宗教警察は縄で縛られ身動きできないアルウの頭を踏みつけ、腹部を蹴り、手や腕や肋骨をこん棒で力まかせに打ち据えた。それから彼らは息も絶え絶えのアルウを外に引きずり出すと、首に縄をつけ馬で砂漠を引き摺り回しながらセティ神殿に連行した。
神殿に連行されたアルウは縄を解かれると、神殿奥のオシリスの部屋までこん棒でこづかれながら連れていかれ、入り口付近で背中から思い切り蹴飛ばされた。
「立て!」
大神官ブテハメンの大きな声が静まりかえった神殿に響き渡った。
「……」
アルウはよろめきながら立ち上がり大神官を見た。しかし目が霞んでブテハメンの姿をはっきりとらえることが出来なかった。繰り返される暴行でアルウの目は酷く腫れ上がり、特に左目の真上の傷口から沢山の血が流れ出ていた。
「なぜ王子を暗殺しようとした」
「意味がわかりません」
「質問に答えよ」
「していません!」
「白を切り通すつもりか」
「ちがいます!」
「あの事件をどう説明するつもりだ」
「あれは事故です」
「事故だと! 白々しい言い訳をするな」
「事故です。そうとしか考えられません」
「ならば訊こう」
「なにを話せば良いのですか」
「センムト、アテンの証拠をもってまいれ」
「はっ」
「アテン……」
すぐに神官センムトが子供の頭ほどの丸い石を抱えてやってきた。
「これに見覚えがあろう」
ブテハメンは丸い石をアルウに見せるようセンムトに指示した。
アルウはその石の球体を暫く見つめると、
「これは何の石ですか」
と逆に訊き返した。
たしかにアルウが制作したオシリスのアテフ冠の先頭部分の石に色も形も似ているが、明らかに違う石だったからだ。
「まだ白を切り通すつもりか」
ブテハメンは語気を荒げた。
「こんな目の粗い材質の石は使いません」
アルウは顔を何度も殴られていたので、口の中は切れまくり、尋問に答える度に血を吐いた。
「その石はおまえが作ったオシリスのアテフ冠の先端についていた石なのだ」
「そんなはずはない」
「だがこれは式典の日、事故現場から発見されたのだ」
「……」
アルウは何を言われているのか一瞬わからなくなり呆然としてその石を見つめた。
「しかも、その石にはアテンのレリーフが刻まれている」
ブテハメンの言葉に合わせて、センムトが石を転がしてアテン神が刻まれた部分をアルウに見せた。
「ば、馬鹿な!」
アルウはこの時になって初めて自分が何者かに罠にはめられたのだと気づいた。
「濡れ衣だ!」
アルウが叫ぶと、すぐ後ろに控えていた宗教警察がアルウの両ふくらはぎをこん棒で打ちすえて跪かせ、背中を繰り返し激しく叩いて黙らせた。
「痛みから逃れる道は罪を認めることだ」
宗教警察は吐き捨てるように言って後ろに控えた。
結局その日の尋問はそこで打ち切られ、彼は神殿奥の石の狭い牢屋に閉じ込められてしまった。セバヌフェルはアルウの無罪を信じていたので、彼が牢につながれると、すぐに部屋を探し出し食べ物と水を持って行った。
「アルウさんに差し入れを持ってきました」
セバヌフェルが水を入れたアラバスター製の壺とパンを監視の男に見せた。
「セバヌフェル様、あなた様でも面会は許されておりません」
監視は険しい顔をした。
「いったい誰の命令なのですか?」
「センムト様からの指示であります」
「なぜセンムトがそのような指示を出せるのです?」
「大神官ブテハメン様の指示だそうです」
「まぁ、大神官様がそんな指示をセンムトに……」
セバヌフェルはとてもそんな指示をブテハメンが出すとは信じがたく、センムトの言動に不信を抱いたが、とにかく今は一刻もはやくアルウに水とパンの差し入れをしたかった。
「そうですか、残念です」
セバヌフェルはあっさり諦めるふりをして、監視の目を優しく見つめ、微笑んだ。
「ご理解いただけてありがとうございます」
監視も笑顔でセバヌフェルの目を見た。
「監視さん、おやすみなさい」
セバヌフェルがそう言って神秘的なブルーの瞳を二、三回瞬くと、監視はその場に崩れ落ち、小さく鼾をかいて眠ってしまった。
「術にかかったわ。さて鍵はどれかしら」
監視に催眠術をかけて眠らせたセバヌフェルは、熟睡した監視の腰から鍵を取り、アルウが閉じ込められた牢屋の分厚い木の扉を開けて中に入った。そしてすぐさまアルウにパンと水を差し入れした。
「アルウ様」
「……その声は」
「さ、食べて下さい」
「ありが……」
セバヌフェルは瀕死のアルウを見て心を痛めると、水を口に含み口移しで少しづつ水を飲ませた。
「瞼が切れて目に血が入る」
「気をしっかりもって」
セバヌフェルは彼の目を洗い柔らかな布で出血をおさえた。
「少し楽になった……」
ぼやけながらもセバヌフェルが見える。
「あなたを妬む何者かがオシリス像に仕掛けをしたのだと思います」
「わたしを妬む者の仕業」
「誰か心当たりはいませんか?」
「わからない……」
セバヌフェルは拷問によるダメージを出来るだけ和らげようと、アルウの手や足や脇腹に優しく手を添え、宇宙からの癒やしのエネルギーを流し込んだ。
「お腹も胸も手も足も、体全身がとても熱い……」
「少しは楽になると思います」
セバヌフェルはアルウの表情を確認しながら、沢山の癒やしのエネルギーを彼に注ぎ続けた。
その時、誰かが近づく足音が響いた。
「わたしは真犯人を捜し出します。ですから決して希望を失わないで」
「ありがとう」
「オシリスのご加護がありますように」
セバヌフェルはそう言うと壺やパンを入れてきた袋を置いて、素早く牢屋から外に出た。それから鍵を閉め終わると、まだ眠り続ける監視の腰に鍵を返して姿を消した。
アルウは無事にセバヌフェルが姿を隠したのを確認すると、部屋の奥の方に寝転がり牢屋の入り口に背を向けた。
「おい! 居眠りするな」
「あ、おまえか」
「交代の時間だ」
「奴はどうしている」
「奥で眠ったままだ」
二人の監視は牢屋の扉に取り付けられた小さな覗き窓から中の様子を確認した。
「あいつも不運な奴だ」
「ああ」
「あすは死刑が言い渡されるだろうよ」
「当然だろう」
「王子を暗殺しようとしたらしいからな」
「馬鹿な奴だ」
二人の監視は眠り続けるアルウの姿を気の毒そうに見つめると、監視用の小窓を閉めた。それから後から来た男が牢屋の前に立ち監視を引き継ぐと、今まで監視していた男が宿舎に帰って行った。
翌日、すぐに裁判が開かれ、アルウは法廷で大神官ブテハメンから厳しい尋問を受けた。
「あらためて問う。なぜオシリスのアテフ冠に異端の神アテンのレリーフを刻んだのだ」
「わたしではありません」
「ならば訊こう。おまえが神聖なるオシレイオンでアテン賛歌を唱えていたという噂が流れているのだ」
「アテン賛歌など聞いたことも唱えたこともありません」
「いつまで白を切り通すつもりだ!」
ブテハメンは語気をよりいっそう荒げてアルウを睨んだ。
「冤罪だ!」
アルウも語気を荒げた。
「無礼者!」
宗教警察が大声を上げてアルウの背中をこん棒で打ち据えた。
アルウは法廷の石の床に転倒すると、再び複数人の宗教警察がアルウの全身をこん棒で滅多打ちにした。
「もうよい!」
大神官の声が神殿内に響き渡ると、床一面が血の海で染まっていた。頭から血を流して息も絶え絶えのアルウを二人の宗教警察が両脇を抱えて、大神官の前に跪かせると、再び尋問がはじまった。
「もう一度訊く。なぜ邪神アテンを刻んだ」
「……わ、わたしじゃない」
宗教警察から腹部を繰り返し蹴られ、アルウは痛みで息も出来ないほどだった。
「まだ認めんのか。ならばおまえの婚約者のティアという娘をここに連れてこよう」
「ティアは関係ない」
「とぼけるな! ティアという娘、狂信的なアテン教徒の一派と行動を共にしているというではないか」
「……」
「どうだ、これで言い訳できまい」
「ちがいます」
「まだ白を切るのか。ならばおまえの母親も妹もそして婚約者のティアという娘も国家反逆罪で処刑されることになるぞ」
「家族やティアは関係ない!」
「ならばいいかげんに罪を認めよ!」
ブテハメンの最後通告にアルウは戦慄した。
(もうこれ以上家族を巻き込めない……)
「どうだアルウ、白状する気になったか」
「……」
「おまえが罪を認めれば、婚約者や、おまえの母親や妹の身の安全は保証してやる」
大神官は沈黙してアルウの返事を待った。
不気味に静まりかえる法廷。石の床にアルウの頭から滴り落ちる血の音が響く。
長い沈黙の後、
「わ、わたしがやりました」
アルウは重い口を開き罪を被った。ティアや家族を守るために死を覚悟したのだった。
「……やはりそうであったか」
ようやくアルウを自白に追い込んだブテハメンは満足げに笑い、
「追って沙汰を待て」
と言い渡して法廷を閉じた。
すぐさまアルウは二人の宗教警察に両脇を抱えられ、神殿地下の牢屋にぶち込まれた。今度の牢屋はさらに狭く、明かりも、寝るための藁もない湿気た部屋だった。
(ああ、どうしてこんな目に遭わねばならないのだ)
暗闇の中でアルウは自分の不運を悲しんだ。
止めどなく流れ出る涙。
ずたずたに切り刻まれた心。
身も心も魂でさえも痛くて痛くて悲しくて仕方がなかった。恨む心、憎む心、怒りも悲しみも、ありとあらゆる感情が心の中を暴れ回り狂い死にそうだった。
(こんな善良な人間がなぜ苦しめられなければならないのだ。神様などいないんだ。僕は夢に人生を翻弄されていたんだ。本当にオシリスから愛されているのなら、こんな酷い目に遭うはずがない。あのオシリスの夢はただのありふれた夢なんだ。それを真に受けた僕が愚かだった。黄金のオシリスの像なんか探さなければよかった。あの黄金のオシリス像はナイルのあの場所で偶然みつけてしまったのだ)
アルウが否定的考えの無限地獄を彷徨っている時、セバヌフェルは、パンと水を持ってアルウが監禁されている神殿地下の牢屋に向かっていた。
「アルウ様」
セバヌフェルが牢屋の小さな扉を開けて呼びかけたが返事はなかった。牢屋の中は真っ暗でなにも見えない。監視は催眠術で眠らせている。
「アルウ様」
セバヌフェルは牢屋の扉を開け、内側から閉めて奥に入った。
「アルウ様」
もう一度呼びかけたとき、
「もう僕にかかわらないでくれ。これ以上、人を苦しめたくないんだ」
暗闇の奥からアルウの悲しげな声が響いた。
「なにを言っているのです」
「おれは疫病神なんだ」
牢屋の奥からアルウのすすり泣く声が響く。
「アルウ様……」
セバヌフェルは激しく心が痛んだ。
「お願いだからもう僕に近づかないで」
セバヌフェルは腰に銀の壺を括り付け、四つん這いになって、手探りで牢屋の奥へと進みアルウを探した。しばらくすると目が慣れてきてアルウの影をとらえた。
「アルウ様……」
「セバヌフェル……僕は犯罪者なんだ」
「あなたは無実です」
「僕は法廷で罪を認めた」
「あたしはあなたを信じているのです」
「何を根拠に僕を信じられる」
「アルウ様はオシリスに愛されし者だからです」
「ならどうしてオシリスは僕を守ってくれない? なぜオシリスはこんなに辛い思いばかりさせる?」
「オシリスを信じて。必ずあなたの命は守られ名誉は回復されます」
セバヌフェルは自信を持ってそう言い切ると、腰から銀の壺を取り外して水をアルウに飲ませた。
「セバヌフェル、僕はまだ生きたい……」
「絶対に希望を失わないでください。必ずオシリスが助けて下さります」
「……」
「信じて下さい。希望を持って下さい」
「希望……」
アルウは目は涙で溢れた。
判決が出るまでの間、アルウは地下の窓一つない牢屋に閉じ込められた。
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