第6話

☆☆☆


放課後は雨がやんでいたのが少しだけ嬉しかった。



だけどやられることは昨日と同じ。



昨日と同じ体育館倉庫の裏で、私は突き飛ばされて制服を汚す。



キレイにしたばかりの真っ白な運動靴は水たまりにはまって早くも茶色く変色していた。



「お前が笑ってんじゃねぇよ!」



由希はそう言うと私の右頬に唾を吐きかけた。



夕里子は由希の隣でその様子をにやけた笑みを浮かべて見つめている。



真純はいつものように手鏡で自分の顔を確認しているが、どうしてここに来ているのか私には理解できなかった。



「笑ってないです」



私はか細い声で反論する。



いやたしかにあのとき私は頬を緩めていた。



でもそれは由希のテストを見たからじゃない。



自分のテスト結果が思ったよりもよかったからだ。



「お前私のことバカにしてんだろ! 勉強ができないと思ってんだろ!!」



由希は私の態度が気に入らなかったようで更に大きな声で罵倒しはじめた。



そのたびに唾が飛んできて顔をしかめる。



「そんなこと……ないです」



これは本心だった。



由希が勉強できるかどうかなんて私には関係なくて、ただ由希の唾がもっとキレイなものならいいのにと漠然と考えていた。



「嘘つけ!」



由希が怒鳴ると同時に拳を振り上げいた。



握りしめられている由希の手が私の頬を殴りつける。



目の前に火花が散って真っ白になった。



ついで痛みを感じ、そして視界に色が戻っってくる。



肩で呼吸をしている由希の姿が見えて、その隣で目を見開いて驚いている夕里子の姿が見えて、2人の後ろで手鏡から視線を外して私を見ている真純が見えた。



由希は親の仇とでも言わんばかりの鬼の形相で私を睨みつけていたし、真純は能面のように無表情だ。



私は殴られたことがショックでそれらを見てもなにかを感じ取ることができなかった。



痛いとか、憎いとか、そういった感情が襲ってくるのは随分と遅かった。



「なにしてんだ!」



裏返った悲鳴のような声が聞こえてきて3人が同時に振り向いた。



私は壊れたおもちゃみたいにゆっくりと声の方向へと視線を向ける。



そこにいたのは太一だった。



太一の顔は真っ青で、両手を体の前で握りしめてガクガク震えている。



「なんだよまたお前かよ」



夕里子が呆れたような声を出す。



そこまで来て、私はようやく殴られたのは初めてだと感じた。



「こ、今度は先生を呼んできたんだ! せ、先生! こっちです!」



太一がバレバレな演技をして先生を呼ぶふりをしている。



途端に3人は冷めた表情になり私と太一を置いて帰っていってしまった。



「大丈夫? せ、先生っていうのは嘘なんだ。へへっうまいもんだろ?」



3人が帰るまで待ってから太一が駆け寄ってきた。



「あ、立てる?」



手を差し伸べられても私は少しも動かなかった。



由希が私を殴ったとき、他の2人は止めに入らなかった。



それはイジメがエスカレートしたことを知らせる合図のようなものだ。



きっとこれからはイジメの中に暴力が加わることだろう。



そう思うと、途端に笑い声が漏れていた。



その声が自分のものだと判断するのに少し時間が必要だった。



太一が驚いて差し出した手を引っ込める。



それでも私は笑っていた。



終わりだ。



暴力が始まれば、もう私は終わったも同然だ。



あとは一気に転げ落ちていくだけ。



すべてあいつらの言うとおりに従うだけ。



「アハハハハハハハッ!」



どうやっても笑いは止まらずに涙まで出てきた。



いつまでも笑い続けている私を気味悪く思ったのか、太一は逃げ出してしまったのだった。


☆☆☆


アプリの存在を思い出したのは帰宅してからだった。



靴がべちょべちょに汚れて気になったけれど、それを洗うこともせずにすぐに自室へと駆け込んだ。



汚れた制服を脱ぎ捨てて乱暴に部屋着になってベッドに突っ伏す。



そしてこらからのことを考えて体を震わせていたときだ。



スマホが震えてダイレクトメールの存在を知らせたとき、そのアプリのアイコンが視界に入ったのだ。



私は頭まで布団を被り震えながらそのアプリを開いた。



追体験アプリ。



自分の経験したことを他人に経験させることのできるアプリ。



ゴクリと唾を飲み込んでもう1度説明に目を通す。



「今日の放課後、確か4時前くらい……」



気がつけばぶつぶつと呟きながらアプリ内についさっきの出来事を記入しはじめていた。



なんでもいい。



誰でもいいから今のこの気持ちを知ってほしかった。



それが得体のしれないアプリだったとしても、出来事で記入することで気持ちが落ち着いてくるのを感じる。



すべての記入し終えたとき、少しだけ気持ちが落ち着いていて私はようやくベッドから這い出した。



体の震えは止まっていて、部屋着を着てしまっていることにも気がついて苦笑した。



ベッドの上で部屋着を着直していると、まだすべての入力が終わっていないことを告げる通知が届いた。



もう1度、今度はさっきよりも冷静になってアプリを確認する。



私は今勢いで自分の身に起こったことを記入したが、本当は先に追体験をさせたい相手の名前を入力するようだ。



こんなのくだらない。



少し気分も良くなったし、消そうかな。



そう思ってカーソルを動かそうと思ったが、途中で思いとどまった。



もしここで相手の名前を入力したらどうなるんだろう?



今日自分の身に起こったことが、本当に相手にも起こるんだろうか?



そんなはずはないと思って含み笑いを浮かべる。



だけどその文面を消すことができなかった。



どうせなら少しだけ使ってみてもいいじゃない?



よくわからないアプリだけれど、どうせ本物じゃないに決まっている。



それなら遊び感覚で使ってみてもいいかもしれない。



「なにせ、憎い相手に復讐できるかもしれないんだもんね」



そうつぶやくと、よいやく恐怖心から憎しみへと感情がシフトされていくようだ。



そうだよ。



私はあいつら3人を憎んでいる。



どうして私がターゲットにならなきゃいけないのか、どうして我慢を続けないといけないのか。



考えれば考えるほど憎らしくなってきて、奥歯を噛み締めた。



「どうせなら、私にやったことを本人にも経験してもらおうかな」



私はそう呟いて、由希の名前を記入したのだった。

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