神さまのほわほわ

@takenoko2

神さまのほわほわ

「何だ? これ」


 それは突然の出来事だった。

 僕の目の前に、たんぽぽの綿帽子のようなほわほわと漂う物体が出現したのだ。

 幻覚か目の錯覚だろうか。ゴシゴシと何度も目をこするが、消える気配はない。

 一体、何なのだろう。

 意を決して手を伸ばしてみるが、同時にそれはふよふよと頭上高く浮上してしまい、触れることは出来なかった。

 訳が分からなかった。

 でも、それ以上何かが起きることはなかった。

 数分後、ハッと我に返る。


「そうだ! 明日は数学のテストがあるんだった! きっと現実逃避から変な妄想見てるだけだ。早く勉強しないと」


 僕は自室の机に向かい直り、教科書をパラパラとめくる。

 数字と記号の羅列が目の前を踊り、いくら問題を読んでも解答の糸口すら見つからない。


「あー! 全然ダメだ!」


 思いきり伸びをしながら天を仰ぐ。

 そこにあの白いほわほわは見当たらなかった。

 やっぱり何かの見間違いだろう。

 勉強のし過ぎかもしれない。全然進んでないけど。


「明日のテストは諦めて、もう寝ようかな」


 そんなことをぼんやり呟いたその時だった。

 窓にコツンと何かがぶつかる音がした。

 虫かと思っておもむろに振り向くと、何と窓の外に、あの白いほわほわが漂っているではないか。

 ぞくりと背筋に悪寒が走る。

 だけど、好奇心を抑えられない僕は、ゆっくりと窓に近付き、恐る恐る開けるのだった。

 すると、外の窓枠に不自然にもUSBメモリが置かれていた。

 バッと頭上を見上げる僕。

 そこには物言わぬ白い物体が相変わらず浮遊していた。

 それをじっと見つめる。

 どうしてか全然分からない。

 分からないけれど、この白いほわほわが、このUSBをここに置いたとしか思えてならなかった。

 僕は震える手でそれをつまみ上げると、窓を閉め、机に戻った。そして、ノートパソコンを立ち上げる。

 震えるせいでUSBがカチカチとパソコンに当たって上手く差さらない。

 ようやく差し込むと、フォルダが立ち上がった。入っていたのはエクセルデータが一つ。データ名は数字の羅列だが、これは明日の日付だ。

 ゴクリと唾を飲み込む僕。

 激しい鼓動の勢いにまかせ、ついにエンターキーを叩いてデータを開く。


「これって……。まさか……」


 そこにあったのは、見たことのない数学の問題だった。

 もちろん、ただの問題ではない。

 試験範囲に該当する問題だったのだ。

 しかも、問題だけでなく、ご親切に解答まで記載されている。

 こんなの絶対偶然なんかではない。

 これは明日の試験問題だ。

 僕は一晩かけてそれを丸暗記するのだった。


***


「それじゃあ、この間のテストを返すぞー! 今回は平均点がとても低かった。先生、悲しいぞ! 確かに、難しい問題が多かったが、今まで習ったことをちょっと応用すれば解けたはずだぞ。だが、そんな中でも唯一、満点を取った生徒がいた。……田中!」

「はい!」


 僕は心臓がドキリとした。

 満点なのは分かってはいたが、こうも大々的に発表されるとは思っていなかった。

 先生が手招きしている。

 ゆっくりと席を立ち、おずおずと教壇へ向かう。

 しんと静まり返る教室。皆の視線が痛い。


「よくやった! 田中! この調子でがんばれ! 皆も分からないところは田中に聞いて、ちゃんと復習するんだぞ!」


 そう言いながら先生が僕の背中をバシバシ叩く。

 教壇から見下ろすクラスメイトたちはこんな感じだったのか。

 僕は不正をした罪悪感を覚えつつも、今まで味わったことのない優越感に薄ら笑いを浮かべるのだった。

 チャイムが鳴り、休み時間になると何人かのクラスメイトが僕の下へとやって来る。


「すげーな! あんな鬼畜な問題、よく全問解けたな!」

「き、君はどこの塾に通っているんだっけ? 今度の模試は受けるのかい?」

「田中って頭いいーんだね! 今度のテストの時、ウチらにベンキョー教えてよ!」


 こんなにチヤホヤされるのは生まれて初めてだった。

 ここはかっこよく、クールに対応しようと思っていても、体は正直なもので、どうしても顔がにやけてしまう。

 そこへ突如、群衆の雑音を一蹴するかのような麗しい美声が僕に掛けられる。


「あの、田中くん。ここの問5なんだけど、どうやって解いたか教えてもらえないかな?」


 それは憧れの青山さんだった。

 なめらかな髪をかき上げながら、答案用紙に落としていた視線を僕の方へ上目遣いに向けるその姿に、やられぬ男子はいないだろう。


「そ、その問題はね、ここに一本補助線を引いてから……」


 僕は丸暗記した解答を得意気に説明する。

 青山さんの方へ顔を近づけると、とてもいい匂いがした。


「あ、そっか。ありがとう、田中くん。また、分からないところあったら教えてね」


 そう言って僕に飛び切りの笑顔を見せる青山さん。

 つい見惚れてポーッとしてしまった。

 これもあの白いほわほわのおかげだ。

 あれは一体何だったのだろうか。

 まぁ、どうでもいいか。

 今日は気分良くぐっすり眠れそうだ。

 そうして、僕は放課後まで夢見心地でいるのだった。


 ――そう、放課後までは。


 帰りのホームルームが終わり、下駄箱で靴を履き替えていると、玄関口に寄り掛かりながら、ニヤニヤとこちらを見ながら笑う生徒が二人いた。


「おう、田中。今日は随分、機嫌が良さそうじゃのう」

「お前、数学のテストで満点だってな! 調子乗ってんじゃねぇぞ!」


 イワオとノリオだ。

 同級生とは思えないくらい老けた顔立ちに、今の時代にリーゼントなどという絶滅危惧種な髪型をビシッと決め、うちの制服はブレザーだというのになぜか極端に長さの違う学ランをそれぞれ着ている。

 一言で表すなら不良だ。紛うことなき不良そのもの。


「おう、面貸せや」


 そうして僕の幸福の時間は終わりを告げた。

 為す術なく、イワオにがっしと肩を組まれると、ずるずると引きずられながら、いつものように体育館裏へと連行されるのだった。


「そいや!」

「ぐえっ!」


 体育館裏に着くやいなや、僕は盛大に投げ飛ばされる。

 固い地面に打ち付けられた背中に激痛が走り、息が止まる。


「教室じゃ、いい気になってニヤニヤ笑いやがって! キモイんだよ!」

「ギャッ!」


 ノリオのつま先が僕のふとももに突き刺さる。

 僕はすぐさまうつ伏せになると、頭を抱えて縮こまった。

 それからは、毎度のように彼らの気の済むまでひたすら耐え続けるのだった。


「今日はこんなもんにしといたるわ」

「さっさと今日の授業料を寄越せや! コラ!」


 僕は手の甲で鼻血を拭いながら、財布から3千円取り出す。

 それをひったくるように取ったノリオが下卑た笑みを浮かべる。


「お前の根性叩き直してやっとるんじゃ。ありがたく思え」

「チクったら……分かってるよな?」


 そう言い捨てるとイワオとノリオは満足気に帰っていった。

 僕は制服に付いた土埃を払うと、覚束ない足取りで校門を出るのだった。

 夕焼けが目にしみる。

 やるせない気持ちに胸が締め付けられる。

 ギュッと制服の胸元を握り締めながら、僕は帰宅した。

 そして、逃げるように部屋へと飛び込んだ。

 その瞬間、眼前に現れたのは、あの白いほわほわだった。

 部屋の中央で浮遊しているその姿を見た時、少しだけ安堵を覚えた。

 それから不思議と自分一人ではないんだという、根拠のない自信が段々湧き上がってきた。

 おもむろに僕は白いほわほわに向かってボソリと呟く。


「こんなに痛めつけることないじゃないか……。あいつらだって痛い目を見ればいいんだ……」


 その時だった。

 一瞬、白いほわほわが頷いたように見えた。

 丸いほわほわの物体が頷くとは意味不明だが、そう感じたのだから仕方ない。

 それから、ほわほわが動くことはなかった。

 僕は何かを期待するように、何かにすがるように、布団へ潜るのだった。


***


 翌朝、起きた時にはほわほわは消えていた。

 身支度をし、登校するが、特に変わったことは起きなかった。

 だけど、それがやって来たのは放課後だった。


「この学校にイワオとノリオという奴はいるか!?」


 校門の前でそう高らかに叫ぶ男が一人、腕組みをして立っているではないか。

 その男はつばの割れた学帽をかぶり、上半身裸の上に学ランを着て、なぜか下駄を履いていた。


「何じゃおのれは! わしがイワオじゃ!」

「一人で殴り込みとはいい度胸じゃねぇか!」


 すると、上半身裸学ランの男が内ポケットから、しわくちゃになった紙を取り出す。


「俺は等々力! お前たちの果たし状通り、来てやった! 正々堂々、対決といこうじゃないか!」


 確かに、その紙には果たし状と書いてあるようだった。

 だが、それを見たイワオとノリオはポカンとしていた。

 ざわざわと次第に集まる生徒たち。

 こうなってはイワオとノリオも後に引けなかったようで、しどろもどろになりながら答えていた。


「お、おう。あんたが等々力か。噂は聞いてたからのう。いつか倒そうと思ってたんじゃ」

「よく分からねぇがノコノコやってきやがって! 返り討ちにしてやるぜ!」


 すると、等々力という男は不敵に笑うと、拳を突き出しこう言い放つ。


「面倒だ。まとめてかかってこい!」


 それに激怒したイワオとノリオが同時に殴りかかる。

 だけど、頭に血が上った二人のパンチを悠々とかわした等々力が、強烈なカウンターを二人に浴びせる。

 この等々力という男、強過ぎる。後はもうワンサイドゲームだった。2対1とは思えないくらい、鮮やかな対決だ。

 まるでプロボクサーと子供。

 しかし、イワオとノリオもこれだけの観客がいる以上、逃げる訳にはいかない。

 殴られては起き、起きては殴られ。散々ボコボコにされた挙げ句、ついに二人は地面に突っ伏したまま動かなくなってしまった。


「完全勝利!」


 そう言い残すと、等々力は肩で風を切り去っていった。

 僕はもう笑いが止まらなかった。

 ざまぁみろ。

 僕にしてきた仕打ちを受けるのはどんな気分だ。

 それにしても馬鹿な二人だ。

 あんなに強い人に果たし状を送るなんて。

 ……いや、本当に二人が送ったのか?

 もしかして、ほわほわが僕の願いを叶えるために?

 確かに僕は二人が痛い目を見るよう願った。

 そして、それはたった今、目の前で実現した。

 胸がドクンと高鳴る。

 そうだ。

 きっとそうだ。

 ほわほわは神さまなんだ。

 これまで不運だった僕を憐れんで、神さまが願いを叶えてくれたんだ。

 そうに違いない。

 その瞬間、僕の中で何かが弾けた。

 解放感。

 神さまがいる限り僕は全てが赦される。

 僕は無敵だ。


***


 それから数日が経った。

 僕の足取りは軽やかなものだ。

 辛いことはあったけど、その分、ちゃんと報われるのだ。

 人生とはなんて簡単なものだろう。

 僕は自信に満ち溢れていた。

 そして、そんな僕を見て、周囲の人間も態度が変わっていくのが分かった。


「あ、田中! この前、面白いマンガ見つけたから貸そうか?」

「ねー、田中ー! 今度、ガッコー終わったらユキたちと一緒にカラオケ行こうよー!」


 全てが僕を中心に回っている。

 ついに僕の時代が来たのだ。

 そんな日々が永遠に続くかと思われた時だった。

 とある放課後、たまたま一人で下校することとなったその日、下駄箱で靴を履き替えると、玄関口にあの二人が立っていたのだ。

 イワオとノリオ。

 見るからに痛々しく包帯やギプスを至るところに巻いていた彼らだったが、その目は怒りで真っ赤に燃えていた。


「……面、貸せや」


 僕は無言で着いて行く。

 いつもの体育館裏に着くと、僕は彼らに言った。


「それで? 一体何の用?」

「何の用じゃと?」


 腹の底まで響くような低い唸り声を出すイワオ。

 続けてノリオが発狂したかのような甲高い声で叫ぶ。


「ふざけんじゃねぇ! てめぇが等々力にあんなナメた果たし状なんか送りつけたんだろうが!」


 馬鹿そうな割には頭が回るようだ。

 でも、僕は至って冷静に答える。


「証拠はどこにあるの? 自分がケンカに負けたからって八つ当たりしないでよ」


 その瞬間、ノリオの松葉杖が僕の肩の辺りに振り下ろされる。


「いった!!」

「てめぇ以外、誰がそんなことするんだ!」

「そ、そんなの自分の胸に聞いてみればいいじゃないか。自分たちが皆から好かれてるとでも思ってるの?」


 すると、イワオが鼻息を荒くしながら、ずいと僕の前に立つ。


「そんなことはどうでもええ。お前がやったに決まってるんじゃ。その腐った根性、叩き直しちゃる!」


 もう無茶苦茶だった。

 イワオのデカい拳が顔面に突き刺さる。

 ハンマーでぶん殴られたような衝撃に、声も出なかった。

 そのまま地面に転がると、今度はノリオの松葉杖でめった打ちにされる。

 また、うつ伏せで身を縮こませたのだが、そこから記憶がなくなっていた。

 気が付くと、もう周りは真っ暗だった。

 全身が痛い。

 何とか立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。

 だけど、歩く度に激痛が全身を駆け巡る。

 何でだ?

 何でこんなことが出来るんだ?

 あいつらも散々痛い目に会ったじゃないか。

 あんな包帯までして、ボコボコにやられたじゃないか。

 なのに、何でまた同じことを人に出来るんだ。

 理解出来なかった。

 ……いや、もうする理解する必要はないのかもしれない。

 あれは人間ではない。

 ゴミだ。

 社会に迷惑を掛けるだけの不必要なゴミでしかない。

 だったらどうする?

 決まってる。

 ゴミは処分だ。

 僕はにやりと不気味に笑う。

 痛みなど感じている暇はない。

 僕は急いで家に帰るやいなや、自室へと飛び込む。

 すると、真っ暗な部屋の中、ぼんやりと青白く光るほわほわが、待ってましたといわんばかりに浮遊しているように見えた。

 僕は電気も点けぬまま、ほわほわの前で正座をし、ゆっくり頭を垂れる。


「……ほわほわさま。僕の神さま。どうか願いを聞き入れてください。あいつらはどうしようもない社会のゴミです。あんな奴らはいない方がみんな幸せなんだ。どうか天罰を与えてください」


 しばらくして、僕はゆっくり顔を上げる。

 するとそこに、ほわほわの姿はなかった。

 だけど、僕には分かる。

 神さまは願いを聞き入れてくれたんだと。

 それから僕は泥のように眠った。


***


 翌朝、いつものように登校すると、下駄箱に黒い封筒が入っていた。

 僕は目を見開き、それをさっとカバンにしまうと、周りに人がいないかキョロキョロと見回しながらトイレに駆け込んだ。

 個室の扉を閉めると、落ち着かせるように深く息を吐き、カバンに入れた黒い封筒を取り出す。

 宛名も差出人もない封筒。

 ほわほわからのメッセージであることは間違いない。

 ラブレターにしては味気ないし、あのゴミたちがこんな手の込んだことをするとは思えない。

 僕はゆっくりと封を開ける。

 鼓動の音が個室に響いてるのではと思うくらい激しかった。

 そして、ついに中身を取り出すと、そこに入っていたのは三つ折りの紙が1枚入っているだけだった。


「これは、地図?」


 その紙に書かれていたのはこの町の地図のようだ。最寄り駅や僕の通う学校が描かれている。

 そして、その地図の中央の箇所に赤い丸印がされ、23時55分と書き記されていた。

 一体、ここに何があるのだろうか。

 そして、この時刻。

 この時間、この場所に、あのゴミたちがやって来て、何か起こるのか?

 訳の分からぬまま、とにかく学校が終わったら下見に行ってみよう。

 そうして、いつものことだがぼんやりと授業を受け、放課後となった。

 僕はそそくさと下校すると、地図を頼りに丸印の場所へと向かう。


「たぶん、この辺のはずだけど……」


 古い家が立ち並ぶ住宅街の中、一際古ぼけた家が目の前にあった。

 その家は解体が始まっているのか、敷地は簡易的なフェンスで囲われ、広い庭に小型の重機が一台置かれていた。

 僕は辺りを見回し、人がいないことを確認すると、フェンスをさっとくぐり抜けた。

 まだ昼間だというのに薄暗い廃屋を目の前にすると、何だか背筋が寒くなる。

 ここで何が起こるのだろうか。

 僕はそろりそろりと奥へと入っていく。

 すると、庭の奥にはバキュームカーが停まっていた。


「古い家だから、まだ汲み取り式なのかな」


 そんなことを思いながらそのバキュームカーを見ていると、あることに気付く。


「……何か、貼ってある?」


 それは矢印だった。

 元々、貼ってあるものか?

 いやでも、妙に新しいそれは不自然に浮いて見える。

 と言うことは、これはきっと僕に向けたものに違いない。

 その矢印を追って、バキュームカーをぐるりと見る。

 そうすると、いくつか矢印が続き、ついにそれは操作レバーの場所を指して終わった。

 そして、その操作レバーに一枚の紙が挟まっていた。


「ええと、操作方法……? 逆圧済? ……良く分からないけど、そういうことか」


 僕はにやりとほくそ笑む。

 そうかそうか。

 これは確かにゴミにふさわしい刑だ。

 奴らが来た後、これを操作し、夜に紛れてさっと逃げれば絶対にバレないはずだ。

 これはワクワクが止まらない。


「どこかで時間潰すか。お腹空いたらコンビニ行こう」



 そうして日は暮れていき、刻々と執行の時間は近付いて来る。

 辺りはもう真っ暗で、青白い街灯の光も、この廃屋の庭までは届かなかった。

 僕はバキュームカーの陰に身を潜め、高鳴る胸を抑えるのに必死だった。

 もうそろそろ時間のはずだ。

 そう思った直後、入口のフェンスの方から音がした。

 心臓が口から飛び出すくらいドキリとする。

 間違いない。

 これはイワオとノリオの声だ。


「約束の場所はここでええのか? 田中もわしらを呼び出すとはいい度胸じゃの」

「ああ。……それにしてもアイツが何で俺らの電話番号知ってるんだ?」

「なんじゃ? お前が教えたんじゃないのか? どうも変じゃのぅ……」


 僕も電話した覚えはないし、もちろんゴミたちの電話番号なんて知る訳がない。

 と言うことは、きっとその電話というのも、奴らをおびき出すため、ほわほわが仕組んだ嘘だ。

 でも、そうであれば、後で僕が執行人だったとバレるのではないか。

 いや、神さまがそんな片手落ちをするはずがない。

 ここまで来て、疑って止めるなんて有り得ない。

 信じるんだ、ほわほわを。

 僕はそっと操作レバーに手を伸ばす。

 足音がゆっくりとこちらへ近付いて来る。

 まだだ。もうちょっとこっち。

 急に時間がゆっくりになったかのように感じる。

 もうちょっと。

 あと一歩ずつ。

 そう、そこ。

 今だ。

 僕はグイとレバーをひねる。

 その瞬間、水分の弾ける激しい噴出音と共に、排泄物の鼻を突くあの臭いが一気に立ち込める。


「うおおおおお! なんじゃこりゃああ!」 

「ぎゃああああ!!」


 奴らの姿は良く見えないが、黒い影二つが降り注ぐ糞尿のシャワーの中で踊り狂っている。

 まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

 僕は堪らず笑い転げる。

 ざまぁ見ろ、ゴミども。

 正義の鉄槌は振り下ろされたのだ。

 そうしてクルクル回っていたイワオとノリオは、噴射物の勢いに押され、廃屋の壁へドンとへばり付く。

 いやぁ、最高のショーだった。

 そう思ってその場を去ろうとした瞬間だった。

 突然、廃屋がメキメキと音を立てた。

 その直後、壁が崩れ、奴らの頭上にあったベランダが重力に従い地面へと引き寄せられる。

 爆発でもしたかのような音が止むと、辺りはしんと静まり返っていた。

 奴らの声ももう聞こえない。

 僕は呆然とただ佇む他なかった。

 しばらくして、犬の吠える声やサイレンの音が遠くから響いてきた。

 僕は慌てて立ち上がると、無我夢中で夜の町を駆けた。


***


 あれから数日が経った。

 僕はクラスメイトに囲まれながら、いつも通り楽しい日々を過ごしていた。

 いや、いつもと違うのは、もう奴らに殴られることがなくなったことだ。

 イワオとノリオは不慮の事故で死んだということになっている。

 そして、あの日から僕の前にほわほわは現れることはなかった。

 僕の願いを叶えてくれた神さま。

 もしかしたら、またどこかで僕のような不運な者を救っているのかもしれない。


「じゃあなー! 田中! また明日!」

「うん! じゃあね!」


 綺麗な夕焼けだ。

 これが、幸せということか。

 そうして僕は帰路につくのだった。

 と、その時。


「キミ、田中君だね?」


 夕陽を背に黒いシルエットの男が突然、声を掛けてきた。

 嫌な、予感がする。

 僕は訝しげに頷く。


「私、こういう者で」


 生で見るのは初めてだった。

 映画やドラマで何度も見たそれは、本物の警察手帳だった。


「亡くなった、君の同級生のイワオ君とノリオ君のことで聞きたいことがあるんだけどいいかい?」


 そう優しい口調で話しかける刑事さんだったが、その眼光は有無を言わさぬ迫力だった。

 僕は再び頷くしかなかった。

 バクバクと早鐘を打つ鼓動が、刑事さんにバレないかと考えると、さらに早くなっていく。


「君は彼らにイジメられていたと聞いたけど本当かい?」

「……ええ。……それが何か? 二人は事故死だと聞いてますが」

「まぁ、そうなんだがね。ただ、あんなところで何をしていたのか、どうして家の下敷きになったのか、事実を調べるのが私の仕事でね。ところで、あの晩、君はどこにいたか教えてくれないかい?」


 ドクンと胸が張り裂けそうになる。


「……さぁ。覚えていません」

「そうかい。そう頻繁に夜遊びするようなタイプに見えないから覚えているかと思ったが。あの日、真夜中頃、現場近くのコンビニから出てそっちへ向かう君の姿が防犯カメラに映っていたよ」

「……そ、そうですか。コンビニくらいふらっと行きますから、いちいち覚えてませんでした」

「ふーん。そうかい? あの日、近所の人たちに聞き込むと、凄い音や異臭がして大騒ぎになっていたようだけど、それも覚えていないかい?」


 僕は黙って頷き、じっと地面を見続ける。

 刑事さんの影が長く伸びていく。


「……そうかい。まぁ、またいずれ話を聞かせてもらうから。今日はこれで」


 決め手に足りなかったのか、僕のその反応に満足したのか、刑事さんはあっさりと引き下がっていった。

 僕はこのまま膝から崩れ落ちたかった。

 だけど、そんなことをしては自ら認めているようなものだ。

 大丈夫。絶対に僕がやったなんて分かりっこない。

 なんたって神さまの思し召しなのだから。


***


 翌日、僕は大きなくまを目の下に作り、ギョロギョロと教室を見回していた。

 昨日は全然眠れなかった。

 まさか刑事がやって来るなんて。

 一人になり、考えれば考える程、不安が募っていく。

 もし、あの晩、誰かに見られていたら。

 僕は気が気でなかった。

 そして、一刻も早く学校から出て、家に帰りたかった。

 神さまのほわほわを探すためだ。

 この状況を改善するには、もう神さまにお願いするしかない。

 お願いします、神さま。

 もう一度だけ助けてください。

 それだけを必死に考え、一時間目、二時間目と授業の時間が過ぎていく。

 そして、ようやく帰りのホームルームの時間となった。先生が何やら喋っているが、何も入ってこない。

 早く。早く、神さまのほわほわを探しに行かないと。

 今か今かと待ち続け、ついに下校の挨拶がされる。

 と思った時だった。


「ん? どうした、青山?」


 何事かと思い振り返ると、あの憧れの青山さんが恐る恐る手を挙げていた。

 こんな時に何だというのだろう。

 僕は少し青山さんにイラついてしまった。

 すると一瞬、青山さんがちらりと僕を見たではないか。

 色んな意味でドキッとする。

 だけど、その後の彼女の発言に、僕の心臓は本当に止まってしまったようだった。


「……あの、半年前に私の体操着が盗まれたことがあったと思うのですが、私、どうしてもその犯人が許せなくて……。今でも犯人を知りたいと思っていたら、昨日、突然、差出人が文字化けしている変なメールが届いて……。それで、メールを開くと本文には、『この写真をネタにイワオとノリオは強請りをしていた』という文章と一緒に画像が添付されていて。……その画像には……私の体操着をカバンにしまっているところが写っていたんです、カバンにしまう田中さんの姿がハッキリと」


 ざわつく教室。

 そして、青山さんは涙ながらに僕へトドメを刺すのだった。


「信じてもらえないかもしれませんが本当なんです。お願いしたんです。犯人を突き止めて、必ず罰を与えてくださいって。私だけに見えるあの、神さまのほわほわに……」


***


 涙を浮かべる少女の顔がプツンとブラックアウトした。

 直後、仮面を付けた男のアバターがマイク片手に画面へ登場する。


「さぁいかがだったでしょうか! シーズン1で見事、復讐を果たした田中少年。いやぁ、皆様のギフト、スパチャ、投げ銭によるシナリオ選択の結果とはいえ、あのバキュームカーのシーンは目を塞ぎたくなりました。でも、最高に痛快でしたね! さて、続け様にシーズン2も始まりましたが、シーズン2の主役、青山嬢の復讐の相手は、何とシーズン1で大活躍のあの田中少年だった! さぁ、これからどんな展開になるのか! それは皆様のお気持ち次第! それでは、送金お待ちしております!!」

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