第047話 僕にはこれがある!!

 僕は一心不乱に階段を駆け下りる。


 途中何度か踏み外しそうになったけど構うもんか。


 そんなことよりも雫姉の方が心配だ。ジャージ姿の如何にも体育教師のような格好の相手の顔を思い出すと、背筋がゾワゾワする。あいつは雫姉に何かするつもりだ。しかもよからぬことを。


 絶対にそんなことさせない。


「はぁ……はぁ……」


 階段を降り切る頃には引きこもりの僕の体力は尽きかけ、足も乳酸が溜まって動かなくなってきていた。


 それでも必死になって足を動かし、昇降口に辿り着く。


 急いで靴を履き替え、雫姉を目撃した場所へと向かう。一度立ち止まったことで僕の額からはぶわりと汗が吹き出し、額から頬へと流れ落ちる。


 中庭を抜け校舎の裏側へと回り込む。


 視界の先にあったのは小さな倉庫。両引き戸の片方が少し開いているのが辛うじて分かった。


「はぁ……はぁ……」


 あそこだ!!


 僕は最後の力を振り絞ってその倉庫に全力疾走する。


 その頃には腿に力が入らず、ちゃんと走れているのかも分からないし、息が上がり過ぎてあまり考えられなくなってきてた。


 とにかくそのまま突入するのはマズい。近づいたら情報を集めないと。


 僕はスラックスのポケットに入った携帯を取り出す。


「はぁ……はぁ……」


 息を切らせたまま走り続け、下を向いて携帯を操作し、録音アプリを起動してボタンを押したうえで胸ポケットに仕舞いこんだ。


「待ってて……雫姉」


 僕は独りごちて倉庫らしき小屋へとたどり着いた。


「止めてください」


 中から雫姉の答えが聞こえる。やっぱりここにいたんだ。


「はぁ……はぁ……」


 僕は荒くなった息を必死に押し殺して入り口の少し開いてる扉に張り付いて中を探る。


「反抗的じゃないか?俺の一声でどうなるか分かってるよな?」


 隙間から見えるのは壁に追い込まれた雫姉の顎を持ち上げ、いつキスしてもおかしくないような距離で嫌らしい笑みを浮かべている体育教師然とした男。


 くそっ。なんで雫姉が脅されているんだ!?


「俺が一言いえば推薦は白紙。弟は勉強の方の出来が悪いそうじゃないか?今から勉強して一体どこの学校に入れるんだろうなぁ?」


 そういえば雫姉には弟がいた。


 同級生と遊んでいることが多く、夏美姉ちゃんとつるんでいることが多かった雫姉と遊ぶことが多かった僕とは、会う機会が物凄く少なかったからずっと忘れていた。


 僕の一つ下だったのか。


 今年受験生だけど、水泳の推薦でここに入る予定だったってことかな。もしそれが取り消されれば勉強があまり得意じゃない弟君の将来は絶望的になる……と。


「弟を人質に取るなんてこの卑怯者!!」

「なんとでも言うがいいさ、どのみちお前は俺に逆らえない。分かってるんだろ?俺はこの学校で顔が利く。こういうことをしても表沙汰にはならないってよ」

「くっ……」


 ニヤニヤと笑いながら顎を掴んで雫姉を追い込む男。雫姉は悔しそうに下唇を噛んでいる。


 雫姉にあんな顔させるなんて絶対許さない。


「それで?どうするんだ……?」


 ヘラヘラと笑いながら雫姉に自発的に何かをさせようとする男。


「お願い……します……弟の推薦を取り消さないでください……」


 雫姉は涙を流しながら懇願する。


「それじゃあ俺が弟の推薦を取り消さない代わりに、お前は俺に何をしてくれるんだ?」

「それは……」


 雫姉に下卑た笑みを浮かべる男の問いに、雫姉は思わず俯いて口ごもってしまった。


 あんなクズみたいな男が雫姉みたいに可愛い女の子に要求することなんて一つに決まっている。


 だから雫姉は口を噤んでしまったんだ。


「言われねぇと分からねぇのか?服を脱げ」

「……」


 我慢が出来なくなってきた男がついに直接的な言葉で指示を出した。しかし雫姉は全く動くことなく、俯いたままだ。


「なんだ?逆らうのか?」

「……」


 男が苛立ちを覚えた顔で少し強い口調で脅すように尋ねると、雫姉は上着を脱ぎ、ブラウスのボタンに手を掛けた。


「そうだ、それでいいい」


 僕はもう我慢の限界だった。


「誰かいるんですかぁ?」


 僕を倉庫の引き戸を開けて大きな声を出した。


「ちっ。見つかったか……せいぜいよく考えることだな……」

「あっ……」


 男は僕が着たことで流石にヤバいと思ったのか雫姉から離れて、僕の横を通り過ぎていく。


「何をされてたんですか?」

「あぁ!?お前には関係ねぇだろ」


 すれ違いざまに僕を見下し、去っていった男。どうやら僕にはなんの力もないと思っているらしい。


 お前は僕を舐め過ぎだ。確かに僕自身に力はない。でも僕の物語には力がある。


「雫姉、遅くなってごめん……」

「なんで助けたの……?」


 僕が雫姉に駆け寄ると、雫姉が僕に困惑しながら泣きそうな顔で問い詰めるように尋ねた。


「いやだって……あのままじゃ……」


 僕は雫姉は申し訳ない気持ちになりながらも食い下がる。


 あの男に従っていたら雫姉は大事なモノを失ってしまうはずだった。そんなの黙って見てられるはずがない。


「じゃあ、たっくんが弟を推薦してこの学校に入れてくれるの?」

「それは……でも分かった。僕に任せてよ!!推薦を約束は出来ないけど、絶対雫姉の弟をこの学校に入れてみせるから!!」


 僕は少し言い淀んだんだけど、あいつをどうにかして、別の顧問かコーチを見つけてくればいいというのであれば、なんとでもなる。


 あいつのことは録音データを渡せば例の人たちがどうにかしてくれるはずだし、そうすれば学校側も庇いきれない。


 それから推薦の話がどうにもならなかった場合のことも考えておかないと。


「だったら黙っててよ……え!?」

「え?いやだから僕に任せてよ。どうにかするから」


 僕がどうにもできないと思っていた雫姉は、素気無くあしらおうとした後、驚くように僕を見た。


 だから僕はもう一度胸を叩いて請け負った。


「どうにか出来るの?」

「大丈夫。僕にはこれがあるからね」


 僕はポケットからペンを取り出した。


「ペン?」

「そう、僕の物語を好きな人は何も夏美姉ちゃん、雫姉、緋色だけじゃないってことを見せてあげるよ!!ペンは剣よりも強しってね!!」


 不思議そうに首を傾げる雫姉に僕はニヤリと笑って答えた。

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