今日で閉店です。小さな町の一つの終わり。

土蛇 尚

午前7時から10時

 小さな町にある小さな中華料理店。


  店先には、もう動きそうにない古いスクーターが停めてある。黒いサドルには薄らと雪が降っていて、その隣に少し角の消えた営業中のランプ式看板。まだ陽ものぼっていない冬の朝。身体に堪える朝だ。

 手動の扉を開けて、その店の店主が出てくる。寄せてあった看板を動かす。今日はこの店最後の一日、ランプが灯る最後の営業日。

 些細な動作一つに「よっこいしょ」と繰り返す店主は、とうに老人と言っていい年齢に達している。店主は新聞の朝刊を掴み店の中へと入った。印刷所から来たばかりの新聞と違って、掴むその手には多くの皺がある。


「これ頼むよ。県新聞だ。」


 そう言って店主は同じ時を同じだけ老いた彼の妻に手渡す。


「はい、県新聞ですね。」


 一部しかない新聞に、こうして確認を取るのは昔の名残りだ。

 この店にも景気の良い時代というものがあった。野心のない店主は、出前用のスクーターを買ってみたり、バイトを一人雇ってみたりしたが、バブルというものを持て余した。

 妻に助言を求めると「新聞を取りましょう」と言われた。店には多くの客がくる。という事は様々な業種の人がくるわけだ。

 そして県新聞に加え、全国新聞2社に経済新聞、はては工業新聞と農業新聞まで契約した。なんとささやかな事だろう。でも彼らにはこれが大投資だったのである。お客のためにと。


 それが今は県新聞だけ。出前は体が動かずやめ、バイトの若者は立派なとこに就職していなくなった。景気が悪くなってゆき、メニューの値上げを避けるため新聞は一社減らし二社減らし、今は一部だけ。

 それを彼の妻がクリップで固定し店の名前のスタンプを押す。今はすぐ終わる。


 忙しなく開店の準備をしていると、あっという間に時間がきた。午前9時45分、開店15分前だ。もっと余裕を持てないかとずっと思ってきたけれど、結局最後の1日だってこうやって慌てることになるのも、なんだか惜しいなと感じる。


 ダム工事にトンネル工事、そうやってお金を貯めてやっと出した自分の店。今でも最初の1日を昨日の様に思い出す。それからずっと妻と二人でこの店をやってきた。


「今日もよろしく頼む。」


「はい」


 主人は、店の外に出て看板のスイッチを入れる。営業中の文字が灯った。

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