影陽―カゲヒナタ―

小日向佑介

第1話:「もう戻れない」

 目の前で首が舞う。

 あまりにも綺麗に、容易く。恩人であり、名付け親でもある男の首が舞う。鈍い音を立てて落下するそれは、じっとひなたを見詰めていた。

 なにが起こったのか、すぐには理解出来なかった。転がる生首と、均衡を失い緩やかに倒れる胴。畳に染み込む真っ赤な血が死をより明確なものとして認識させる。


「――! だ、誰かっ!」


 部屋を飛び出して助けを求める。夜も更け、屋敷の中でも起きている人物はそう多くない。そのはずなのに、ほどなくして二人の男が駆け付けた。彼らは部屋の惨状を確かめることもなく、陽と一定の距離を保ち睨んでいる。

 その視線に陽は一歩後退った。彼らの眼には驚きと憤りが混ざり混濁した光が宿っている。


「陽! 一哉かずや様の恩を忘れたか!?」

「え、恩、って……?」

「お前が一哉様の殺害を企てていると密告があった! まさか本当に……!?」

「ち、違います! 僕じゃな……」

「問答無用! 話は後で聞かせてもらう!」


 陽の訴えを叩き落して、二人の男は銃を構える。彼らはその銃口を自身のこめかみに押し当て、引き金を引いた。

 撃鉄の音がしたと同時、二人の男に異変が起こる。一人は筋肉が隆起し、クマのように逞しい姿へ。もう一人は前傾姿勢となり、オオカミ人間のような姿。

 口の隙間から荒い息が漏れ、獣と称するのに相応しい様相。身体から血の気が引いていくのを感じた陽は一目散に逃げ出した。

 交渉の余地がない、この状況でどうやって冤罪を晴らすべきか。十歳の陽にはわからなかった。だからこうして逃げることしか選べなかった。

 とはいえ、彼らの身体能力は人間の比ではない。すぐに追い付かれてしまうだろう。一人の手が陽の背中に迫ったその瞬間――


「があっ!?」


 今度は腕が飛んだ。厳つい腕が、肩から綺麗に切断された。陽の背後に立つのは、彼より少し年上と思しき少年だった。彼は刀身の長い刀を一振りし、付着した血を払う。


「何者だ、貴様!」

「だ、誰……」

「行け。ここは俺に任せろ」


 少年は刀を構える。その切っ先は暗がりの中でも妖しく輝き、追手を牽制する。彼の気迫に当てられてか、迂闊に攻め込んでくることはなかった。


「屋敷を出れば協力者が待っている。早く行け」

「き、きみは……!?」

「行けと言っている。時間を無駄にするな」


 決して振り返ることはない少年。戦場において、敵から目を逸らせば死ぬことを知っているのだ。

 陽はそれ以上なにも言わず、頷いて走り出した。何故逃げなければならないのかはわからなかった。

 誰も陽の話を聞いてはくれないが、その実この状況を理解していないのは自分だけのような錯覚に囚われる。

 それでも足は止めない。止めればどんな仕打ちが待っているか、わかったものではないからだ。謎の少年も協力してくれている、彼だってただでは済まされないだろう。無駄に出来ないのは彼の心遣いも同じだ。


 廊下をひた走る陽だが、前方の襖が開く。身構えて交戦に備えるが、姿を現したのは一人の少女だった。


「……陽? こんな時間に走っちゃ駄目だよ」

「あ……ご、ごめん!」

「なに謝って――ちょ、陽!?」


 眠い目を擦る少女を押し退け、再び走る。背に受ける声がどんどん遠くなっていくが、振り返る余裕はもうなかった。

 そうして屋敷を出ると、前には窓をカーテンで隠した車が停まっていた。少年が言っていた協力者だろう。真っ黒で中の見えない窓を叩いて叫ぶ。


「た、助けてください!」


 助手席の扉が開く。転がるように乗り込み、車は急発進を始めた。途中、何度か車の横から衝撃が走るものの、アクセルは常に全開のようだった。一切減速せず、そのまま走り続けた。


 ――そうして、車が停車する。


 逃げ切ることが出来たのだろうか。運転席へ目をやると、短い息が漏れた。

 車を運転していたのは顔に多くの生傷を負った壮年の男性だった。肌は浅黒く、髪は飾り気のない短髪。落ち窪んだ眼は鋭く、冷たい。


「案ずるな。儂はお前の味方だ」

「あ……あ、ありがとう、ございます……」

「怖かっただろう。ここまでは奴らも追って来れん」

「ここ……どこ、ですか?」

「さあ、どこだろうな。だが、奴らが容易に関与出来ん地だ」


 彼らの手が及ばない世界。影の世界の秩序を保つ彼らが関与が出来ない世界を、陽は知っている。

 だが、それがどうした。陽は里の外で生きる術を知らない上に、身寄りがない。知らない世界で一人、生きていくのは不可能だ。

 これからどうしたら――陽の不安を知ってか知らずか、傷だらけの男性は陽の名を呼んだ。


「こうして逃走に協力した後ではあるが、確認しておくことがある」

「……なにを」


 そんなことわかりきってはいる。男性はここで初めて厳つく無機質な顔に表情を見せた。ニィ、と口の端を吊り上げ、問いかける。


「――美景みかげ一哉を殺したのはお前か?」

「っ、違う! 僕じゃない! かっ、一哉様は僕の目の前で死んだ! 首、首を刎ね飛ばされてっ! 信じてください! 信じて……!」


 この夜、初めて陽の言葉を聞いてくれる者に出会えた。その安堵感が彼の言葉に必死さを滲ませる。

 理解してほしい、信じてほしい。そんな気持ちが伝わったか、男性はくっくと喉の奥を鳴らして笑う。


「ああ、わかっているとも。お前は一哉を殺していない、犯人は別にいる」

「だ、誰が一哉様を……」

「それについては儂に任せておけ。お前が心配することはなに一つとしてない。代わりに、頼みがある」

「……僕に出来ることならば、なんでもやります」


 この男は陽にとって命の恩人だ。

 一哉殺害の犯人に心当たりがあり、その謎を明らかにしてくれるというのならば、大きな借りを作ることになる。出来ることは限られるが、なにを頼まれても断る気にはならなかった。

 男は大きな手を陽の頭に伸ばす。びくりと肩を跳ねさせるが、彼の手は陽の頭を撫でるだけだった。呆然とする陽に、男は告げる。


「お前にはしばらく、こちらの世界で身を潜めてもらう。時が来るまで、無事に生き延びることだ。そのための準備も儂に任せておけ。その間は別の協力者の世話になるといい」

「……どうして、そこまでしてくれるんですか?」

「いずれわかる。協力者の下へ向かうぞ。――ああ、それ・・は見えないところにしまっておけ」

「え……」


 なんのことかと手元を見て、息を飲む。

 陽の左手が固く握っていたものは、一丁の銃だった。追手が持っていたものと同じ形、いつ手にしたかも思い出す。

 一哉と話していたとき、彼のものを触らせてもらっていた。つまりこれは――美景一哉の遺品でもある。

 他の者の銃であればなにも思わなかっただろう。これが美景一哉のものであることが、大きな意味を持つ。

 この男に預けておくべきではないか。そうは思えど、この銃を陽が持っていることがわかれば、男は陽の協力者としてなにかしらの重罰が課せられる可能性も高い。結局、陽が持っておくしかないのだ。


 走り出す車。カーテンを開け、窓越しに流れる夜を覗く。見慣れた里の景色とは打って変わって、家屋やビル、娯楽施設などが建ち並ぶ。

 眼が眩むほど目映く、華々しい世界。この世に紛れるのは難しく思えた。

 それでも――。


「……もう、戻れない」


 静かな夜に溶けるような、か細い声。諦めと覚悟が入り混じった声音。陽の声に呼応して、手元の銃が淡く輝いた。

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