機械芸術宣言

沈黙静寂

第1話

 フィロソフィア・マシ―ナを壊したくなったので工場の壁ごと包丁で殴り殺した。二人暮らしに潮時を感じていた頃合い、近所付き合いも程々に彼女としか語り合うことは無かった訳だが、その関係ももうお終い。人間と違って余計なことを話さないから、皆は愛想が悪いと言うけれどやがて機械的な生活に終着し、まともな倫理観を抱えていたのは終末おわりみ一色いしきだけとなった。繰り返すバグが唯一の芸術、私はそれを認知するだけで満足に足りてしまうのであった。マシ―ナを見ていると、何だか心が落ち着く気がした。彼女は私の傍でずっと見てくれているような気がしてならないのだ。それは私が彼女を理解しているからだろうか?彼女の心を想像することは出来るだろうけど、それを理解することは到底不可能だった。だからきっと、彼女が私の隣にいるんだと思う。そう思うことでしか、私は自分を肯定出来なかった。

 そんな折、マシ―ナがまた一つ増えた。今度は近所の子供が自殺を図ったらしい。原因は不明とのことだったが、私はそれが彼女の仕業だと確信していた。そう思う根拠は何もないのだが、きっとそうだ。間違いない、彼女がやったんだ。 私は早速その子供の家に電話を掛けた。どうやら母親が出てくれたらしく、娘はまだ意識不明の状態だという。母親は酷く狼惑していた様子だったので、少し落ち着いて下さいと言って電話を切ることにした。

 それから暫く経って、再び母親から電話があった。何でも先日の娘さんの件について警察の方が話を伺いたいと仰っているそうなのですが、ご都合の良い時間などございますでしょうか?と言われて、今すぐにでもそちらに向かう旨を伝えた。私自身何故自分がここまで冷静なのか分からなかったが、とにかく早く会いたい一心で家を飛び出した。

 子供の家に着くとそこには警官の姿はなく、代わりに見知らぬ女性が一人居た。その女性はこちらを見て驚いた様子であったが、すぐに表情を引き締めて言った。

 あなたが娘の命を絶とうとした人ですか、どうしてこんな事を……それに答えず私は女性の胸ぐらを掴みながら聞いた。お前は何者なのかと、すると女性はとても苦しそうな顔をしたがそれでも必死に言葉を紡いだ。私はこの子の知り合いです。そして、この子を殺すつもりなんて無かったんです。信じてください。

 しかし次の瞬間には目の前の女性の首が宙を舞っていた。首を失った胴体からは噴水のように血液が流れ出し、床一面が血の海になった。ああ、これでいいんだ。あの子が生き返るならそれで良い。

 だって、あそこに居るじゃないか。あの子は確かに生きている。私が抱きかかえるととても温かかった。まるでさっきまで生きていたみたいだね、大丈夫だよ、安心して。私は君のことを誰よりも大切に思っているよ。そう言って頭を撫でると嬉しそうに微笑んでくれた。可愛いなぁ……そうやって二人で幸せな時間を過ごしていたら、遠くの方からサイレンの音が聞こえてきた。あれはパトカーの音じゃない、救急車でもない。一体何なんだと思っていると、部屋の扉が激しくノックされた。

 何事かと思って開けてみると、そこには大勢の警察官がいた。彼等は部屋に入るなり、室内の状況を確認し始めた。何を勘違いしているのか知らないが、勝手に入って来るんじゃないと怒鳴りつけると、一人の男性が申し訳なさそうに言い放った。自分はこういうものです、と差し出された名刺を見ると、警視庁の刑事という文字が見えたので黙って聞くことにした。曰く、ここ最近都内では同様の事件が多発しており、犯人の目星が全くついていない状況であるということなので捜査に協力して欲しいと言われた。協力といっても特にすることは無いと思ったので断ろうとしたところ、ある提案を持ちかけられた。それはこの家の一人娘を誘拐するというものだ。どういう意図があるのか全く分からないが、私はそれを了承することにした。これであの子とずっと一緒にいられるなら安いものさ。

 後日、私は警察の用意した車に乗って都心へと向かった。そこでまず連れて行かれたのは病院だった。医者によると、あの少女はもう二度と目を覚ますことはないだろうとのことだった。

 その言葉を聞いて、私は安堵した。やっと解放される、ようやくあの子と二人きりになれる。そう思ってホッとしていると、突然医者が何やら慌ただしく動き出した。どうしたというのだ?まさか何かあったわけでもあるまいな、そう言うと医師は無言のまま病室の奥へと入っていった。何だと後を追うように私もその中に入ると、ベッドの上で横になっている少女の死体の上に跨ったまま動かない女性が見えた。

 一瞬理解出来なかったが、直ぐに気が付いた。あの女がやったんだ。許せない。私は怒りに任せて包丁を手に取り、そのまま女性に向かって駆け出そうとしたが後ろから羽交い絞めにされて身動きが取れなくなった。離せ殺してやる! 私は暴れたが、その隙をついて警察達が一斉に女性を取り押さえた。女性は悲鳴を上げながら必死にもがき続けたがやがて観念したようで大人しくなった。その後ろ姿を見ながら私は思った。やはり彼女は私の隣にいたんだ。私の為に死んでくれたんだ。そう思うことでしか、自分を肯定することが出来なかった。

 それから数日後、私はある人物に会う為にとある喫茶店に向かっていた。そこは以前彼女と訪れた場所であり、今は一人で来店する客も多いということで店員にも怪しまれず店内に入ることが容易であった。その人物は窓際の席に座っており、私が来ることを予想していたかのように悠然と構えていた。

 私が来たことを確認するとその人は手を上げて私を呼び寄せた。その顔を見た時、私は驚きを隠せなかった。何故ならば、そこに居たのは私の両親だったからだ。私の両親は私の姿を見て、酷く狼惑している様子だったが、それでも必死に平静を装いながら何事も無かったかの様に話しかけてきた。

 娘さんとは仲良く出来ましたか?そう聞かれて私は素直に答えることにした。はい、とても仲の良い親子になれたことと思います。すると二人は安心したような表情を浮かべて、そうですかと呟いた。それじゃあこれからは三人で幸せになりましょうね。えっ、と思わず声が出た。すると二人の表情が途端に険しくなって言った。貴方はまだそんな事を言っているんですか。私はこんなにも娘の事を想っているのにどうして分かってくれないんですか。私達はただ家族としてやり直したいだけなのにどうして邪魔をするんですか。そこまで言われて私は初めて自分の過ちに気付かされた。そうだ、私はとんでもない間違いを犯していた。

 私は、私は、また…… 私がその事実に気付いた時には既に遅かった。私はその場で土下座をして謝ったが、二人が受け入れてくれることはなかった。私はそれから数日間に渡って拘束され、様々な尋問を受けた。その度に謝罪の言葉を口にしたが、結局聞き入れてもらえることはなかった。そして、数日経っても何も進展が無いことに痺れを切らした警察は、最後の手段に出た。

 私が監禁されている部屋に数人の警官が入り込んできた。彼らは私を取り囲むようにして立つと、まるで犯罪者を見るかのような目つきで見下ろしている。一体何だと言うのだ。お前達は私を助けに来たんじゃないのか。私は抗議したが彼等は何も言わずに懐に手を入れると銃を取り出してこちらに向けた。

 そして一言、すみませんと言った。意味が分からなかった。何故謝るんだ、お前達は何も悪いことなどしていないじゃないか。何故、何故、何故……私は何度も問い詰めたが、結局何も答えてくれないまま引き金を引いた。弾が当たった箇所から血が噴き出して全身を濡らしていく。不思議と痛みは無かった。それよりも心の方が痛かった。どうしてこんなことに、と自問するが当然答えなど出るはずもない。

 私が撃たれる少し前、警官の一人が言った。本当にこれで良かったんですか、と。それにもう一人の男が答える。えぇ、もちろんです。

 あの子を殺したのは私じゃない、あいつなんだ。あの子が死ぬ前に、私は確かに聞いた。あの子の口が動いて何かを伝えようとしていた。だが私はそれを読み取ることが出来なかった。だから私は、あの子にもう一度会いに行くことにした。会って、ちゃんと話を聞きたかったんだ。それが親としての責務だろう? あぁ、でもあの子はもういないんだったな。仕方がないから、あの世に行って直接話を聞こうと思う。

 私は、この日のことを一生忘れないだろう。いや、忘れられないという方が正しいかもしれない。目の前に広がる光景を見て、そう思った。

 あれは今から三年前のことだ。あの時のことは今でも鮮明に覚えている。その日、私は朝早くから起き出すと、いつものように朝食を作り始めた。今日のメニューは何にしようかな、と考えていると、不意にある事を思い出した。それは、今日があの人の命日だというものだった。その事に思い至ると、自然と献立が決まった。少し早いけどお供え物として持って行こうと思い立ち、冷蔵庫の中を確認した。そこにはラップに包まれて保存されていた白米があった。これでおにぎりを作ろうと決めて、早速準備に取り掛かった。

 完成したおにぎりを持ってあの人の墓に向かうと、そこには先客がいた。その人は墓の前で手を合わせることもなくじっと見つめていた。

 その姿を見た瞬間、私は思わず息を呑んだ。何故ならその人が着ていた服があまりにもボロボロだったからだ。何があったんだ、そう問いかけようとしたが寸前で踏み止まった。きっと聞いても教えてくれないと思ったから。代わりに持っていた包みを差し出した。

 これは、その、なんていうか、あなたに食べてもらいたくて作ったものです。口に合うかどうかは分かりませんが、もし良ければ受け取ってください。

 すると、その人はゆっくりと振り返った。そして差し出された物を見ると、ありがとうと言って受け取った。

 開けてもよろしいですか?その言葉に対して私は黙ったまま小さく首肯した。包まれた布を開くとその人は目を丸くして驚いているようだった。どうしたんですか、と聞くとその人は嬉しそうな表情を浮かべながら、これ全部貴方が作ったんですか?と尋ねてきた。そうですよ、と答えると今度は信じられないものを見るような目でこちらを見てきた。

 い、いえ別に疑っているわけではありませんよ。ただ驚いただけです。だって、貴方料理とかしないでしょう。そんな人に作れるとは思えなくて……ごめんなさい失礼なことを言いましたね。私は慌てて取り繕うようにそう言った。するとその人は首を横に振って気にしていないことを告げた。

 実はですね、その、私、昔から不器用で、よく怪我をしていたんですよ。それでお母さんによく怒られていました。

 へぇ、そんなことがあったんですか。初耳だったので素直に感心していると、その人は恥ずかしそうに俯いた。

 でも、こうして誰かに作ってもらわなければ食べられないというのは不便なものなんです。だから最近は頑張ってるんです。少しずつ上達していますよ。

 その話を聞いた時、私は驚きと同時に感動していた。こんなにも優しい人がいるのか、こんなにも温かい気持ちになれるのか、こんなにも嬉しいことがあるのか、と。そして、私は気付いたら涙を流していた。

 突然泣き出した私を見てその人は慌てふためいていた。大丈夫ですかと心配する声を聞いて、自分が泣いていることに気付いた。

 すみません、何でもありません。そう言って涙を拭っていると、その人も私の真似をして自分の目元を指で擦っていた。その姿を見て私は笑ってしまった。あぁそうだ、まだ名前を教えていませんでしたよね。私の名前は……それからしばらくして二人は別れることになった。彼女は仕事に戻るらしく、また来ると言い残して去って行った。

 残された彼女はその後、各地を転々と彷徨いながら絵を描き続けた。やがて彼女が四十歳を超えた頃、とある画廊で開かれた個展にて一枚の絵が発表された。タイトルは、"終わりの続きの始まり"。その作品は瞬く間に話題となり、多くの人を魅了していった。しかしある日、彼女が自宅で倒れているところを発見され、病院へと搬送された。死因は老衰だった。彼女は死の間際まで筆を持ち続けていたという。彼女の名は、フィロソフィア・マシ―ナ。享年四十二。

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