第27話「オークの願い」

リグリットの村より南方に広がる森林地帯は多種の亜人たちが生息する亜人の森。

オークの民が暮らす村は水田が広がり、かやぶき屋根の古い民家がぽつりぽつりと並ぶ集落。

静かに囲炉裏に向かい、黙々と藁を編む老オーク。

しわが刻まれた牙と、左の瞼に残る古い傷が彼の老練さをものがたる。

そこへ若いオークが駆け込んでくる。

「長(オサ)! 大変だ。人が来た」

「人が?」

静かに応える老オーク。

振り向きざまに見せる鋭い眼光は未だ衰えていない。



***

さっそく、杖をついたじいさんオークを中心に鍬や鎌といった農耕具を握りしめた若いオークたちが俺とイリスを出迎える。

イリスが恐い顔を向けるが、俺は手でそれを制する。

オークは、見た目に反して気が優しく争いを好まぬ種族と聞く。

「誠に人とは⋯⋯」

目を丸くするじいさんオークの顔を見るなり、俺は「もういいぞ」と両手を広げ、装備していたオッド、ライル、セレス姉さんを人間態に戻した。

「武器が人になった⁉︎」

若いオークたちが驚く。

「⁉︎ もしやアームズ族⋯⋯フェンリファルトにいるという希少種か」

じいさんオークは、動揺する若いオークたちをよそに落ち着いた態度で俺の顔をジッと見やる。

「所有者殿、そなた人ではないな」

「いかにもーーってやつか。俺はクライム。あんたたちに伝えたいことがあってやってきた」


***

「そうでしたか⋯⋯」

じいさんオークは、下を向いてグッと涙を堪える。

ひとりの若いオークは「兄者〜」と、血のついた防具の一部を抱きしめて涙を流す。

周りのオークたちもすすり泣いている。

俺たちはオークたちの長(オサ)であるじいさんオークの屋敷に通された。

俺は倒したオークたちが身に着けていた物を遺品として返して、ことの顛末を話した。

「よりにもよって、防人(さきもり)の民を襲うとはなんと愚かで無知な⋯⋯」


***

「このままじゃオークは滅びる!」

1ヶ月前、混乱するエルドルド支配地域の現状に、杞憂する血気盛んな10匹の若いオークたちは

じいさんオークの制止を振り切り村を出て行ったそうだ。

その中心となっていたのがじいさんオークの孫だった。

亜人の森はウェルスの王様との契約で、人間族は絶対不可侵となっていて亜人族は平穏に暮らしていた。

だが、フェンリファルト皇国軍の侵攻で事態は一変した。

長(オサ)の孫という期待もあったのだろう。戦火が亜人の森にまで及ぶと、危機感を強くして人間と戦うと主張するようになった。

ほどなくしてリザードマンをはじめとした他の亜人族が立ち上がったとの知らせが入り

オークもそれに続かなくてはと迅る若者たちの焦りに拍車をかけた。

そのあと、威勢良く村を飛び出したものの佐伯と出くわした挙句、操られ利用された光景が容易に想像がつく。


***

「クライム殿⋯⋯不遜な孫たちを連れて帰って来てくださりありがとうございます」

じいさんオークは、深く頭を下げた。

「我らはなんとお礼をすれば良いかと」

「だったら力を貸して欲しい」

「力? 我らオークのですか?」

「そうだ。この世界は元々亜人たちのものだったと聞く。俺はこれから人間を滅ぼすために戦う」

オークたちがざわつき出す。

「そのためにも亜人たちの力が必要だ。すぐに他の亜人たちにも声を掛けてほしい」

「クライム殿、あなた様はいったい⋯⋯」

「俺は魔王だ」

「魔王⁉︎」

「俺は亜人族を集めて魔王軍をつくる」

「しかしながら、我ら種族は⋯⋯」

「聞け、異世界から紋章を持つ人間たちがやってきた。

そいつらの中から新たな神が生まれようとしている。俺はその神を討伐する魔王だ」


***

俺とイリスは村の景色を眺めながら縁側でくつろいでいた。

亜人族が集まるまでの間、俺たちは旅の疲れをとるため、じいさんオークの屋敷で休ませてもらうことになった。

「クライム⋯⋯どうして魔王? “ディオール”は神様」

「なぁ、イリス。この村はのどかだろ?」

「⋯⋯うん」

「ここにいるとずっとこうして暮らしたくなる。平和だ」

「⋯⋯」と、イリスは無言のまま小さく頷く。

「だけど俺はここで平和に暮らしている奴らをこれから戦争に巻き込んで戦わせようとしている。だから俺は魔王でいい」

じいさんオークは沸き立つオークたちの中でひとり怪訝な表情を見せていたことを思い返す。

「神としての“ディオール”はルーリオとネルフェネスさんだけだ」

「クライム。あの女は絶対にクライムのことを分かっていない。クライムもあの女のこと分かっていない。だから絶対あの女はクライムの邪魔をしに現れる」

「それが月野木天音だ」


***

月野木天音は見上げるほど高いところにいる存在だった⋯⋯

文化祭初日に行われるクラス対抗球技大会、俺は校舎裏で携帯ゲームに勤しむ。

「ハルト君、B組の試合はじまるよ」

月野木天音が取り巻き女子2人を伴って声を掛けてきた。

「稲葉は俺が出ることを快く思っていない」

俺は稲葉や阿久津たちとバスケに出場することになっていた。

別に俺は運動が苦手というわけではないが、ノリが合わない稲葉たちとは普段から絡みが少なかった。

それでいきなりチームプレー求められても連携なんかうまく取れるはずもなく。

パスミスを重ねて、授業中の練習試合では一度も勝てたことが無かった。

「またかよッ!」

稲葉は俺にイラ立ちを露わにするようになった。

「稲葉君活躍できずにかわいそう」と、女子達の声も聞こえてくる。

大会が近づくにつれ、稲葉たちの俺に対するあたりは強くなる。

教室にいると「右条が邪魔だ」という声が平気で聞こえてくるようになっていた。

”B組優勝しようぜ”というクラスのノリにもついて行けていない。

そもそも俺は集団行動に消極的だ。

イベントがあると率先してクラスを盛り上げようとする奴が必ずいる。

そのひとりが月野木だった。

「月野木さん、右条をかまうのよそうよ」

「嫌そうな顔してるし」

「だってB組優勝はクラスみんなでがんばってしたいじゃん」

カースト上位の奴って、どうしてこう全員がベクトル合わせてがんばってなきゃ気が済まないんだ?

集団行動の2割はサボるというのを知らない月野木じゃないだろうに。

「行きましょう。鷲御門君が代わりに入ってくれるみたいだし」

「右条いたら優勝できないよ」

取り巻き女子2人が月野木を囃し立ながら背中を押してこの場を離れる。

「次はさやかちゃんだよ。ハルト君は試合がんばってね」

クラスのイベントにガチになって引っ張っていくやつのことがウザいと思っていた。

消極的な奴にはキレるし、泣くし、悩むし⋯⋯

だけど、月野木だとそれも悪くないと思えてしまった。そのときは⋯⋯

そして出場して盛大に負けてやった。


***

今じゃ、月野木はこの世界にやってきて俺と同じところにまで落ちて来てしまった。

「月野木さん必死すぎじゃない?」

「一緒にモンスター退治に連れてって言われたけど、何もできない月野木さん邪魔なだけだし」

「こっちは戦っているのに、いちいち守ってあげる余裕ないよね」

かつての取り巻き女子たちも影ではこんな会話をしていた。

それなのに月野木は相変わらず無闇に飛び込んで傷つこうとしている。

俺のいるところは月野木がいるべきところじゃない。

だから俺は⋯⋯


***

「相手にしないだけさ」

「クライムは私のことも分かってない⋯⋯」


“クライム殿⋯⋯”


じいさんオークの声がする。

庭先を見やると手に大きめのナタを握りしめたじいさんオークが立っている。

「来ると思っていたぜ。じいさん」

じいさんオークは一歩づつゆらりと俺たちの方へ歩み寄ってくる。

「あなた様が何者か存じぬが⋯⋯若者たちを無益な争いに加担させぬ」

2、3mは離れていたじいさんオークが瞬時に俺の鼻先に現れた。

寸前で受け止めたセレス姉さんの刀が火花を吹く。

オークが争いを好ないのは決して非力で臆病だからじゃない。

パワー、スピード、どれも人間を遥かに凌ぐ。

俺ですら徐々に押し負けてきている。

「我らオークは決して他種族の争いには関与しない。故に変わらぬ暮らしと平穏を希求する。

しかし、この村に危害が及ぶのなら話は別だ。全力を尽くしてお相手しよう。

先祖代々、神より与えられしこの地を守ることに我らは命を燃やしてきた!」

「神?」と、俺はニヤリとして、じいさんオークを弾き返して叫ぶ。

「ならば集え! 我が名はクライム・ディオール!」

快晴の空に金色の古代文字を刻む。

そして多くの亜人族が仰ぎ見るだろう。

「ディオール⋯⋯」

じいさんオークは涙を流して膝から崩れ堕ちた。

「これより人の支配よりこの世界を解放する! 集え亜人よ!魔王の下へと」

魔王クライム・ディオールの戦いはこの日からはじまった。


つづく

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