第2章 異世界エロゲお嬢様部

第7話 Dies irae

 有限会社BranchLock。


 泣きゲーと呼ばれるエロゲジャンルを確立した、業界内において知らぬ者などいない老舗中の老舗である。


 五年続けば御の字と言われるこの業界で、この会社は二十五年間時代の先端を駆け抜けて来た。


 かつて性的対象としてしか認知されていなかったエロゲにおいて、このブランドはあろうことかエロをメインに据えず、少年少女の恋愛模様に少し不思議SF要素を絡めた重厚なシナリオを売りとしてゲームを作った。


 誰もが失敗すると思った。

 誰もが無謀だと言った。

 だが、時代はそれを求めていた。


 エロゲブランドBranchLockの名は瞬く間にネット掲示板を中心に広がり、一躍エロゲブームの火付け役となった。


 そんな偉業を打ち立て、時代の寵児となったエロゲ会社、夢にまで見た理想の職場でオレは今働いている。


 先輩ライターと舌戦を繰り広げながら。


「おいいいいいッ! なんだこの一ミリも息子に訴えかけねぇクソ企画はよぉッ!」


 怒号を放つは楢久保蔵人ならくぼくろうど

 この道十年以上のベテランだ。

 その罵声にオレは反発する。


「自分の心の赴くままに書けって言ったのは先輩じゃないですか!」

「言ったよ! お前のリビドーの赴くままに書けってなぁ! でもこれじゃ、青春お涙頂戴甘ちゃんチュッチュじゃねぇか! 違ぇよ! エロだよ、エロ! 開始十秒でプレイヤーの息子さんが元気になっちまうような、そんな展開満載の企画を書くんだよぉ!」


「いきなりエッチだけ見たって全然興奮できませんよ! 主人公とヒロインの出会い、触れ合い、心の変化、艱難辛苦を経て辿り着いた先にこそエッチはあるもんでしょう?」


「そんな展開じゃあ、もう誰も読まねぇの! 売れねぇんだよ! それにお前の企画はどう見てもフルプライス向け、今はエロソシャゲの企画が要るんだよぉ!」


 この十五年、エロゲ業界は衰退の一途を辿り、多くの会社が消えていった。


 かつての大御所でさえ、グッズ販売やイベントだけでは経営難を覆すことができず、次作が売れなければ倒産という自転車操業だ。


 オレが入社してからのこの七年はまさに苦難続きだった。


 ヒロイン五人で一万円のフルプライスが売れなければ、ヒロイン三人で六千円のミドルプライスに切り替え、制作ラインを増やす。

 それでも次作の開発費を捻出できなければ、オンライン販売に舵を切り、ヒロイン一人ずつのシナリオを個別販売する。

 それで二進も三進もいかなくなると、次はソシャゲへの転換だ。


 退霊くノ一も地獄天使アズラエルもリビングデッド逢坂もソシャゲ化した。

 全て正規タイトルの正当なる続編として……。


「そりゃわかってます! でも先輩はホントにエロソシャゲがエロゲの正義だと思いますか!?」

「なんだとぉ……」


 エロゲのソシャゲ化は良いことだ。

 多くの人に楽しんでもらうことは良いことだ。

 会社のためにも、業界のためにも。


 だが、どこか心に穴が空いてしまったような寂しさがある。


 キャラメル箱に描かれた笑顔を浮かべる五人のヒロイン。

 パッケージ裏の期待と希望を漂わせる作品紹介。

 インストールを待つ時間のそわそわ感。

 OP映像が流れたときの一つの世界が動き出したような感覚。

 フルプライス作品にこそあった古き良き空気。


 これは懐古厨の心境なのかもしれない。

 もうあの頃は帰ってはこない。

 だが──。


「ガチャは優れた集金システムです。嫁のエッチシーン見たさにワンクリックで一万がドロンッ。一作のエロソシャゲでもフルプライスエロゲ何本分もの売上が期待できます。でもキャラ性能と衣装差分でいくら引き延ばそうとも、ゲーム自体が面白くなければ、物語に感動が無ければ、ファンは離れていく。今のエロソシャゲはいわば焼き畑農業です!」


「ふっ。いっちょまえに言うじゃねえか。ならこの議論の決着は勝兵かっぺいでつけるぞ!」

「望むところです!」


こうして、オレと楢久保先輩は雌雄を決するため居酒屋へ出征した。


          ◆◆◆


 そして二時間後……。


 焼鳥居酒屋、鳥皮屋勝兵。

 その一角に飲んだくれが二人。


「エロだけじゃなくてよぉ。Mountainとかさぁ、あーいう途中で物語の構造がガラリと変容するような大仕掛けぶっ込んだシナリオが書きてぇんだろぉ、おめぇは?」


「そりゃ、タイムスリップ親子丼するみたいな、そういう作品も書いてみたいッスけどぉ、オレが書きたいのはそういうんじゃぁないんですってぇ~」


「じゃあなんなんだよぉ! もしかしてヨルベノソラかぁ? だから美咲ちゃん泊めてんのかぁ? ダメだぞぉ、三十のオッサンが手ぇだしたらぁ。犯罪だぞぉ」


「いやいや、アイツは妹じゃなくて姪ッ! ただ勝手に住んでるだけッ! オレの性癖なんて全然関係ないッスよぉ。オレが書きたいのは、些細で小さな日常ですよぉ」


「日常だぁ? ほんわかふわふわした日常が書きてぇってのかよぉ」

「そうですよぉ! ヒロインと過ごす何気ない日々。その中で育まれる真実の愛!」


「そんな日常に巧妙に仕組まれていたミスリードォ! 実はヒロインたちは全員主人公を殺すつもりだったぁ!」


「いや、だからそんなのいらねえんですって! 叙述トリックはオレも大好きですけどぉ! オレが求めているのはMixing!ですよぉ!」

「あー、Mixing!かぁ」


「わかるでしょう? もしかしたらこんなオレにもあるかもしれないハーレム。オレはそんな、凡人にも手の届きそうな妄想膨らむ日常が描きたいんですよぉ」


「なんだよぉ、さっきから聞いてりゃぁ日常日常って。日常なんてクソじゃねぇか!」


「だからですよ! 日常がクソだから! 現代社会がクソだから! だからせめてお話の中だけでは幸せなキャッキャうふふな日常が見たいんですよ!」


「お前……」

「みんな世間体を気にして、恥ずかしがって、言い訳して、カッコつけて、外面を取り繕ってるけど、心の底では絶対思ってる! ああ、自分の日常がこんな夢みたいな世界だったらって! だからオレは! なりふり構わず、どんなに笑われ、後ろ指刺されようと、皆の代わりにそういう世界を作ってやる! 世界中に幸せな世界を届けてやるんだ!」


「そうか……。いいんじゃねえか、お前の夢。その気持ち、ずっと忘れんなよ……」


 即座に切って捨てられると思ったオレの夢を、楢久保蔵人は正面から受け止めた。


 それで、オレはやっと気づいた。

 そうか、この人が売れ筋を追求してるのは立場があるからだ。

 会社を存続させなければならないという立場が。


 でも、じゃあ、きっと…………。


「ありがとうございます、先輩……でも、そしたら先輩にもあるんでしょう? こんな先も見えない業界に飛び込んだきっかけになった、心に影響を与えた作品が」


 オレの質問に先輩は少し影の差した顔をして呟いた。


「……終ノ海だ」

「終ノ海って、美しき日々~断続存在~の原型になったあの作品ですか?」


「そうだ。俺はあれに感化されてこの業界に飛び込んだ。当時はどうせエロゲなんてって馬鹿にされてた。それが許せなかった。エロゲだって世界の見方を、人生の歩み方を、哲学を伝えられる。俺もそんな人の在り方を示すことができる哲学エロゲを書いてやるってな。けどな、業界十二年目にして悟ったよ。それはもう無理だって」

「哲学エロゲが無理? いや、そんなハズないでしょう!」


「エロソシャゲが正義かだったな。今答えてやる。ソシャゲは正義だ!」


「なッ! 先輩がそんなこと──それは本心ですか、先輩ッ!」


「本心だ。高度情報化社会の中、時間もなければ金もない、それが現代を生きる我々だ。フルプライスのエロゲなら一万の大金を払い、数十時間を費して漸くヒロインとの精神的、肉体的交流を疑似体験できる。対してエロソシャゲなら、開始一分即エッチ。どちらがよりコスパがいい? どちらがより現代社会の需要に応えている?」

「そ、それは……」


「この忙しない現代社会の中で前時代のエロゲに需要が生まれるか? ましてやエロス以外の哲学を得ようなどと思うか? 俺の書きたいものは、哲学エロゲは敷居が高くなりすぎた。多くの人の目に触れ、片手間に楽しめるスナック感覚が売りのソシャゲシナリオには内容がそぐわないし、尺が足りん。たとえウケたとしても一部のニッチに対してだけだ」


 先輩の言葉は、オレも全て理解していながら目を背けていた事実だった。


「じゃあジリ貧のエロソシャゲが正義なら、エロゲは生き残れないってんですかッ!」

「馬鹿野郎ッ! 話は最後まで聞けぇい! これを見ろぉッ!」


 そう言いながら先輩はスマホのアプリを起動する。


「……これが何か、わかるか?」

「何って、DGOでしょ。バカにしてるんですか?」


 それはソシャゲだった。

 それもオレたちオタクおじさんやサブカルお姉さまだけでなく、高校生やJCもプレイしている覇権ゲー。全国の新聞の一角を飾る程の国民的人気作品だ。


「元がエロゲだなんて話は手垢が付くほど語り尽くしたじゃないですか!」


 あまりに一般層に浸透しすぎたためにこの作品が元々doom/slay darkという二十年前のエロゲの派生作品だと知る人の方が、最早少数派ではないかと錯覚するほどだ。


「そうだ、じゃあこれは?」

「ブルースカイファンタジー」

「これは?」

「エンプレスリンク! Revive」


 先輩は次々と画面裏で起動中だったソシャゲのゲーム画面を見せつけてくる。


「何か気づくことは無いか?」


「先輩の生活は今ソシャゲに支配されている……」

「そうオレの生活は無数のソシャゲに追われて──って違う! そうじゃねえ!」


「じゃあ、どれもセルラン上位常連の代表的なソシャゲです」

「違う! 考えろ、オレがなぜ生活を犠牲にソシャゲをしている? オレたちの仕事は何だ?」


「オレたちの仕事──そうか! ソシャゲはエロゲだ! ヒロインのルートに進む代わりにガチャを回し、絆や好感度を上げて専用イベントを解放する。そしてゲームUIの背景と立ち絵、画面下部のテキストボックス、これらは全て伝統的なエロゲの画面構成です!」


「そうだ! 二十年前、エロゲはオタクのモノとして、一般大衆から忌避されていた。だが、今はどうだ? DGO、ブルースカイファンタジー、エンプレスリンク! Revive。電車の中で他人のソシャゲを見て現代人は不快感を覚えるか? 不埒だと思うか?」


「いや、最早思いません。現代においてエロゲは当たり前になったんだ! エロゲの文化は大衆に受け入れられ一般化された。ただエロという概念だけを捨て去って!」


 オレは楢久保先輩の言うソシャゲが正義を理解して、エロゲの未来を垣間見る。


「そう、形を変えてもエロゲは現代で生き続ける! そして、お前の言う通り、みんな幸せな日常を心のどこかで望んでる。それを見せつけてやれ。お前だけのお前にしか書けないエロゲを作れ。お前にその実力があることはこのオレが一番よく知ってる」

「──な、楢久保先生!」


「だが、間違えるな。仕事は仕事だ。お前には実績が足りない。だから、まずは与えられた仕事をこなせ。その裏でお前の書きたい物語を人生を削って書け。そして、完成したら持ってこい。そしたら、その熱意を俺が買ってやる。お前の物語を上にぶつけて掛け合ってやる! いいか? お前には可能性がある。それを忘れるな。今は臥薪嘗胆の時だ」


 意識せず、オレの頬を涙が伝う。

 毎日毎日、オレを怒鳴ることしかなかった楢久保蔵人。

 だが、心中では誰よりもオレのことを思ってくれていた。

 その事実が、期待が嬉しい。


「オレ頑張ります! 書いて、書いて、書いて、幸せな世界を作ってみせます!」

「おう。書かないと前には進まねぇぞ! けど、まあ今は飲めや。ほら、もう一杯」


 それからさらに二時間。

 オレは楢久保先生とエロゲ談義に明け暮れた。

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