幼年編5 -秋の夜
二人だけの旅が続いていった。
瞬くような短い夏、そして訪れる黄金の秋。
旅をしながら、グウィディオンは子供に、一つ一つ、生きる方法を教えていった。
旅をしながら暮らすこと、食べ物はどうして捕るか、どう料理するか。獣をとらえ、皮を剥ぎ、日をおこしてあぶること。雨が降る前の雲の動き、濡れて風邪をひいたときに使う薬草、傷の手当て、季節の移り変わり、
――――彼の知る限り、すべてのことを。
子供は、驚く速さでそれらを吸収していった。そして、少しずつ、言葉を話すようにもなっていった。
だが、それは、言葉を「覚えた」のではないのだった。言葉は最初から知っていた。生まれて間もないころから、他の者の喋る言葉には、正確に反応していたのだから。
子供が知ったのは、「言葉を口にする」ことを、つまり声にして伝えること、…そうしなければ他人には聞こえないのだということ。ただ、それだけなのだった。
穏やかな風の吹く、良く晴れた夜だった。
月は、出ていない。新月の夜、新たに生まれるために月が留守にしたその空には、無数の星々がきらめきながら埋め尽くしていた。
グウィディオンのいつも帯びている重い剣は岩に立てかけられている。彼は、その剣にだけは決して子供の手を触れさせようとはしなかったが、生きていくために必要な、小さな刃物だけは持たせていた。
小刀の柄には小さな彫り物がしてあり、錐で開けた小さな穴に赤い帯布が通されて、首から下げられるようになっていた。
木の枝を削ったり、獣の皮を剥いだり、子供は器用に何でもやった。グウィディオンの教えた、旅をする業だった。そして今、スェウは、自分の小刀を研いでいる真っ最中で、自分の手元を熱心に見つめていた。
馬は、すぐ側の木につながれて、おとなしく草を食んでいる。
火を起こしていたグウィディオンは、さっきまで小刀を研ぐことに夢中になっていた子供が、手を止め、どこかを見つめていることに気がついた。
「スェウ」
子供は、振り返って青い瞳でグウィディオンを見上げる。
「どうした。何か見えるのか。」
「人…」
唐突なことだったが、グウィディオンは、この子のこういう言葉には、慣れていた。
町の近くなら人がいるのも当たり前だが、こんな辺鄙なところで、しかも日が暮れた後、人がうろうろしているとも思えない。
他の者であれば、何かの見間違えだろうと一蹴するだろうが、この子の言い出すことは、たとえ荒唐無稽であってもみな当たることを、彼は知っていた。
「どんな人だ。」
「おおきな鉄を持った人だって」
普通の大人なら気味悪く思うかもしれないが、グウィディオンは平然としている。
「誰が言っている?」
「緑色の人。」
それは、土地の言葉で【妖精】を意味した。
口にしてはいけないものだけに、人々はその小さな隣人たちを、「良き人」とか、「丘の住人たち」とか表現する。
だが子供は、おそらく見えたままに、いつも「緑色の人」と、言うのだった。
グウィディオンは、子供が目を遣っていた草の隙間をうかがった。
風がかさかさと長い葉のグラスを揺らすばかりで、彼には何も見つける事が出来ない。
「…やっぱり、俺には見えんなあ。」
彼は正直に苦笑いして、溜息をついた。子供は困ったような顔をしている。
「すまんな。お前の友達は、俺には見えないんだ。」
グウィディオンはしゃがみこんで、大きな手で子供の頭を撫でた。
「けがをしてる」
「そうか。旅人が難儀しているなら、助けてやらんわけにもいかんな」
言って、彼は、火の中から、よく燃える太い薪を一本取り上げた。
月の無い夜、白い星の星明かり、木々は黒い影となって空に沈んでいる。
かさかさと揺れる長い草の間を縫って歩くグウィディオンの後ろに、スェウがぴったりと付いて来る。すぐに戻るから待っていろ、と言っても、付いて来てしまうのだ。
やがて、行く手に、草の乱れた跡が見えた。生臭い、まだ乾かない血の臭いが鼻をつく。辺りに投げ出された荷物は踏みにじられ、転げた果物が一つ、踏み潰されて泥まみれになっている。
グウィディオンは火を掲げ、死んでいる馬を見た。
「こいつは酷い」
馬の腹には何本もの矢が突き立っていた。何者かに待ち伏せされ、襲われて、射殺されたのだろう。乗っていた者は激しく地面に投げ出されたに違いない。
馬の向こうに、うつ伏せに倒れた黒っぽい人影が見えた。馬に乗っていた旅人だろうか。肩に深く矢が食い込んでいる。
手には、抜き身の剣があった。抜こうとして、そのまま力尽きたようだ。
辺りには、幾つかの足跡が、辛うじて残されている。跡を消そうと土を掻いてあったが、狩人の目を持つ男の前には誤魔化せない。襲撃者たちは周到にも、この男の息が絶えたことを確認するために近づいて来たのだろう。
グウィディオンは火を子供に持たせ、息絶えた男の体を起こし、瞼を閉ざしてやった。まだ若く、死ぬには早すぎる年齢に見えた。泥まみれの白い顔は無残な死にも関わらず整ったまま、額には黄色い髪がはりついている。
「この男に家族がいるのなら、死を伝えてやらねばならんな。この近くの者ならば良いんだが」
グウィディオンは、固まった指をほどき、男が握り締めていた剣を手放させた。
火に柄を照らし、そして、気がついた。
「この紋章は…。」
銀色に輝く鋼の、柄に近い場所に、その標は小さく刻まれていた。――剣を掴む鷹は、イオナの国の紋章でもあった。
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