幼年編12 -約束

 真夜中を過ぎる頃、雪は止み、風も止んで、静かな透き通る闇空に、月と満天の星たちが、輝いていた。

 その日は、満月だった。白く煌々と、照らす鏡のような光に、空は淡い紫に輝いて、白い雪の発するほのかな輝きは、青白く雪に反射して、村の小道を、夜とは思えないほど浮かび上がらせていた。

 静かだった。

 村の人々はみな眠ってしまい、目覚めている人々のたてる物音も、響いては来なかった。

 グウィディオンは暖炉の前に置かれたベッドに横たわっていた。スェウは、毛布にくるまって、その傍らに用意された椅子にうずくまっていた。

 「お前出会った夜も、ちょうど、こんなふうに丸い月が照らしていた」

グウィディオンは、目を閉じたまま言った。

 「何を聞きたい?」

 「父さんのこと。」

賢い目をした子供は、そう答えた。絹のような金の髪は、いちども刃物を入れられないまま、まるで少女のように長く垂れ、白く秀でた額に垂れかかっている。

 わずかに沈黙があった。

 「俺はリドランという小さな港町で生まれ、子供の頃にイオナへ行った。王に仕えるためだ。当時の王はエヴダク殿。そして、その子息がイヴァルド殿だった。王には、イヴァルド殿の他に二人の姫がいた。一人がお前も会ったブランウェン殿、もう一人が、我が妻となるはずだった女性ひと――エレンだ。」

冬の冴え冴えとした月の光を仰ぐように、グウィディオンは目を開き、子供の顔を見上げた。此処に居るはずの無いものだったが、その子の顔は、不思議に、ずっと昔に失われた、美しい姫君の顔と重なるのだった。

 「それから?」

 「若い頃の俺は、ひどく傲慢だった。知識でも力でも、誰にも負けることはないと思っていた。ある日、俺は鹿狩りのため、森の中を一人、馬に乗って歩いていた。すると目の前に、顔をヴェールで覆った、美しい貴婦人が現れた。彼女は金の鈴をつけた白い馬に乗り、ゆっくりと俺の前に進み出て、こう言った。『鹿狩りをやめて、しばらく私と楽しい時を過ごしませんか』と。自分は気高い天の妖精で、黄金色に輝く三つの国の女王なのだと言った。

 俺は、女の誘惑に耳を貸さなかった。森の中で妖精にかどわかされた男は、命を落とすか、二度とこの世に帰って来られないものだからだ。彼女は、何度も懇願した。ほんの僅かでよい、好意を受け入れて欲しいと。俺は頑として、はねつけ続けた。すると、しまいに女は怒り出し、俺に向かって恐ろしい言葉を吐きつけた。『婦人の愛をかたくなに拒む者は恥を知れ、呪いを受けるがよい』――と。

 俺はせせら笑って、言い返した。運命など恐れるのは心の弱い男か、女だけだ、とな。すると、女はなおも言った。『私が与えるのは、呪われた運命などではない。誇らしい死でもない。お前は全ての栄光から遠ざかるのだ』、…と。

 それから間もなくして、エレンは俺の子を産んだ。だがその子は、見るだに恐ろしく、おぞましい、人とはかけ離れた姿をした生き物だった。子供は生まれ落ちるや否や恐ろしい叫び声を上げ、一人で這って窓から海へ飛び込んでしまった。母親は発狂し、誰が止めるのも聞かず、子供を追って、窓から身を投げた。

 …それきりだ。人の囁きに耐えられなくなった俺は、国を出た。」

子供は黙って、この男の悲しみの告白を聞いていた。

 「だが、海を越えて、この国から遠ざかっても、なお呪いは俺に付いてきた。」

 「何があったの?」

 「俺がたどり着いたのは、海の向こうにある、ルヴァインという大きな国だった。そこで俺は、グルヒルという友を得た。王の息子グルヒルは、異国者の俺に良くしてくれた。俺は自分にかけられた呪いを忘れ、呪いから逃れることが出来たと思っていた。それは甘い考えだったのだがな。

 俺は様々なことを話した。グルヒルは自分の国のことを、俺は自分の発ってきた国のことを。けれどそうするうち、俺の話したことがルヴァインの王の耳に入り、王は、海の向こうの豊かな国が欲しいと思うようになったのだ。王の旗を掲げた大船団が、戦争のために送られた。その中に、グルヒルもいた。

 俺はすぐさま国に戻り、新王イヴァルドにそのことを告げ、軍を集め、迎え撃つ準備をするよう促したが――間に合わなかった。軍勢の押し寄せるのは思いのほか早く、イヴァルドは戦いの中で死んだ。そして、グルヒルも死んでしまった。息子を失ったルヴァインの王は悲しみ、俺を呪いながら軍を引き上げた。イオナの町は荒れ果てて、あまたの血が流された後だった。空に向かって差し上げられる剣を、赤い凍てつく刃を、激しく草原に駆られる馬たちの蹄の音を、俺は忘れることが出来ない。

 …そうだ。ルヴァインの栄光を殺させ、同時に、この国の栄光をも奪ってしまったのは、俺なのだ。俺と親しくした者たちは、男であれ女であれ、みなむごたらしく死んでゆく。

 俺はそのために追放され、いかなる町に住むことも許されず、群れから解き放たれた獣として、荒野に生きて来た。不思議と、死ねばよいという思いは無かった。運命に屈したとは、思いたくなかったのでな…。」

 「ほかの人たちは、みんな、土の下に行ってしまったんだね」

子供は小さな声で言った。

 「父さんは、その人たちの居る場所へ行くのが怖かったんだ。自分が殺したと思っている人たちに会いたくなかった。だから、自分では死ねなかったんだよ」

 「…そうかもしれん」

グウィディオンは笑って、毛布の下から手を伸ばし、子供の髪に触れた。

 夜も半ばを過ぎ、丸い月は空の真ん中を過ぎようとしている。

 「さあ、今度はお前のことも聞かせてくれ。運命の妖精は、お前に何か酷いことをしなかったか。何か辛い運命を与えなかったか」

 「何も、辛くないよ。あの人は三つの呪いと、三つの祝福をくれたよ」

 「どんなものだ?」

 「三つの呪いは、この世のどんな武器も手にすることが出来ないという呪い、この世のどんな種族から生まれた女も妻に娶ることが出来ないという呪い、この世で最も酷い裏切りによって命を落とすだろうという呪い。

 三つの祝福は、言葉を思いのまま自由に話せる祝福、森の中で行くべき道を教えてくれた祝福、そして裏切りによる死は、ティレ河の水で水浴びをしているとき、灼熱の太陽の下で育った黒檀の枝から、手とナイフで自ら削った槍で、背中の真ん中を貫かれたときにだけ訪れるというものです。」

それを聞くなり、男は深いため息をつき、口元を歪めた。

 「他のどんな者も、そのように重い運命は背負えるまい。お前に武器を持たせないのは俺が望んだことだが、言葉を自由に扱えるだけで、果たして身を護れるだろうか。」

 「大丈夫だよ。僕は裏切りによって死ぬことが決まっているんだから、河で水浴びをしなければいいと思う」

この賢い答えを聞いて、グウディオンの心は、いくらか安らいだ。だが、その子の将来を考えると、決して気は晴れなかった。


 静けさに気がついて、見ると、スェウは膝を抱えたまま、毛布に包まって眠っていた。無理も無い。昼間、あれだけ歩いたのだから、疲れていたのだろう。

 グウィディオンも、目を閉じた。

 栄光から遠ざけられた呪われた身ではあったが、彼には、不屈の精神があった。栄光の座を欲する者は、しばしば非道を犯し、弱い者の声に耳を化さず、暴利を貪るものだ。また、決して栄光に手が届かぬ卑しい身分の者は、卑屈になり、強い者たちに媚びへつらい、その気に入るように、愚かにも、たびたび自分の言を曲げることがある。

 この男には、そのどちらも無かった。栄光の座から遠いがゆえに、己の道を逸れることなく、富に溺れることもなく、また強い精神が、決して彼を卑屈にはさせなかったのだ。

 「俺が護ろう、スェウ。お前が自ら剣を持つことなくとも、俺が代わりに、その背を護ってやろう。」

眠っている、美しい子供の頬に触れながら、彼は心の中で呟いた。


 運命とは、奇妙なものなのだ。

 抗おうとすれば強く人を縛り、痛めつけるが、受け入れると決めたとき、それは逆に己自身の強さとなって、身を護る盾ともなる。

 月の光の織り成す模様が雲間に隠れ、しらしらと、地上を青白く照らしていた。



****幼年編 了

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