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西羽咲 花月

第1話

雨がふっていて、学校の体育館裏はジメジメと湿気が溜まって肌はベタベタとして心地悪い。



体育館内からは部活動に勤しむ生徒たちの声が聞こえてきていて、それは無駄に元気ではつらつとしていて、今の私を更に追い込む要因となっていた。



「きったね」



つい先程私をつきとばした赤沼由希がつばを吐きかけてきて、それは泥まみれになった私の頬に飛んできた。



生ぬるくて嫌な感覚が右頬にあたり、私はその勢いで由希を睨みつけた。



「なんだよその目」



由希は目の前にしゃがみこんで私の前髪を鷲掴みにした。



痛みがかけぬけて顔をしかめるが、由希のバカ力は緩まない。



由希がその状態のまま立ち上がったので、私も一緒にたちあがることになってしまった。



白いブラウスには雨でドロドロに溶けた土汚れがこびりついている。



「ほんと、目つき悪いよね」



そう言ったのは由希の仲間での角田夕里子だ。



夕里子はベリーショートの髪の毛を誇らしげに揺らして私に近づいてくる。



女性の命とも言われる髪の毛をこれほど短くカットし、それでもこれだけ余裕のある笑みを見せている夕里子は本当に自分に自身があるのだとわかった。



「その目が恐いんだって、真純がいつも言ってんじゃん」



夕里子にそう言われて、私は由希に前髪を掴まれたまま2人の後方に立っている大友真純へ視線を移動させた。



真純は2人のやっていることも私の現状もあまり興味がないようで、さっきからずっと手鏡で自分の顔を確認している。



雨の中そんなことをしても対してきれいにはならないだろうと内心思うが、もちろん私はなにも言わない。



「手を……離して」



私が言葉にしたことといえば、やっとそんな感じだった。



でも言ってみるもので、由希は素直に私の前髪を離してくれた。



と、同時に突き飛ばされてまた後方へと倒れ込んだ。



さっきよりも雨脚は強くなってきていて、倒れ込んだ場所には小さな水たまりができ始めていて、尻もちをつくと同時に泥が顔まで散ってしまった。



「ははっ。真っ黒じゃん」



由希と夕里子が声をあげて笑う。



後方に立っている真純は少しも表情を変えることなく上空を見上げ、透明傘を広げた。



それに右ならえするように由希と夕里子も傘を広げる。



私も傘は持っていたけれど、ここへ連れてこられてすぐに夕里子の折られてしまって使い物にならなかった。



雨脚は更に強くなり、大粒の雨が私の頬を濡らしていく。



「よかったね、これで少しは汚れが取れるんじゃない?」



夕里子の嫌味に私はうつむく。



なにかを言い返そうにも、もうなにも言うことはなかった。



ここで無駄に口を開けば帰る時間が遅くなるばかりだということも、私はすでに知っていた。



「ねぇ、もう帰ろうよ。暑いし、雨だし」



真純がようやく手鏡をかばんにしまってそう言った。



私は雨粒が滴っている前髪の隙間から真純の様子を伺った。



いつも真純が帰ろうといえばすべてが終わる。



「そうだね。今日はもう十分かな」



途端に由希の声がワントーン高くなって、真純にこびを売るような目つきを浮かべる。



「明日もちゃんと学校に来いよ」



夕里子がそう言って私のスカートとわざと踏んづけて歩き出す。



あぁ、今日はお母さんになんて言おうか。



学校に傘を忘れてそのまま帰っていたけれど、大きなトラックが水たまりをハネて泥だらけになってしまった。



こんなかんじで違和感はないだろうか。



3人は私に背を向けて、すでに私なんていないものかのように立ち去っていく。

それでも私はすぐには動けない。



あの3人がまた戻ってきてしまうかもしれないから、完全に姿が見えなくなるまでは立ち上がることすらできない。



体はまるで金縛りにあっているように硬直してしまい、眼球だけで3人の姿を確認している。



少しでも物音を立てれば3人が戻ってくる。



そんな得体のしれない恐怖の塊が私の体を地面へと押し付けてきているようだ。



そしてようやくそれからも開放される。



そう思ったときだった。



「や、やめろよ!!」



そんなか弱い声が聞こえてきて3人が足を止めた。



同時に私は聞き覚えのある声に目を見開く。



そんな、嘘でしょう。



もう終わったのにこんなタイミングで来るなんて。



自分の顔からサッと血の気が引いていく音が聞こえてきた。



すべてが終わった安堵感は消え去り、またたく間にさきほどまでの緊張感が戻ってきて背中に汗が流れていく。



「ギャハハハハハ!!」



由希の笑い声が聞こえてきて、それにつられるように他の2人も笑う。



さっきまでクールにきめていた真純さえも、今はお腹を抱えて笑っている。



3人の向こう側には1人の男子生徒の姿が見えていた。



ヒョロリと背が高くて細い手足。



黒縁眼鏡の奥の目は笑われてしまったことで行き場をなくしたように周囲を見回している。



「や、やめろよ」



声も震えてきていた。



恐いわけではないと思う。



ただ、3人の反応に戸惑っているのはわかった。



私はすぐに男から視線をそらして面を睨みつけた。



余計なことを、余計なことを、余計なことを!



今日はもう終わりだったのに。



3人共帰ってしまうところだったのに!



知らず知らず拳を握りしめていて、爪が手のひらに突き刺さっていた。



「聞いた有紗ぁ? よかったねぇ、太一が助けに来てくれたってよぉ!」



夕里子が大声で叫んだが、私は顔を挙げなかった。



3人の笑い声はいつまでも続いていたのだった。

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