第11話 異世界エロゲお嬢様
人魔大戦から十五年。
平和になったとされるこの世界だが、それは指導者たちの建前上のこと。
学園を一歩出ればまだ人魔の遺恨は深く、戦乱の火種は燻り続けている。
ならば、平和のために必要なのは異種族の相互理解を深める共通の思想である。
前世ではそれを宗教や道徳と呼ぶだろう。
だが神や魔法が実在するこの世界で宗教を統一することなど不可能だし、種族間で生態が違いすぎて道徳を共有することは難しい。
では、この世界で思想を広めるための新たなる教典として相応しいモノは何か?
いくら勇者の娘といえども、人間の十五の小娘がただ御高説を垂れるだけでは誰の心にも響かない。
とすれば、人々に感動を与えるものは、心に響きうる手段は──芸術である。
そして、あらゆる種族に共感され得る究極の芸術作品をワタクシは知っている。
「ワタクシ、エロゲを作りますわ!」
ワタクシはこの世界で高らかに宣言する。
そう、エロゲだ。現代日本のネットカルチャーの礎を築いたコンテンツ。
それはオッサンの三十年を丸ごと追体験したワタクシの脳裏に焼き付いている。
エロゲ! なんと素晴らしい!
あらゆる生物の根源たる性愛を主題とした美しき物語!
小説、絵画、歌劇、あらゆる娯楽を内包し昇華した総合芸術!
人生を丸ごと塗り替える衝撃を何度も与えてくれた愛しき作品達!
人間だろうがゴブリンだろうがリザードマンだろうが生殖をする以上あらゆる種族にとってエッチなものは普遍的な魅力だ。
盲目のシェイドにも聾のディープワンにもエロゲは絵と音で物語を伝えられる。
エロゲこそこの世界に平和をもたらす最良の手段に違いない!
ならばオッサンの夢を継ぎ、幸せな日常と真実の愛を紡ぐエロゲを流行らすことこそ、ワタクシの求める皆を幸せにする生産的なコトとして相応しいではないか!
「今日この日たった今から、この世界の人々──いえ、この世界の知的生命体すべてにエロゲを楽しんで貰うためワタクシは活動を開始するわ。ワタクシの全身全霊と、動かしうるノイエンドルフ家の全資産、全人脈、全権力を用いてね!」
不退転の決意を込めそう言い放つ。
ワタクシはエロゲを作る!
このファンタジー世界で!
「喜びなさい、ジゼル。貴女はエロゲサークルメンバーの栄えある第一号ですわ」
「は、はい。ツェツィ様のお望みとあらば是非もありません」
満面の笑みのワタクシとは裏腹に、ジゼルはまたしても困惑している。
「しかし、ツェツィ様、エロゲとは一体……」
当然だ。エロゲなどといきなり言われて理解できるはずがない。
この世界にはギリシャ神話もエロスという言葉も無いし、パソコンはおろかテレビもゲームも無いのだから。
それどころかドワーフが活版印刷を発明したのが人魔大戦中のことで、本や新聞が一般庶民の手に渡るようになったのすらほんの四、五年前といった文明レベルだ。
そんな世界の住人にエロゲの概念を説明するのは至難を極める。
だがこの先の遠大な計画の第一歩として、最早自分の体の一部と言って差し支えのないジゼルの理解を得ることは必要不可欠だ。
何とかジゼルの知識の及ぶ範囲でエロゲの素晴らしさを伝えるしかない。
「エロゲとは真実の愛の物語。それを人々に追体験させる究極の芸術作品ですわ」
仮にも乙女のやり取りだ。
性的な要素はなんとか必死にオブラートに包む。
「つ、つまり演劇のようなものですか?」
「内容としてはほぼその通りね。大きく違うのは観客が一つの場所に集まって鑑賞するのではなく、個々人が別々の場所でプライベートに楽しむものよ」
「では小説や絵本のようなものですか?」
「近づいてきたわね。文字も絵もたくさんの分厚い絵本。それを基本に考えて頂戴」
「はい、エロゲは絵本」
「そしてその絵本は、読者が主人公となり物語の結末を左右できるのよ」
「なんと」
「さらにエロゲは鑑賞シーンに合った音楽が流れたり、登場人物の声が聞こえるの」
「面妖ですね」
「本来のエロゲは他にもまだ機能が色々あるのだけれど、大体はこんなところね」
「ではまとめるとツェツィ様がおっしゃるエロゲというものは、鑑賞者が物語の結末を選べる真実の愛を紡ぐ音が出る絵本ということでよろしいでしょうか」
「概ねその理解でいいわ。流石はワタクシのジゼルね」
「もったいなきお言葉」
ほんの短いやり取りでジゼルはワタクシの意図を汲み、エロゲを把握してくれた。
エロゲとは、結末の選べる音が出る絵本。
要点は伝わったが、エロゲがエロゲたるにはまだ情報記録媒体や再生機器、セーブやロードの概念など無数の要素が必要だ。
だが、それは今ジゼルに語るべきことではない。
一息ついて天井を見る。
たくさんの蝋燭が立ち並ぶ豪華なシャンデリアが目に入る。
枕元の金色のベルに視線を向ける。
ベルの傍でオイルランプが暖かい光を発している。
この世界には電気すら無いのだから。
エロゲに必要な技術を語っても混乱を生むだけだ。
目下は結末の選べる音が出る絵本の完成を目指すとしましょう。
「ではツェツィ様、これから我々はそのエロゲを作り始めるのですね?」
思考の海に浸りかけたワタクシをジゼルの言葉が現実に引き戻す。
「いえ、いきなりエロゲを作り始めるのは無謀ね」
「そうなのですか?」
「ええ、エロゲをこの世界の住人に楽しんで貰うには、大きく分けて二つの問題があるの」
ワタクシはジゼルを生徒としてエロゲを完成させる道程を講義し始める。
「まず一つ目は技術的問題ね。そもそもエロゲ自体を作ることが難しいということ。シナリオはワタクシが書くとして、他に絵を描く者、音楽を奏でる者、あと商品として量産する技術が必要ね。でも一番の難題は、どうやって場面に合った音楽を流すかということね」
そう、この世界の科学技術ではエロゲの完全再現は不可能だ。
そして、オッサンにもエロゲを作れる程の科学知識は無い。
座して待てば現代日本の水準まで技術が進む前にワタクシの寿命は尽きるだろう。
では前世の進んだ科学技術の代替となるものは何か?
それは間違いなく魔法だ。
エロゲに必要な技術の大半は魔法で代用することとなろう。
「物語に干渉することで結末が変わるというのが一番の難題ではないのですか?」
この世界の住人らしい可愛らしい疑問がジゼルの口から飛び出す。
「ええ、実はその解決は容易なの。選択肢①を選んだら①に対応するページへ、選択肢②を選んだら②に対応するページへといった作りにすれば、一つの本でも読者ごとに異なるページの辿り方ができる。つまり展開と結末を読者が変えることができるようになるのよ」
「なるほど、そんな技術があるのですね」
ああ、ゲームブックと一言で説明できないことがもどかしい。
同時に前世の自分も恵まれていたのだと実感する。
科学の進んだ時代に、娯楽に溢れた飢えのない世界に居たのだと。
「しかし、王立図書館でもジゼルはそのような書物を見たことがありませんが……」
そしてやはり賢いジゼルは感づいてしまった。
ワタクシの知識が異質だということに。
この先ジゼルとエロゲを一緒に作るにあたって、現代日本の知識を披露する機会はこの先星の数程あるだろう。
前世のオッサンのことは隠すとしても、ある程度の真実を話すことがジゼルへの信頼だ。
「そうね、実はこの技術もエロゲも夢の中のワタクシが知っていたモノなの」
「夢の中のツェツィ様の知識……」
「二人だけの秘密よ。皆にはワタクシが思いついたモノとして振る舞って頂戴ね」
「はい、このジゼル、命に代えましても口外は致しません」
「一々約束の覚悟が重いわ、もっと気楽にできませんの」
「ツェツィ様のコトに加減せず全力で取り組むことがジゼルにとって一番の気楽ですので。どうかお目こぼし頂けますと幸いです」
「ま、まあ貴女がそう言うのならいいのだけれど……」
心強い味方には違いないのだが、ジゼルの一途さには少し怖くなる時がある。
「さて二つ目は市場的問題ね。エロゲの鑑賞者となるこの世界の住人はまだエロゲを受け入れる用意が出来ていないということ。端的に言えば新しすぎるモノは売れないのよ。良いものや正しいものが必ずしも大衆に受け入れられるわけではないの」
そう、ガリレオの地動説がキリスト教世界で頭ごなしに否定されたように。
初のインターネット対応の家庭用ゲーム機がハード戦争で惨敗したように!
かつてエロゲが忌避され二〇年を経てソシャゲが一般大衆に普及したように!
どんなに優れた思想も物品も、消費者である大衆の常識が許容できる範囲のモノでなければ市井には受け入れられない。
それは前世の知識で痛い程よくわかっていた。
「恐れながら、良ければ良い程良いのでは? 結末の選べる音が出る絵本、ジゼルはトキメキますが?」
ジゼルの当然の疑問にワタクシは答える。
「ジゼル、ワタクシたちは幸い貴族の一員ですわ。それゆえ当然の如く読み書きは熟知しているわね? でもこの世界の連合統一文字の識字率はどのくらいかしら?」
「人間、エルフ、ドワーフの三種族に絞れば多くて四〇%といったところではないでしょうか。貴族、兵士、神官、商人、芸術家、魔術師、冒険者は読めるであろうと仮定した場合ですが。ただ魔族同盟側となると間違いなく一%未満でしょう」
「流石はワタクシのジゼルね」
ワタクシは内心ホッとしながら満足の笑みを浮かべてみせる。
ジゼルが優秀で本当に助かる。
自分で聞いておいて具体的数字は全く知らなかった。
室内の文明レベルから想像していたよりも連合側の識字率は高いようだ。
先の人魔大戦と活版印刷の発明が効いているのだろう。
だが問題は魔族同盟側の識字率だ。種族の知能の差もあるが、仇敵である人類連合に対する忌避感が連合統一文字の学習の妨げになっているようだ。
「なるほど、つまり文字が読めない時点で連合市民でもエロゲを楽しめる者は二人に一人以下、魔族では百人に一人もいないということですね」
「そう、理解できたわね。まだこの世界にはエロゲの需要自体が無いということが」
「はい。結末の選べる音が出る絵本を出版したとしても、楽しんで貰える人はごく限られるということがジゼルにも分かりました」
ジゼルが少し残念そうな顔をして納得を口にする。
「しかし、そうしたらこれから我々は何をするのですか?」
「ワタクシたちはこれからエロゲを作る体制を整えつつ、消費者の啓蒙も図らなければならない。でもどんな道を辿るとしても絶対に必要なことがあるわ」
「それは一体……?」
「パメラを口説き落としますわよ!」
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