第9話 青龍ノ影
戦闘が始まりグラグラと揺れる船上で、冬嗣が朱の傍に膝をついた。そっと朱の腕に触れ、心配そうに顔を歪ませる。
「朱、大丈夫か?」
「ああ。ありがとう、冬嗣。でも俺より……」
朱は顔を上げ、船の先頭部に目をやった。そこでは今まさに、激しい戦闘が繰り広げられている。
「大丈夫だよ、春霞なら」
「明虎」
狭い船内で、三人は身を寄せ合う。
明虎は年下の二人を庇うように朝也たちに目を光らせながら、ふっと微笑んだ。そこには確かに、春霞を信頼する光がある。
「あいつは、やる時はやるやつだからね」
――キンッキンッ……キンッ
春霞は槍を振り回しつつ、朝也との距離を測っていた。あまり遠過ぎればやり合うことは出来ず、近付き過ぎれば相手にむざむざと隙を見せることになりかねない。
(くそっ、面倒臭い)
鉄の櫂という珍妙なものの相手をしながら、突如襲って来る黒い青龍の追撃をも躱さなくてはならない。普段の自分ならば絶対に首を突っ込むことはしない事象に自ら首を突っ込んだ春霞は、自分が自分ではないような感覚に陥っていた。
「――くそがっ」
「そんな粗削りで、俺に勝てるとでも思ってるのか?」
余裕の笑みを浮かべ、朝也は一気に間合いを詰めた。櫂の平たい水を掻く部分が突然目の前に飛んで来て、春霞はそれを躱そうとする。
「――いっ」
しかし跳んだ先に影が潜み、その牙を春霞の横腹に突き立てた。
じわじわと広がる痛みと赤い血痕が、この戦闘が悪い夢ではないのだと思い起こさせる。春霞は舌打ちし、憂さ晴らしのように槍の先についた血を振るい落とした。
「春霞!」
「明虎、お前はそいつらを頼む」
幼馴染を一瞥し、それを最後に春霞はもう振り返らない。
槍を構え直し、朝也から視線を外さない。そして向こうが突進して来た直後、槍の柄を使って櫂を弾いた。
「ちっ」
「これくらいで、オレがくたばると思うなよ!」
櫂が朝也の手から滑り落ちる。その隙を突き、春霞は槍を朝也の腹に突き刺そうとした。まさにその時、影が咆哮する。
『―――っ』
青龍の影は長く大きな体をくねらせ、体の均衡を崩した朝也を支えた。そしてそのまま尾を翻し、槍を弾き飛ばす。
「なっ」
「形勢逆転ってやつ?」
カランッと音をたてて、槍が春霞の手から抜け落ちた。弾かれたそれを掴むことが出来なかったわけだが、一瞬でも武器を手放すことが意味するのは死だ。
春霞は急いで手を伸ばすが、その上から影の尾が落ちて来る。
「――ッ、ぐあっ!?」
「そう簡単に掴ませると思ってんのか?」
甘いな。そう言いつつ、朝也は影の尾に潰されてもがく春霞の横を通り抜けて行く。
春霞が幾ら「待て」と叫ぼうとしても、背中から体全部を圧迫され、声を出すことも出来ない。
激しい戦闘が落ち着きを見せた今、船の上で響くのは勝利を確信した朝也の足音だけだ。彼の視線の先には、明虎たち三人の姿がある。
明虎は戦闘経験者だが、朱と冬嗣は違う。朱は腰の刀に手を置いているが、冬嗣は
怯えて明虎にしがみついている。
(オレが、何とかしないと……)
血が回らないためか、手足が痺れて来た。このままでは、息根も止められかねない。
春霞は生きて来て初めて、心から神に願った。――仲間を助けたい。力を貸してくれ、と。
――
「え……。うわっ!?」
何処からともなく聞こえて来た声に、春霞はハッと我に返る。そして、自分の体が青く輝いているのを見て声を上げた。
光は春霞を包み、徐々に影の尾を押し上げて行く。影も驚いたのか、尾で押さえ付けようと必死に体をくねらせる。しかし、光は力関係を一変させた。
体が自由になり、立ち上がる春霞。両手を見詰め、戸惑いを口にする。
「何だ、この力」
「貴様、何をした!?」
異変に振り返った朝也が、その手にある櫂を振りかぶる。
春霞は今まさに振り下ろされようとしている櫂が、いつもより遅く感じた。そのためそれに合わせて槍を振り、櫂を初めて弾き飛ばすことに成功する。
「何故っ」
「知るか!」
「――っ、『青龍』!」
止めを刺そうと春霞が槍を振り下ろした瞬間、朝也と春霞の間に影が割り込む。そしてその体で槍を弾くと、朝也を背に乗せた。
ふわりと浮き上がり、影は威嚇の声を上げる。その背に立ち、朝也は四人を睨み据えた。
「オノゴロ島に来い。そこで、決着を付けよう」
「あ、待て! 逃げんな!」
春霞が叫べど、影が戻る気配はない。盛大に舌打ちをし、春霞はくるりと朱たちの方を振り返った。
その瞬間、青く光っていた春霞の体は光を失う。
「大丈夫か、お前ら?」
「私たちは平気だけど……。春霞、さっきのは……?」
「オレにもわからない。だけど――」
穏やかな波間に揺れる船の上で、春霞は明虎の顔を見た。その表情は、いつもよりも少し真剣な面差しだ。
「……青龍が、助けてくれた気がする」
「青龍って、四神の」
「そうだ」
春霞は頷き、掴んでいる槍を見詰めた。古びていたはずのそれは、磨くことで使える武器にはなった。しかし今、何処か神々しさを帯びている。
「仔細はわからない。だけど、行くべきなんだろうな」
春霞が見据えるのは、朝也が青龍の影と共に去って行った方角だ。確かにその方向に、大きな島の影が見える。
「……あれが、オノゴロ島」
朱は呟き、無意識に腰の刀に触れた。
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